「windblue」 by MIDIBOX


昨夜19時からオペラシティで飯森範親指揮群馬交響楽団(コンサートマスター伊藤文乃)の演奏会をを聞く予定だった。

 自宅を出て、最寄り駅で電車を待っているとなんと、近くの駅で飛来物が電線にひっかかったとかでダイヤが大幅に乱れて、これはマズイということでタクシーに乗ろうとしたら全然来ない。こりゃダメだと観念してその辺で呑んで帰ろうとした途端に、運転再開。

 これはもしかしたら間に合うのではという感じになっていた。しかし、かなりの安全運転で、結局は前半の「トリスタンとイゾルデ」(前奏曲と愛の死)は諦めた。

 ゆっくり向かったら、前半の最後の部分に着いた。急いでもやはり間に合わなかったようだ。ロビーのモニターで聞いた限りでは、ちょっとオーケストラにソプラノの声がマスクされてしまっている印象だった。

 15分の休憩後にメインのマーラー交響曲第9番。最初はこれ1曲だと勘違いしていたので、かえって集中できたかもしれないと不運を慰めた。

 実は5日前にユーゲント・フィルハーモニカーというアマチュア・オーケストラでこの曲を聞いているのだが、さあプロ・オーケストラの意地を見せてくれるだろうか。今回はそんな興味もあった。

 しかし、聞き始めて「おい、これちょっと凄くないか」とすぐになった。

 いやあ、見事、見事、見事。楽曲が完全に把握されている。

 血の滲むような練習を重ねたのだろうが、そういうことを感じさせないような自由さもあるのだ。

 MVPはホルンだろうか。ほぼノーミスだし音色の変化が実に素晴らしい。弦楽器の踏ん張りも特筆ものだが、第4楽章の首席奏者の独奏が感動的。とくにヴィオラが「えっ」というほど見事。共感していないとここまで弾けないだろう。

 そして、消えゆくようなフィナーレには、すすり泣きがそこかしこから聞こえてくる。

 終わってからの沈黙は10秒以上あったかな。

 かといってこの曲は死の恐怖と諦観を描いた曲という解釈には思えなかった。聞いていて「マーラー家の家庭交響曲」という言葉が浮かんだほど。

 第2楽章の諧謔、第3楽章の諍いなど家庭風景にも思える。第3楽章のおどけたようなトランペットが印象的だった。そして同楽章の凄まじい追い上げのフィナーレ。そうするとやはり最終楽章は家長の死ということになるのだろうか。しかしむしろそれは満足げな終焉かもしれない。

 いやあ素晴らしかった。この飯森範親(1963年5月17日生まれ61歳)という指揮者は、モスクワ放送交響楽団を指揮した「春の祭典」「ペトルーシュカ」のCDを1992年に録音している。29歳の時だ。

 腕利きを集めて放送用に組織されたオーケストラをなんで29歳の無名の日本人指揮者が指揮してCDを出しているのか?しかしその見事な出来栄えも含め唖然としたものだった。その飯森もすでに61歳になった。

 なんか日本で地方オーケストラの常任指揮者を掛け持ちしている印象なのだが、この群響の演奏を聞くと、オーケストラ・トレーナーとしての恐るべき手腕と80分を超える後期ロマン派の交響曲の見事な解釈ですっかりファンになってしまった。

 今回の演奏会は、東京特別演奏会ではなくて、東京定期演奏会と銘打たれている。2日後には本拠地の高崎芸術劇場大劇場で同じプログラムが演奏される。高崎は東京から新幹線で50分の距離である。

 先月の名古屋フィル(マーラー交響曲第6番を演奏)もそうだったが、アマチュア・オーケストラのような意欲と熱意を持って、在京オーケストラに比肩するような演奏をする地方オーケストラが育っていることを確認できて、頼もしい限りだ。

(2025.4.25「岸波通信」配信 by 三浦彰 &葉羽

PAGE TOP


  banner  Copyright(C) Miura Akira&Habane. All Rights Reserved.