突然に介護暮らし(old carer life)に終わりが来た。
案外あっけない結末になった。2人とも満97歳だった。
父は病院の療養病棟で正月二日に母はその2日後の四日に特別養護老人ホームでそれぞれ息を引き取った。母は12月から日々弱くなり蝋燭の日が消えるように、父の死を待って永眠した。朝が来なかっただけだ。父は私の見立ではまだまだ体力が残っていたので、退院したら入れる施設を心配していたのだったが、病院で急変して母より先に逝ってしまった。
2人一緒の葬儀にして送り出した。結構大変だったが、若い時の仕事よりは楽な仕事だった。
介護には様々なズレが生じるというのが私の最大の感想だ。
医療なら救急車で運べば入院なり処置は遅滞なく行われる。ところが介護は、介護する側から見て限界だと思っても簡単には施設には入れられない。
認定手続きに時間が掛かるし、入る施設を探すのにも時間がかかる。母の場合、10月に認定手続きを開始し特別養護老人ホームに入ったのは4月だから半年かかった。もう、要介護2から4に上がるまで2、3ヶ月もかかった。見通しのない半年間の介護は大変だった。
父もまさにその作業中の出来事だった。
第二のズレは介護する側とされる側の考え方のズレだ。特に自分のことしか考えない頑固な年寄にはなるべきではない。する側は恨みしか残らない。父はデイサービスやショートステイを利用してくれれば我々も休みが取れるのに、倒れるまで家に居たので、介護する我々には7年間の理由なき禁固刑に他ならなかった。介護される側は「子が親を介護するのは当然だ」という傲慢を捨てるべきだ。
第三のズレは、兄弟姉妹間の認識のズレだ。介護する側のズレ、介護は遠方か近くにいるかに関係なく、それぞれが自分でできる範囲で100%参加することが必要だ。入口でexcuseを入れて私はできないからと人任せではうまくいかない。利口な人間は静かに出来ることだけをする。
また、親はこういうことに関して利口にならなければならない。決して後に諍いや揉めごとを残す言動をしてはならない。自分の死後に不穏な残骸が残るだけだ。「私達がいなくなっても兄弟仲良く暮らすんだぞ」という所一点にに集中する姿勢が必要だ。
とにもかくにも、親の介護生活は終わった。
相続手続きも基本的方針は妹と弟に確認した。あとはその後の事務処理が残る。初めての事務処理なので勉強から始まる。税と登記、資産価値はなくても散在する山、田畑、など数はある。独力で処理するかしないかがが残る。そんなに難しくないはずだと思えても神経は使う。それと家と家財の廃棄作業がある。それが終われば人生第三章「親を看取る」は終わる。いつも後始末ばかりの人生第三章(2013〜2023)だった。
←お悔み申し上げます。僕も母親は突然死でしたが親父は90まで生きて、最後の数か月は毎日介護施設に通ったので、仕事も持った中で大変だった思いがあります。ご夫婦そろって天国で幸せに過ごされることをお祈りします。
葉羽
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