昨日(10月6日日曜日14時)に、新国立劇場でシーズン開幕公演「夢遊病の女」(ベッリーニ作曲)の公演2日目を鑑賞した。なんとこのベルカントオペラの有名曲が27年目を迎える新国立劇場(1997年10月10日開場)で初演だという。
やはりワーグナー、モーツァルト、ヴェルディ、プッチーニの4本柱でプログラミングすると、ロッシーニ、ドニゼッティ、ベッリーニは「不遇」になってしまうのだろう。
新国立劇場はシーズン2作目もベルカントオペラのロッシーニ「ウィリアム・テル」(休憩2回含む4時間45分の大作)を初演する。「不遇」を挽回する意欲満々だ。よく考えてみると、この2作はスイスを舞台にしたオペラである。
さて、今回の「夢遊病の女」は新国立劇場の公演の中でもかなり上位に入るレベルの公演なのではないか。とにかく聞いていて、気持ちが良くなってくるのである。
誤解を恐れずに言えば、一種の思考停止になってしまうのだ。考えなくていい、まるでイージーリスニングみたいなオペラ。これこそベルカントオペラの本質かもしれない。
アミーナ役のムスキオのまさに絹のような高音のロングトーンに陶然となり、エルヴィーノ役のシラグーザの乾いたイタリアの青空、いや、快晴のアルプスの高嶺を思わせるような心地よい美声に酔いしれる幸福に感謝してしまうのだ。
例えばヴェルディのオペラだったら、歌手の歌っている内容に沿って、喜んだり、怒ったり、悲しんだり、嬉しくなったりするのだが、このオペラではそんなことは滅多にない。ただ、ムスキオとシラグーザの声の饗宴に耳を傾けるだけだ。本当はこういうのが、オペラの本当の姿ではないのかとすら思ってしまうのだ。ヴェルディは内容(ドラマ)に深く入り込んでしまったのだ。
そうしてもうひとつ本当に気持ちが良かったのがベニーニ指揮の東京フィル。このコンビは古くは開場1年後の1998年10月の「セビリアの理髪師」で共演している。昨年は「リゴレット」、今年は「トスカ」と共演を重ねた。
東京フィルは、イタリアオペラの大巨匠からそのオペラ伴奏のキモを徹底的に叩きこまれたはずである。素晴らしい成果を上げたのだが、さらに今回の「夢遊病の女」は輪をかけて素晴らしかった。
ヴェルディやプッチーニと違って、ベルカントオペラではただの伴奏に過ぎない場面がほとんどのはずなのに、その伴奏のなんとも言えない美しさと意味深さは一体何なのだろうか。オーケストラだけ聞いていても十分に楽しめるのだ。
書き忘れたが、このオペラでは合唱が活躍するのだが、いつも通り新国立劇場合唱団(指揮:三澤洋史)は迫力と繊細さを表現し切っていた。
とにかくオペラの通はもちろん、入門者でも聞いてほしい公演だ。オペラって本当に良いなあと思うはずだ。
10月9日(水)14時、12日(土)14時、14日(月・祝)13時に残りの3公演がある。