「windblue」 by MIDIBOX


今は荷物置き場になってしまった、かつての私のリスニングルームの片隅に額装された小澤征爾(1935.9.1〜2024.2.6)の指揮姿の写真が飾ってある。

 だいぶ汚れが目立っているが、1992年9月の長野県松本市での記念すべき第1回サイトウ・キネン・フェスティバル(改称して現在はセイジ・オザワ松本フェスティバル)でのブラームス交響曲第1番の指揮姿だ。

 私は、このコンサートを取材している。オーケストラコンサートだけでなく、泊まりがけで翌日のオペラ公演(ストラヴィンスキーの「エディプス王」)の取材も行った。メンズマガジン「M」の編集長をやっていた時期にあたり実に美味しい思いをした。

 
 小澤の「エディプス王」のCD

 小澤は、新日本フィル(NHK交響楽団を追放された小澤が創設)とヘネシーオペラシリーズを企画して1990年から1998年まで1年に1作のオペラを取り上げて上演していた。スポンサーは高級ブランデーで有名なヘネシーだった。

 小澤はここで上演することで、その後のウィーンなどの上演に備えていたのである。その努力が報いられたのか、2002年に小澤はウィーン国立歌劇場の音楽監督に就く。

 ヘネシーは私が編集長をしていたメンズマガジン「M」に広告も出していたから、私はヘネシーオペラシリーズの取材もしていた。1回だけだが1991年3月の「マノン・レスコー」(プッチーニ)公演の時に、小澤にインタビューしたこともある。

 ヘネシーは初期のサイトウキネン・フェスティバルにも金を出していたので、第1回の立ち上げのときに私は取材で松本まで取材に出張したわけである。

 小澤征爾のおかげというか、ヘネシーのおかげで私はオペラに開眼した。冒頭の写真にはそんな思い出が込められている。

 
 小澤&サイトウ・キネンのブラームス交響曲第1番のCD

 最近のサイトウ・キネン・オーケストラの演奏は知らないが、この1992年9月の松本でのブラームス交響曲第1番の演奏は、意外にも低音のズシリとした重みが不足していてちょっと不満だったのを記憶している。

 小澤の真骨頂はフランス音楽にあったのではないかと思っている。天才としか言いようのないふんわりとした音づくりが今でも忘れられない。とくにラヴェルが素晴らしく、これは他の追従を許さなかった。

 小澤は、ボストン交響楽団の音楽監督を1973年から2002年まで39年間務め、2002年から2010年までウィーン国立歌劇場音楽監督を8年間務めた。これが小澤のキャリアハイだった。その前から腰を痛めたりしていたが、2010年に食道癌が見つかってからはちょっと可哀想な13年間だったと思う。

 若いときの無謀に近い活動のためなのか。どうなのだろう。またwikipediaを読むと若いときは激情家に近いくらい感情的だったことが分かる。それが訓練によって非常に温厚な人柄に変わっていったようだ。

 いずれにしても、日本人が世界で認められるということはどういうことを世に示した先駆者だ。海外に羽ばたいた日本の音楽家のほとんどは小澤の恩恵を受けているのではないか。

 惜しい人を失ったというより、やっと安らかな死を迎えられたかという思いの方が強い。同時に、小澤を失ってその空白を埋めるような存在がいないことにも気付かされるのだ。

(2024.2.23「岸波通信」配信 by 三浦彰 &葉羽

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