凄い集中力と込められた情念の激しさ、そして一糸乱れぬアンサンブル!ピアノ連弾版もなかなかである。
ああ、これがデュオ・クロムランクなのだな(1982年11月録音)。
ブラームス交響曲第1番、第4番のCDカバー
2台のピアノ連弾と違って、難曲になると腕がかなり頻繁に交差したりして、まるでアルゼンチン・タンゴを鍵盤上で踊っているようだと評されるピアノ1台の連弾。
クロムランクの2人は演奏しながら燃えていたのではないか。
パトリック・クロムランクと桑田妙子の夫妻によるデュオ・クロムランクの活動期間は1974年から1994年の20年間。
最後に録音されたシューベルトのアルバム
2人はシューベルトの連弾曲集第3巻の録音を終えて、「これを最後にしよう」というパトリックの提案したコンビの解消をめぐって大口論し、これを悲観したパトリックがブリュッセルの自宅で自殺。
これを発見した桑田妙子も首を吊って自殺。まるでロメオとジュリエットみたいな幕切れだ。
演奏家めぐるエピソードの中でもちょっと異様なもののひとつだろう。
1994年7月10日がその日だった。パトリック49歳、桑田妙子46歳の短いが、燃え尽きた生涯だった。
しかし、このパトリックの提案は一体何を意味していたのだろう。
Wikipediaによれば夫婦間のトラブル、音楽活動の行き詰まりと書かれているが、一体仲睦まじく見えた2人に何があったのか?
私の推理はこうだ。多分、パトリックはピアノ連弾をやめて、ソロ・ピアニストあるいはオーケストラの指揮者を目指そうとしていたのではないか?
それを打ち明けられた妙子は捨てられると思って逆上。ここに決定的な夫婦間の溝が出来てしまって、パトリックは他の女性に救いを求めた。
しかし、妙子を捨てきれずに何度も口論が続いたある日、発作的に自殺。それを見た妙子は後を追うしかなかったのでは。
この真相を書いたノンフィクションがありそうだがなかなか見つからない。