私が映画を観始めたのはずいぶん若い頃です。19歳の頃、名作との評価が高かった「エデンの東」(1955年、米映画)を観たことがあります。正直なところ、この映画の主人公の言動の意味がほとんど分りませんでした。私には理解できない「名作」でした。ところが、20代半ば、再度、「エデンの東」を観る機会がありました。今度は、主人公の気持ちや言動の意味が手に取るとるように分りました。この作品が、名作であることを始めて知ったのです。この経験から、映画をきちんと理解し楽しむためには、いろいろな知識や経験も必要なことを知りました。つまり、他人の言動の意味を理解できないのは、自分の方にも問題があるのだということを学んだのです。自分が未熟だと相手のことも理解できない、考えてみれば当然のことです。
私が本格的に映画を観る切っ掛けになった作品は、「ミスター・バーを探して」(1977年、米映画)です。この映画が公開されたのは、私が社会人生活をだいぶ経験した30歳の頃でした。当時の名作映画は、都会のミニシアターで上映されることが多く、地方都市に住んでいた私には観る機会はありませんでした。そこで、出張で東京に行った時や年末年始の休暇などに東京に出かけ、泊まりがけで何本も映画を観たものです。徹夜で観たこともあります。ビデオで映画が観られるようになるまで、映画を観に東京にはよく行きました。
長年映画を観ていると、映画もいろいろな面で高度化・進化していることがよく分ります。これは昔の作品を観ると、その違いがよく分ります。最近では、映画を観る人達の要求水準も高くなっているので、映画作成関係者のご苦労がよく分ります。
かつて、ドキュメンタリー映画はあまり見かけませんでした。「ゆきゆきて、神軍」(1987年、日本)が印象に残っているくらいですが、最近、優れたドキュメンタリー映画によく出合います。最近観た「エターナル・メモリー」(2023年、チリなど)などは、まるで創作映画のような優れたドキュメンタリー映画です。いまでは、日本で世界中の映画を観ることができます。あまり映画となじみのない国の作品にも優れた作品があり、世界的に映画制作のレベルが向上しています。私は北欧の映画を見逃さないようにしています。地味ですが堅実な作りをしている作品が多いです。
良い映画に出合うと誰かに話したくなりますが、私の周囲には、映画を観る人がほとんどいませんので話す機会がありません。映画ファンだった家内が存命中は、よく映画の話をしたものですが、今ではfacebookなどを通じてしか映画の話もできなくなってしまいました。
(写真:安達太良高原:二本松市:秋らしくなってきました。)
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