東京電力福島第一原発を見学してきた。5月の中旬にフリーアナウンサーの大和田新さんの導きで、初めて見学することができた。
大和田さん。本当にお世話になりました。
心の整理をしてFacebookにアップするまで時間がかかってしまい、いまになった。
東日本大震災が発災したのは2011年3月11日。その日は病院の新院長として私が院長室に引っ越しをした日でもある。
病院は震災で破壊された。診療機能を維持できずに途方に暮れる。
そして、その後に起きた原発事故では患者さんと職員を安全な場所に避難させることだけを考えていた。
津波の映像を見ていた時に、「水素爆発」する原発の建屋と噴煙を見た。
国と東電の対策の遅れを見ながら核爆発が時間の問題だと感じた。
その恐怖から11年が経過して、初めて見学に行くことができた。
私自身、見えてこない廃炉までのプロセスや時々明らかになる不都合な真実に批判的だった。
政治と東電を信じてはいけない、、、
2011年5月に須賀川の畜産農家の方が自殺したことを忘れてはならない、、、
巨大な事故を清算するのに途方もない時間と予算がかかるのは誰の目にも明らかである。
と
批判の材料には事欠かない。
しかし、その頑張っていることが悲しいのである。
私が写真で手に持っているボトルはトリチウム水である。
いずれ、海洋に放出されるものと同じものだ。
このトリチウム水が「悲しみの水」なのだ。
ものの見方をいろいろ考えてみると、
毎日数千人の作業員のみなさんが真剣に作業をして作り出しているものが
トリチウム水だとすると、「誰にも歓迎されない製品」を
作り出しているとも考えられる。
これが原発事故処理のダークサイドと思えてしまう。
もちろん、みなさんは廃炉に向けて頑張っているのであるが、、、