落語家で人間国宝の柳家小三治(1939.12.17〜2021.10.7)が心不全で亡くなった。享年81。
柳家小さん、桂米朝に次ぐ3人目の人間国宝だった。最後の高座は亡くなる5日前の10月2日に府中で「猫の皿」を演じた。
柳家小三治は五代目柳家小さんの弟子だった。普通なら柳家小さんという大名跡を継ぐのは、小三治だと思われたが、小三治には話がなく、継いだのは、小さんの長男の柳家三語楼だった。
柳家小三治。享年81。
早速TV(NHK「日本の話芸」の再放送)で10月17日に小三治追悼番組が放送された。2012年3月16日ニッショウホールでの「千早ふる」である。
小三治が72歳のときの間然としたところのない名演である。なんとも間のとり方が素晴らしい。こういう滑稽噺の巧さは余人を寄せ付けなかった。
名人と言えばこんな滑稽噺ではなく人情噺の大ネタをやる三遊亭圓生みたいな落語家の印象があるが、滑稽噺でもまさに名人の芸に到達していた。
あれ?私は小三治の実演を聞いたことがあったっけ?残念ながら聞いたことはなかった。
五代目柳家小さん門下には、小三治の兄弟子になる立川談志(1936.1.2〜2011.11.21)という「落語の革命児」がいた。
革命児とか反逆児とか風雲児と言われたが、談志を「名人」と呼ぶ人はあまりいなかった。しかし、その破天荒ぶりのためか小三治よりもはるかにファンが多かった。
75歳で咽頭癌のために死んだ談志だが、もう亡くなってからちょうど10年が経つ。そのためか、NHKBSプレミアムで2007年に初放送された「立川談志71歳の反逆児」が再放送された(10月13日)。
立川談志。享年75。
2006年にNHKが密着取材しているのだが、2011年に死ぬまで悩まされ続ける咽頭癌の兆候が現れている。
すでに1997年には食道癌を発症し癌との闘いが始まっていた。さらに老人性の鬱病できわめて不安定な精神状況が見られる。芸も荒れている。
2006年7月のベトナムでの独演会では、十八番の「芝浜」の冒頭ですっ飛ばしをやって、客に詫びて、最初からやり直していてる。
また、10月の熊本県八代市での寺での独演会の「お化け長屋」では、高座に上がってから、しばらくして「なんかこの噺おかしいんじゃないか」と言い出して、演題を「紙入れ」に急遽変更している。
70歳を超えて、急激に記憶力が衰えていたのが分かる。しかも、喉に違和感があるのか絶えず喉に薬を噴霧している。声もしわがれ声である。引退のタイミングを逸してしまったようだ。
唯我独尊で気分屋のためか、裸の王様になってしまって、真剣に助言する者がいなかった悲劇なのだろう。それを引き受ける生き様も立川談志の一種のダンディズムなのだろう。
大して旨くもない飲食店の主人から壁に架ける色紙揮毫を求められて、「我慢して食え」と書いた男である。
私は立川談志の高座は、亀有のイトーヨーカドーホールで聞いたことがある。「やかん」と「二人旅」だった。あれは2005年ぐらいだろうか。なかなか良い出来だった。
終了後に、ホールのホワイエで談志所蔵の映画ビデオの販売会をやっていて、バンダナ巻いた談志本人と話すこともできた。初対面の人にはえらく丁重なのが意外だった。 そのときに買ったビデオはどこに行ったやら。
私にとって落語家といえば、昭和の名人である志ん生、文楽、圓生、五代目小さんの4人は別格とすれば、志ん朝、談志、小三治が同時代を生きることができた3人ということになる。