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 #167 東洋のシンドラー

by 葉羽
Backwall: 大和伸一「秋桜」
BGM"Please Don't Go" by Blue Piano Man
Site arranged by 葉羽

 

◆私に頼ってくる人々を見捨てるわけにはいかない。でなければ私は神に背く。(外交官杉原千畝)

◆世界は、大きな車輪のようなものですからね。対立したり、あらそったりせずに、みんなで手をつなぎあって、まわっていかなければなりません・・・。では、お元気で、幸運をいのります。(ビザ発給の際に、ある難民にかけた千畝の励ましの言葉)

◆私のしたことは外交官としては間違っていたかもしれない。しかし、私には頼ってきた何千もの人を見殺しにすることはできなかった。(杉原千畝)

◆全世界に隠然たる勢力を有するユダヤ民族から、永遠の恨みを買ってまで、旅行書類の不備とか公安上の支障云々を口実に、ビーザを拒否してもかまわないとでもいうのか? それがはたして国益に叶うことだというのか?(杉原千畝)

◆あの人たちを憐れに思うからやっているのだ。彼らは国を出たいという、だから私はビザを出す。ただそれだけのことだ。(杉原千畝からモシェ・ズプニックが聞いた言葉)

◆窮状にある人々に手を差し伸べることは、主のいつくしみの業に倣うことである。1940年、杉原領事夫妻は身職を賭して通過ビザを発給し、6,000人のユダヤ人の命を助けて下さった。その子孫は40,000人を超えるが、彼らが今ここにあるのもお二人の勇気と信念に基づく行動のおかげである。今こそわれわれがその恩義に報いるときである。(東日本大震災への義援金を募る際の米国のユダヤ人組織オーソドックス・ユニオンによる公式声明)

 

 

 

葉羽 「東洋のシンドラー 杉原千畝」について

 リトアニア・カウナス日本領事館の外交官だった杉原千畝は、ナチスドイツの迫害から逃れようと頼って来たユダヤ人たちに対し、本国の命令に反して「命のビザ」を手書きし6千人の命を救った。しかし彼の行為は大日本帝国外務省の反感を買って(実質的に)罷免され、苦難の生涯を送った。その名誉が回復されたのは、彼が死んだ後、西暦2000年になってからだった。
(※なお、杉原については橋本先輩も別の角度から#093「査証 杉原千畝」で取り上げています。)


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