岸波通信その91「フレディもしくは三教街」

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Present by 葉羽
「古都」 by MusicMaterial
 

岸波通信その91
「フレディもしくは三教街」

1 晩鐘

2 防人の歌

3 フレディもしくは三教街

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  Praying for anti-war  (2018.3.25改稿)当初配信:2003.11.29

フレディ 私はずっとあなたの側で
 あなたはすてきな おじいさんに なっていたはずだった
  ・・・詞:さだまさし

 通信その87「償い」に対して多くのレスをいただきました。

 そのレスのほとんどは、通信その89「皆レス4」でご紹介させていただきましたが、一番長いレスをお伝えできませんでした。

 そのレスをくれたのは、「僕達のラーメン道」の“冷たいラーメンの悲劇”でお馴染み、心優しきクマちゃんです。

まっさんカレンダー

さだまさしカレンダー

 ということで、今回の通信は、クマちゃんからいただいた「償い」のレスにお答えするスペシャル編です。

 

1 晩鐘

 さて、クマちゃんからいただいたレスは次のようなものです。

 まっさん編第四弾「償い」ありがとうございます。

 懐かしく思い出したり、新しい発見があったり、とにかく楽しく読ませていただきました。

 それにしてもこの通信、あまりにも内容が豪華なので、一回で紹介するのはもったいないのでは?(例えば「案山子」、「関白宣言」「償い」の3部作に分けてもいいのでは?)と思ってしまいました。

 まっさんファンの私としては一気に読めますが、あまりそうではない方には、せっかくの「償い」までたどり着かないのではないか、と心配になるのでした。(老婆心ながら)

クマちゃん

 あっ、そうか~。そこまでは考えなかった!ノッてくると、ついつい書き込み過ぎたり、複数本のテーマを一本に詰め込んだりするのが僕の悪いクセ。

 ページがある原稿用紙に書くのと、真っ白なWebのテキストで書くのでは、そのあたりが一番注意しなくちゃならない点ですね。気をつけましょう。

 ところで、久しぶりに「風見鶏」のジャケットを目にして嬉しくなりました。

 実は、私が生まれて初めてレコードを買ったのは、中1の時。それが「風見鶏」だったのです。(しぶい中学生だったもんです。)

 お年玉で小さなレコードプレーヤーを買って、ついでに買ったのがこのアルバム。わくわくしながら針を下ろし、一曲目の「最終案内」がかかったときに思ったことは、「あ、回転数を間違えたか?」

 そう、それくらい、あのイントロはゆっくりに聞こえたものです。

 このアルバム、「つゆのあとさき」「飛梅」など、本当にいい曲が詰まってますね。中でも、歌で心が揺さぶられるという感覚を私に教えてくれたのは、最後の曲「晩鐘」です。

 当時、この歌は恋人を交通事故で亡くした歌だと思っていました。だって「信号を待ちきれなかっただけ」とか「交差点で風が止まった」なんて歌詞なもんですから。

 それは男女の心の動き比喩的に表現したものなんだなと感じるようなったのは、それから何年か後のことです。やっぱりまっさんの詩は実に深い・・・。

 この歌のせいでしょうか。私の一番好きな絵はミレーの「晩鐘」です。

クマちゃん

 昔の曲って、本当にスローテンポ…そして伴奏が質素。カラオケ屋で数少ないまっさんの曲をかけてもらうと、オリジナル伴奏のままなので、いきなり盛り下がったりする…「檸檬」とか。

←(ただでさえ地味なの多いし…。)

 だけど、出だしは地味に始まっても、サビからぐーっと盛り上がる曲もある…「飛び梅」とかね。そうですか、クマちゃんのオススメは「晩鐘」なんですね。

晩鐘

♪風花がひとひらふたひら君の髪に舞い降りて
 そして紅い唇沿いに秋の終わりを白く縁取る
 別れる約束の次の交差点向けて
 まるで流れる水の様に自然な振りして冬支度
 僕の指にからんだ 最後のぬくもりを
 覚えていたくてつい立ち止まる
 君は信号が待ち切れない様に
 向こう岸に向かって駆けてゆく
 銀杏黄葉の舞い散る交差点で
 たった今風が止まった

