今夜のNHK総合『アナザーストーリーズ』は、「昭和が終わった日〜天皇崩御・そのとき!テレビは何を伝えたか」を放送。
激動の昭和が終わるまでの100日余にテレビマンたちが繰り広げた報道の舞台裏を明らかにした。
これを観てあのときのことがまざまざと蘇った。それは。。。
昭和の末期=昭和63年の私は、県トップ(現職の方の3人前の人)のスピーチライター。
この年の夏、自民党県連が真っ二つに割れ保守分裂選挙となった。
自民党は、片や竹下登、金丸信など竹下派や先日国葬となった「あ」の人の父親などがつき、片や此方は伊東正義、宮澤喜一など,現在岸田総理が率いる宏池会のメンバーなどがつき、血を血で争う激しい選挙となった。
結果私は、当選した方(宏池会)のスピーチライターを引き続き担当することになった。
新しいトップが初登庁した日、彼は私の書いたスピーチ原稿を用い、トップとしての最初の訓話とした。
ところが、スピーチを終えると同時に、東京からビッグ・ニュースが飛び込んできた。
県トップには、国際問題を含め常に世の中のあらゆる事象に対するコメントや感想を出すようメディアから求められる。
裏方の我々には、その準備を常に怠ることのないようにするのが重要な務め。
そのため、この超弩級のニュースが報じられた以後、万が一の「Xデー」が来た際のコメントをどう書くかが、重い枷(かせ)となって我が身にのしかかってきた。
3ヶ月半後の昭和64年1月7日、天皇崩御。
直ちに元号は平成に改められた。
私が密かにしたためておいたコメントのタイトルは「謹話」とした。
何度も何度も赤ペンを入れ書き直した。
予想どおり僅か5、6行の文章だった。
大きな歴史の転換期に隠れた一つの小さなエピソードでした。
〜国葬儀で評判(批判も含め)となった菅さんの「弔辞」のスピーチライターのことを思いながら〜
←そうでしたね。僕はちょうどその頃、土木部長のスピーチライターをやっていました。分野違いなので、急な要請がなくてヨカッタ(汗)
葉羽
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