行こうか行くまいかかなり迷ったコンサートだったが、行って来た(6月9日木曜日、池袋・東京芸術劇場)。シャルル・デュトワ指揮新日本フィルのコンサートである。
仕事を切り上げて来たが、当日券発売開始(18時)まで、あまりの蒸し暑さに会場近くの居酒屋で生ビールをグイグイ空けてなかなかいい心持ち。こりゃ寝るかもしれない。
SS席1万2000円は早くも売り切れとのこと。せっかくだから、2階S席9000円を買う。
会場は満席だ。 デュトワの登場の仕方に驚く。背筋がピーンとしていて足取りもしっかりしているのを通り越してモデル風。
もちろん椅子にも座らず立って指揮。やや短め指揮棒で的確なあの指揮ぶりは健在だ。
生年月日は1936年10月7日だから85歳。2017年のセクハラ疑惑でかなりブランクがあったはずだが、まだ終わっちゃいないよ、という気迫満々だ。
最初のフォーレの「組曲ペレアスとメリザンド」からなかなか良い演奏だったがちょっと柔らかさがなくてオーケストラの緊張感が伝わってくる。
ラヴェルのピアノ協奏曲(北村朋幹独奏)は独奏を含めこの曲の哀感や繊細さが今ひとつ伝わってこない。
むしろアンコールに弾いた武満徹の最後のピアノ作品「雨の樹 素描Ⅱ オリヴィエ・メシアンの追憶に」が見事だった。
前に書いたかもしれないが、渋谷・道玄坂のヤマハ楽器店(今もあるのかな)で1974年頃、レコードを探していると、やはりレコードを探している武満徹に遭遇。
ノートにサインというのも失礼かなと思い、予定外のロジャー・ウッドワード演奏の 武満徹ピアノ曲集を購入し、武満徹にサインしてもらった思い出がある。
あのレコード、福島の実家を売却するときに処分してしまった。こうして名演を聞くと本当に悔やまれる。
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20分の休憩後の後半2曲がこの日の白眉。 数々のドビュッシー「海」を聞いてきたが、この夜の演奏ほど、意味深く迫って来た演奏はなかった。かなりのリハーサルがあったはずだ。
「デュトワのフランスものは良い」というが、スコアに書いてあることを正しく音にすれば、それはドビュッシーの「海」になるという演奏のようだ。
たまたまデュトワにドビュッシーやラヴェルの指揮依頼が多かったに過ぎないのかもしれない。
思い起こせば、ドイツものを含めデュトワの指揮に失望したことは一度もない。ハープ、打楽器、弦の弓使い、管楽器の重なり合いの全てに説得力があった。そして、その怖くなるような迫力に圧倒されたのだった。
アンコールのような感じで演奏されたラヴェル「ラ・ヴァルス」は、ドビュッシー「海」の明晰とは打って変わって、怪しげなムードが求められる対照的な音楽だが、これもまた見事な演奏。
失礼な言い方だが、新日本フィルのような一流とは言いかねるオーケストラからこうした演奏を引き出せるオーケストラトレーナーとしての卓越した能力、そして言うまでもないスコアの読みの深さ!
これには「指揮棒の魔術師」なんていう紋切り型の賛辞はふさわしくない。名指揮者、いや齢85歳を過ぎた大指揮者の技であろう。無理して来た甲斐があった。85歳、もう若くはないのだ。
そして、不思議なことがあった。普通の演奏会では、音響に不満の多いこの東京芸術劇場だが、今回の私の席もS席とは言えいつもなら不満の残る席のはずだった。
しかし、この夜の演奏会にかぎっては、そうした音響的な不満がほとんどなかったのだ。
これは、デュトワという指揮者がホール音響の不具合さえものともしない秘術を持っているということなのか。こんなこと初めてだ。
(2022.6.17「岸波通信」配信 by
三浦彰 &葉羽)
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