4月は東京春音楽祭でかなりの数の演奏会形式オペラが演奏されたので、遠慮したのか、4月に新国立劇場ではオペラ公演がなかった。5月に入り、3月(「カルメン」)以来の新国立劇場でのオペラ公演である。
演目はプッチーニ作曲「蝶々夫人」。4日間公演の3日目に出掛けた。このプロダクション(演出:栗山民也)は2005年にこの劇場に初登場し、今回は実に9回目の上演。私も2011年以来5回目の鑑賞だ。
2、3年に一度は必ず上演されて来た。新国立劇場の自慢の舞台なのだろう。今回は、コロナ禍真っ只中の2021年以来実に4年ぶり。

今回の鑑賞を前に「予習」として2024年5月11日にニューヨークのメトロポリタン歌劇場で上演された「蝶々夫人」をyoutubeで鑑賞した(英語字幕)。
アンソニー・ミンゲラ演出、同劇場の「華」のひとりアスミック・グリゴリアンの蝶々夫人による話題の上演だった。
なかなか面白いのだが、文楽人形や障子を開け閉めする黒子が煩わしく「キワモノ」感が横溢していてちょっと引いてしまった。「欧米人が考える日本と日本人」というオリエンタリズムというやつだ。
メトロポリタン歌劇場
一番びっくりしたのは、ピンカートンが長崎に連れてくる妻ケートが黒人歌手だったこと。メトロポリタン歌劇場は歌手の人種に特別な配慮をしている歌劇場なのだが、さらに中国系アメリカ人女性指揮者シャン・ジャンの伴奏も、なんというのか句読点が違うなあという感じだった。
ちなみに全く日本的でない衣装も中国系アメリカ人ハン・フェンによるものだった。
そんなこともあって、今回の新国立劇場の上演は実によく出来た舞台と演出だと改めて感心した。やはり私は日本人だなと納得する。とくに蝶々さんは日本人、ピンカートンは欧米人、領事シャープレスも欧米人という配役はやはり安心する。
日本人にとって「蝶々夫人」だけは特別なオペラだと思う。このオペラに関しては「正調」がやっぱりいいのだ。このプロダクションは本家日本が世界に示すこのオペラの原型と言っていいのではないか。私は、日本人演出家の「蝶々夫人」を他に見ているけれども、これは出色だと思う。
今回の成功は、なんと言っても蝶々さん役の小林厚子の素晴らしい歌唱と演技によるだろう。役に没入しているのは言うまでもないが、完全に自分のものにしている。容姿もドンピシャという感じ。歳のせいか自然に熱いものがこみ上げてくる。
ついで、成功の要因はエンリケ・マッツォーラ指揮東京フィル(コンサートマスター:近藤薫)の熱演だろう。句読点がハッキリした伴奏だ。公演3日目ということもあるかもしれないが、ミスがないだけでなく、ここぞという場面での切込みが素晴らしかった。
第2幕のフィナーレで自害を覚悟する蝶々さんの鼓動を表すティンパニーの強打には驚いた。新国立劇場のピットでの東京フィルの最近の充実は特筆ものだ。

ピンカートン(ホセ・シメリーリャ・ロメロ)以下他のキャストも水準以上で聞きごたえがあった。
欲を言えばピンカートンの妻ケート(佐藤路子)は金髪の欧米人が良かったけれど。