これは楽しみにしていたコンサートだ。
昨夜(1月28日)、池袋・東京芸術劇場で井上道義指揮読響のシベリウス交響曲第7番とマーラーの交響曲「大地の歌」を聞く。
これだけでも十分過ぎるというのに、これに藤倉大の7分程のオーケストラ曲「Entwine」(絡み、接触)の日本初演も最初にあった。
今の時代を表す5分の管弦楽曲という委嘱に応じて作曲された曲だ。
井上(1946年12月23日生まれ75歳)は、1月20日付朝日新聞夕刊のインタビュー記事で2024年年末をもって指揮活動から引退を表明したばかり。
「咽頭癌の後遺症で合唱の指導なんかで大きな声が出せない。それにヨボヨボしてまで周りに老巨匠なんておだてられて活動したくない」とのことだ。
その井上が、シベリウスの最後の交響曲とマーラーの「準」最後の交響曲を指揮した。
注:『大地の歌』は、交響曲第8番に次いで完成され、本来ならば「第9番」という番号が付けられるべきものだった。しかし、ベートーヴェンが交響曲第10番 (ベートーヴェン)を未完成に終わらせ、またブルックナーが10曲の交響曲を完成させたものの、11番目にあたる第9交響曲が未完成のうちに死去したことを意識したマーラーは、この曲に番号を与えず単に「大地の歌」とした。その後に作曲したのが純然たる器楽作品であったため、これを交響曲第9番とした。マーラーは続いて交響曲第10番に着手したのだが、未完に終わり、結局「第九」のジンクスは成立してしまった、というのが通説(Wikipedia)。
シベリウスは、北欧の孤絶した冬の自然風景なんていうイメージとは無縁な実にホットな演奏。ホルン(日橋辰朗)、トロンボーン(青木昴)の妙技を堪能。
井上はこの曲が好きなのか、昨年はN響でベートーヴェン交響曲第3番との組み合わせの公演があった。これも聞いたが、シベリウスはもっとクールな出来だった。
井上のやりたいシベリウス7番は読響との今回の演奏のように思える。
後半は、宮里直樹(テノール)と池田香織(アルト)を独唱にした「大地の歌」。交響曲なのか管弦楽伴奏付きの歌曲集なのかの論議はおくとして、とにかく素晴らしい曲である。
それにしては演奏機会が少ない。二人の歌手が揃わないのだろう。歌手にとっては、なかなかの難曲なのだろう。
今回の宮里、池田はなかなかのレベルだったが、それでも第1曲の宮里は、ちょっと不安定で、自暴自棄な虚無感の表出には至らない。しかし、第3曲、第5曲は尻上がりの出来栄え。
池田は沈潜した見事な歌唱だったが、第4曲、第6曲で伴奏と一瞬ズレてヒヤリとさせられた。まあ、キズはあったが、なにしろ曲が素晴らし過ぎる。
今更ではあるが、マーラーの天才的な管弦楽法に唖然となった。読響が繰り広げる雄弁の極みのオーケストレーションに惚れ惚れした。
オーボエ(金子亜未)、イングリッシュホルン(北村貴子)、クラリネット(金子平)、フルート(フリスト・ドブリノヴ)が絶美の名演。とくにオーボエが歌手並みに大活躍。
そして、あ、これマンドリンだったんだ!あ、これコントラファゴットだったんだ!チェレスタ使いの見事さ!双眼鏡持って来て良かった!多分実演は2度目だが、それでも新たな発見があったのだ。
中学生の時に、ワルター指揮ウィーン・フィルのLPレコードを買って、それこそ擦り切れるほど聞いた記憶が蘇った。
しかし、この曲実演を聞かないと本当のところは分からない。ちょっと「大地の歌」マニアになりそうである。