「windblue」 by MIDIBOX


昨日(2月22日木曜日)、東京芸術劇場でエリアフ・インバル指揮都響(コンサートマスター:矢部達哉)でマーラー交響曲第10番(デリック・クック補筆版)を聞く。

 当日の午前10時に当日販売があって、雨降りの平日だからか良席が買えたので行くことにした。

 翌日金曜日(祝日)にも同じプログラムのコンサートがあって、こちらも当日10時から最終販売があるが、これの当日券は僅少だろうし殺到しそうだ。

 それはともかく、このコンビは1994年4月〜1996年11月まで第1回のマーラーサイクル、2012年9月〜2014年3月まで新・マーラー・ツィクルスを行っている。

 今回もこの第10番を皮切りに3度目のマーラー交響曲全曲演奏になる予定だ。

 インバルは、1936年2月16日エルサレム生まれだから88歳になったばかり。2月6日に88歳で逝った小澤征爾と同学年なのだ。

 しかし、指揮ぶりや早足の登場など元気そのもの。今回の3回目のツィクルスも完遂するのではないか。

 参考までに書くと、都響はインバルの2回のマーラーツィクルスの間に首席指揮者ガリー・ベルティーニよるマーラー・ツィクルスを2000年〜2004年に行っているから、日本で最もマーラーを演奏しているオーケストラと言えるだろう。

 さて、今回の演奏だが、インバル指揮都響のマーラーはやはり素晴らしい。私はマーラーの第10番は第1楽章アダージョしか聞いたことがないが、このデリック・クック補筆版の演奏に、インバルは並々ならぬ意欲を持っている。

 予習用にyoutubeで聞いたロイヤルコンセルトヘボウとの2014年頃の演奏はちょっとあの世に持っていかれそうな神がかりの演奏だった。

 今回の都響との演奏は、それより早めのテンポ(全曲70分)でもっとストレートな演奏で第5楽章最終部分での不思議な浮遊感を伴った悲しみまでのニュアンスは無かった。もうちょっとテンポを落として歌わせてもよかったのでは。

 しかしこのクック補筆版を味わうには過不足ない演奏だった。都響の機能性の高さには改めて驚嘆した。

 なお、第1楽章半ばあたりで、インバルの指揮棒がすっぽ抜けて、第2ヴァイオリントップのところまで飛んで行くアクシデントがあった。

 なんとインバルはもう1本の指揮棒で何事もなかったように指揮を続けた。スコアを置く台にあらかじめ置いてあったようだ。予備の指揮棒を置いているものなのか。

 大きな唸り声とともに指揮ぶりも相変わらず激しいインバルであった。

  演奏終了後の様子

 クック補筆版の問題点は、全5楽章の中央部にあたる第3楽章「煉獄」が4分程とマーラー交響曲楽章として最短なのだが、インバルは第3楽章、第4楽章、第5楽章をつなげて演奏している(第4楽章と第5楽章はもともとアタッカの指示がある)。

 このクック補筆版が、マーラーの交響曲第10番として定着するのだろうか。それは、9番との差異を明確にすることにかかっていると思う。

 非常に似た曲想だが、9番は死の床からの人生の振り返り、10番はあの世からこの世を振り返っているのだと私は思う。この9番と10番の差異化は簡単なことではない。

 しかし、10番クック補筆版は素晴らしいと思う。定着してほしい。

(2024.3.8「岸波通信」配信 by 三浦彰 &葉羽

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