私は、2013年のベルリン・フィルとの来日公演(シューマンの交響曲第1番「春」、プロコフィエフのヴァイオリン協奏曲第1番、「春の祭典」)を聞いただけだが、樫本大進ソロの協奏曲が一番印象に残っている始末で、正直サイモン・ラトルという指揮者の凄さが分からなかった。
その真価を理解するなら、マーラー、それも今回の交響曲第7番だと思ってNHKホールに勇んで出かけた。1階9列のほぼセンター。これSS3万3000円。ちょっとステージが近いかなと思ったが、残響はないが、そこそこの席だった。
当日券がかなり出ていたようだ。サントリーホールでのブラームス:交響曲第2番&ピアノ協奏曲第2番、ブルックナー交響曲第9番他は完売だったようだが、どう考えても、そりゃ違うだろう。
BRSOを聞くのは初めてだ。筋肉質でロボットみたいに正確なベルリン・フィル、華麗・洗練の極みのウィーン・フィルと比較すると、なんというか暖かみのある中欧的な音色のオーケストラだと思った。両翼配置だと聞いていたが、なぜかヴィオラ、コントラバスが右端。
第1楽章はまずまずの出来。管楽器がわずかにつまづく。第2楽章あたりからマーラーの万華鏡の世界に入っていく。真価は第3楽章のスケルツォからだ。生き生きとしたリズム。オーケストラの中欧的音色が活きる。なぜかベリオのシンフォニアを思い出す。オリエンタルで「大地の歌」を思わせる第4楽章を経て、真価は第5楽章。
とにかく、自然に笑ってしまうのだ。コンサートで笑ってしまうなんて初めてだ。パロディだったり、楽器間の受け渡しが愉快だったり、表情そのものが道化師やコメディアンを思わせるのだ。かくれんぼをするように、聞いたことのない声部が現れたり、テンポが伸び縮みしたりする。そして巨大なエンディングが見事に決まった。いやあこんなに楽しいマーラーは初めてだ。凄いよ、サイモン・ラトル!
拍手喝采である。なるほど、ラトルがこのBRSOを選んだ理由も分かったような気がする。異形の交響曲の見事な解釈である。こういうことは、やはり英国人だからできたのではないかと思う。不気味な笑いの感覚である。
こんなことを思うのは、最近英国人ファッションデザイナーのジョン・ガリアーノの映画や展覧会をみたこともあるかもしれない。時計仕掛けのオレンジ?非大陸人のアウトサイダー的感覚だ。ある意味狂っているのである。
しかしラトルも歳とったなあ。年が明けると70歳だからなあ。上半身が巨大化して、エリアフ・インバル化というか、痩せる前のアンドリス・ネルソンス化している。膝が悪そうで、ちょっと引きずるような歩き方なのが、気になった。