昨日(11月20日土曜日14時)池袋の東京芸術劇場で鈴木優人指揮読響(コンサートマスター:長原幸太)のコンサートを聞いた。
このプログラムは一体なんなんだ?
当初は作曲者のミシェル・カミロ(ドミニカ共和国のジャズピアニスト兼作曲家)を独奏者にしてピアノ協奏曲第2番「テネリフェ」の日本初演をすることになっていたのだ。
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東京芸術劇場 |
しかし、入国制限によりカミロが来日できなくなって、急遽プログラムを変更して山下洋輔を独奏者にしたガーシュインの「ラプソディ・イン・ブルー」になったという。
しかし、カミロによる9月のブルーノートのジャズ公演は予定通り行われたのに、11月のこの公演には来れなかったということなのだろうか。不可解である。
まずスペインの作曲家ロドルフォ・アルフテルの「祝典序曲」。そして山下洋輔を独奏者にした「ラプソディ・イン・ブルー」。
ここまでは、ラテン系かアメリカ系の指揮者のプログラムだが、後半はブルックナーの交響曲第4番。
しかも悪名高い1888年稿のコーストヴェット校訂版というオマケ付きだ。マルチタレントを謳う鈴木優人らしいプログラムではある。
実は、この週の木曜日、金曜日のファビオ・ルイジ指揮N響のブルックナー交響曲第4番(1878年&1880年稿)を、同じ池袋・東京芸術劇場で聞く予定でいたが、仕事があって来れなかった。
最初のアルステル「祝典序曲」は、暗い色調の演奏。全然スペインぽくない。2曲目の「ラプソディ・イン・ブルー」は79歳の山下洋輔のやりたい放題。
ポスターには「ジャズ界の巨匠が人間の欲望と夢を描く」と書いてあったが、ちょっと意識が混濁した老人の演奏という印象だった。
2階の6列目で聞いたこともあるのか、まず音が汚い。小曽根真もそうだが、ジャズプレーヤーをクラシックの演奏会に呼ぶのはいかがなものか。
山下洋輔は麻布中学卒、鈴木優人は麻布中学校&麻布高校卒で先輩・後輩の間柄で学園祭などでよく共演していたという。
山下はその後国立音大へ、鈴木は東京芸大へ進学。戦前生まれの山下はともかく、40歳の鈴木は頭もいいらしいし、マルチな音楽家としてなんでもこなせる俊英である。
私は不満だったが、演奏後のフリージャズの巨匠に対する拍手喝采は盛大で、山下洋輔は「枯葉」らしき曖昧模糊としたインプロビゼーションのアンコールを演奏した。大丈夫かな、この人?と私には思えたが。
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演奏後の鈴木優人と山下洋輔(読響提供) |
さて後半のブルックナー交響曲第4番だが、管楽器が痛快なほど強奏し、繰り返しの多い第3楽章や第4楽章はバッサリとカットされた実に現代的な演奏だった。2階6列でものけぞるぐらいの音圧だった。またシンバルが終楽章で活躍する。
こういうブルックナー演奏は好悪が分かれると思うけれど、私は嫌いではない。アルプスを仰ぎみるような大自然とシンクロするようなブルックナー演奏ではないが。
ホルンが大活躍する交響曲だが、ホルンのトップ日橋辰朗はなかなか良かった。
クラリネットのトップは仙台フィルの下路詞子(しもじうたこ)。なぜか最近彼女が読響のトップを吹いている演奏会によく遭遇するが、関係者によれば「単にエキストラです」とのこと。そうかしら?
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演奏会後の鈴木優人と下路詞子 |
「ラプソディ・イン・ブルー」の冒頭のソロは見事だった。 ら中継を見入っている事態になる。これが問題ではある。
(2021.11.26「岸波通信」配信 by
三浦彰 &葉羽)
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