今年の6月、7月の都響とのショスタコーヴィチ交響曲第7番、マーラー交響曲第6番がチケットが取れずに聞けなかった注目26歳指揮者クラウス・マケラをやっと聞けた(10月17日月曜日)。チケット代は4倍になったが(笑)。
オーケストラはマケラが昨年から音楽監督をしているパリ管だ。コンサートマスターは千々岩英一(53歳)。
10月6日のラトルロンドン交響楽団と同様に当日券がかなりあったのには驚いた。客の入りは90%程度か。しかし、チケット代4倍の価値はあった。
まずマケラよりも久方ぶりに聞くパリ管の惚れ惚れするような巧さと音の美しさ。コロナ禍で日本のオーケストラをかなり聞いた2年半だったが、残念ながらこのレベルにある日本のオーケストラはなかった。なんというか、全てに余裕があるのだ。
そして立ち上る香水やワインやブランデーのような香り! まずドビュッシー交響詩「海」が、マケラのオハコなのか、オーケストラを自在に操り、またオーケストラがこれに応えてフル回転。
定評のある木管群は言うまでもなく、コントロールが効いた金管群、とくに弱音が見事だ。ヴァイオリンの弱音はまさに絹のようで驚く。
それとハープが、日本のオーケストラでは聞いたことのない主張の強さと音の美しさ。それと鉄琴の活躍がお見事。もう「海」だけでお腹いっぱいになった。
この「海」に比べると、ホルンのソロ(首席でない奏者が吹いた)が外したり、「ボレロ」はまずまずの出来。もっとソロの超絶的な巧さを期待したのだが、そもそも個人的にこの曲があまり好きではないので(笑)。
後半の「春の祭典」は、若さが横溢する大熱演。シックな野蛮人という感じ。パワフルなのだが洗練されているのだ。ギロがこんなに聞こえたのは初めてだし、打楽器群が素晴らしい奮闘。
私は「御国もの」とか「地元の強み」というのをあまり信じないが、「海」「春の祭典」にはそうしたものを感じてしまった。
チケット代を発売寸前で値上げした後ろめたさからか、なんとアンコール。ムソルグスキーのホヴァンシチナ前奏曲「モスクワ河の夜明け」。
この静謐な5分ばかりの曲がパリ管の美質をまた明らかにしていた。なかなかの選曲だ。
なお映像投影とかがあって、正面上部の天井がブルーからオレンジ、赤になるような小細工があったが、ああいうのは全く無意味。鑑賞の妨げ以外の何ものでもなかった。招聘元の良識を疑った。