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あのマスコミ嫌いで有名な「コム デ ギャルソン(Comme des Garçons)」のデザイナー川久保玲が2日連続でTVに登場してインタビューに応じた。

 10月20日のTBSの『NEWS23』と翌日のNHKの『ニュースウォッチ』だ。紙媒体のインタビューにもなかなか応じない彼女がなぜTVに登場したのだろうか。

 両インタビューともに彼女が語っていたことは「もの作りのパワーの大切さを見てもらうため」あるいは「こんな時期だからこそ何か新しいことに向かって進まなければならないのじゃないか」という2つのことだ。

「耳の悪い」視聴者ならまるで「気合いだ!気合い!」と吠えるアニマル浜口みたいに思ったかもしれないし、口さがない連中からは「最期を意識してるのではないか」などという声も聞かれている。

 そもそもこの2つのインタビューは、9月末の朝日新聞のインタビューを見た両番組の担当者がTVインタビューを申し込んだらすんなりOKが出たということらしい。

 いずれにしても川久保玲にとっては右も左も分からない50年ほど前にTVに登場して以来ということになるらしい。

 私流に解釈すれば、セレクトショップ「ドーバー」プロジェクトとインバウンドによって好調を続けていたコム デ ギャルソン社といえども、今回の新型コロナウイルスによって少なからぬ打撃を受けたので、1000名に及ぶと言われる内外のコム デ ギャルソン社員に向かって、TVを借りてエールを送るとともに、「コム デ ギャルソン」というブランドの存在を日本人にアピールしたように思われる。

 この2つのインタビューのあった10月19日に南青山にあるコム デ ギャルソン本社において発表された2021年春夏ウィメンズショーは20体ほどのコレクションで、2回に分けて40人ほどのジャーナリストなどが招かれた。

 テーマは「不協和音」。もちろん欅坂46のヒット曲ではない。

 例えばディズニープリントと素材が醸し出すアンバランスな関係がむしろ心地よさに変わっていくというような川久保玲のお家芸ともいえるテーマのひとつである。

 しかし思えば、1969年の創業、そして1981年のデビューから実に40年間も続いたパリコレ。今回コロナ感染を危惧してパリコレは行わなかったが、頭の下がるような執念である。

 考えてみれば、いわゆるアヴァンギャルドを代表するファッションデザイナーというのも、マルタン・マルジェラ(Martin Margiela)が去り、「アントワープの6人」と言われた前衛寄りのデザイナーの中では、色彩の魔術師として大成したドリス・ヴァン・ノッテン(Dries Van Noten)を例外として、そのほとんどは引退したり、あまりその活動の詳細も分からなくなってしまった。

 そのドリスも2018年にはスペインのプーチ・グループ傘下に入ってしまった。要するに「そして川久保玲が残った」のである。これはもっと特筆大書されるべきだろう。

 よく並べられて語られることの多いデザイナーはミウッチャ・プラダ(Miuccia Prada、1949.5.10〜)だが、彼女は言うまでもなくラグジュアリーブランド「プラダ(PRADA)」の永続こそがテーマであって、自らの創作意欲が減退したならばラフ・シモンズ(Raf Simons)という共同クリエイティブ・ディレクターを招き入れるのである。

 アヴァンギャルドなデザイナーにとって創作意欲の減退は、即ち引退である。川久保玲はそうした綱渡りの日々を送っているに違いないのである。それは孤独な営みであろう。

「『反骨精神』って言ったらおかしいけれども、何か普段から『こんなことがあっていいのか』と思うことに対していつも憤りを感じながら、それをエネルギーにしながらやってきたということだと思います」とインタビューで川久保は話した。

 何に憤っているのだろうか。私は2度彼女にインタビューしたことがあるが、「服が多すぎます」というのと、あからさまには言わなかったが、デザイナーを傭兵化して自分たちのブランドのために酷使してしまうラグジュアリーブランドのコングロマリットに対しては不快感を隠さなかった。

 TBSのインタビュアーが、山本寛斎と高田賢三の死について感想を求めたが、「残念としか言えません。私もそんなに若くありませんから」と答えていた。

 思い出した。私のインタビューの時もこう言われた。「誘導尋問してもリップサービスはしませんからね」

 そんな彼女の苛酷な闘いを見守っていきたい。

(2020.10.30「岸波通信」配信 by 三浦彰 &葉羽

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