薄いカプセルのような、アゲハ蝶のサナギの薄い皮膜のような、柔らかな表情のカーテン・・・4人部屋の病室の患者用スペースは、そのようなもので4つに仕切り、コーナーも三重になってチラ見えを防ぎ、視覚的にはプライバシーをしっかり守っている。
そのような空間の中で、私は、サナギの中に入り、自分自身の再生・甦りを図るような日々を過ごしている。東北の震災以降、続けてきたアゲハの観察で、最も興味深い”サナギのとき”を、思いがけず自分で実体験する機会を得てしまった。
(以下は、2012年、2013年の作品「サナギのとき/ The Pupa Stage」) http://maruyamayoshiko.com/artwork/2012/2012the-pupa-stage/ http://maruyamayoshiko.com/artwork/2013/2013pupa_gap/ http://maruyamayoshiko.com/artwork/2013/2013pupa_kin/
女性の4人部屋なんて、気さくに声かけあうような雰囲気だろうと想像していたら、このカーテン、結構”クセモノ”である。 きちんと閉じられているために、患者の顔も様子も見えない。
情報としてあるのは、音だけである。中に居るのか、眠っているのかもわからず、入室当日、私はどう挨拶していいものかとためらった。幸い、人懐こいおばあさんがきっかけを作ってくれて、私はサナギの中から挨拶できた。
その後、入退院で人が入れ替わり、今は私を含む、みな内科的な痛みを抱える3人がいる。 カーテン越しに聞こえてくる、患者と医師の会話・・・それは、聞き耳をたてなくても、すっかり聞こえる。つまりプライバシーは全くないのだ。
医師は痛みの原因を突き止めようと、とても詳細に、多方向から患者に質問する。それに応える患者の説明は、本人だけが体感したものだ。それは、痛みの種類や、どんなふうにそれが湧き上がってくるのかが言葉で表現される。
皮膚の表面へのあらわれの原因となっている、その奥で起こっている炎症か何かは、熱を持ち、痛みを生み、皮膚の表面にその現象のサインをにじませている・・・と私はYさんの症状を想像する。
同室の2人とは親しくなって、入院へ至る経緯や症状のことを話してみると、みんな少しずつ共通性と差異がある。朝のこわばり、腕や脚の痛み・・・聞いていて重症に思えるのに、投薬の開始前から退院しそうなYさんや、傍目には病人に見えないのに、私の2.5倍の強い薬を処方されているMさん。
患者によって主治医チームが異なり、定期的にやってきて、問診や診察がカーテンの中で行われている。
看護師も定期的にきて、検温・血圧・酸素飽和度・血糖値など測り、排尿回数・排便数・その状態などを質問していく。今日の痛みは、最高に痛いレベルを10としたらいくつぐらい?など、個々の患者の身体チェックは、規則的に連日行われる。
病院食が運ばれてくると、本人確認のため、フルネーム・誕生日を毎回言う。耳からはいる情報は、もはや同室のだれもが共有できてしまう状況だ。
今年のコロナ禍が災いして家族との面会も叶わず、病室のあるフロアに幽閉されながら、患者たちはそれぞれの病からの回復のためにサナギの中で自分と向き合い、蘇りの準備をしている。
そして私は、日増しに回復し、22日に退院することになった。杖をついて病室に入った青虫は、階段を一段飛ばしで上がれるほどになった。蝶になり、サナギの皮膜をやぶって飛び立てるかな?
身体の変化を、体内の奥から眺めるような想像を、前よりも実感をもってできそうな気がする。
←短い期間で退院できて本当によかった。お帰りなさい!葉羽
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