 「皆レス4」のイプセさんのレスにもあったように、まっさんの曲は、言葉を聞くだけでその場の情景が浮かんできます。

 この曲でも、舞い散る風花の白、紅い唇、髪の黒、銀杏の黄色など鮮やかな対比が使われていて、美しい風景写真を見るようです。

 思うに、まっさんは「季節感」や「風景のディテール」を曲に閉じ込めて、その時空の中で「想い」を綴る…だから、感情を表現する言葉ばかりでなく、情景も一体となって聞く人に語りかけてくるのでしょう。

「心変わりを告げる君が痛々しくて 思わず言葉をさえ切った僕」

 まっさんの人間としての優しさがにじみ出ているような言葉です。

風見鶏

風見鶏


 

2 防人の歌

  さて、最近とある方(協会S氏)から「日本で反戦ソングを歌う歌手はいますか?」と聞かれ、うーん、泉谷しげるかな?喜納昌吉かな?などと悩んでしまいました。

 でもあとでよくよく考えてみると、さだまさしほど戦争のむなしさや悲しさを詩に込め、我々に伝え続けている歌手もいないと感じています。

 かつて、「防人の歌」が映画「二百三高地」の主題歌になったとき、「さだまさしは右翼歌手だ」などと批評されたこともありました。

 きっと詩に込められたメッセージによく耳を傾けない人が、映画のイメージだけで判断してしまったんですね(関白宣言の時と同じように)。

 これほど命の重さや愛の尊さを歌った歌はないと思うのですが。

クマちゃん

 本当に貴方のいうとおりだと思います。確かに「右翼歌手」というとんでもない中傷が世を駆け巡ったことがあります。

 「二百三高地」…戦争それ自体が肯定されるわけではありませんが、その悲劇の中で、国やふるさとや家族を命を懸けて守った人たちがたくさんいたのです。

 “戦争=悪”という単純な図式の下に、自分たちを守って誇り高く戦って死んでいった祖父たちの世代、その一人ひとりの人生を愚かだと呼ぶことなど誰にもできないはずです。

 しかし、誇り高い兵士を映画で描けば、直ぐに「右翼」、「戦争美化」というレッテルを貼り、その時代や時代を生きた人間の尊厳さえも貶めていく・・・そういう一面的な報道がまかり通ることが、この国の本当の悲劇だと思います。

←(アメリカでは、誇り高い兵士を描いた映画は絶賛されるのに…。)

 まして、「防人の歌」。あの時この曲を“戦争賛美だ”と批判した人たちは、愛する人やわが子を戦地に送り出さねばならなかった人々の“心の慟哭”・・・この歌の意味を、本当に理解していたのでしょうか?

防人の歌

♪おしえてください
この世に生きとし生けるものの
すべての生命に限りがあるのならば
海は死にますか 山は死にますか
風はどうですか 空もそうですか
おしえてください

 まっさんは、この曲を「反戦歌とは魂の叫びであるはずだ」という考えで作ったそうです。

 そして、おびただしい“死”が描かれたこの映画…まぎれもなく戦争の悲惨さ、愚かさを描いたものであったと思います。

 映画のラストシーンが忘れられません。夏目雅子さんが泣きながら黒板に書いた文字、それは…「美しい国、日本」 。

「二百三高地」ポスター

「二百三高地」


 

3 フレディもしくは三教街

 直接「戦争反対!」と叫ぶのではなく、時に家族や恋人を戦争で失った人の思いを通し、時に戦争に無関心な”普通の”人々の姿を通し、静かでありながら、しかし強いメッセージが詩に込められている。

 だから聴く人それぞれの心にじんわりと響くんですね。

 例えば「フレディーもしくは三教街」、「祈り」、「前夜」や「空缶と白鷺」など。次回はぜひ、この辺の歌を取り上げて下さい。

クマちゃん

 もともと、プロテスト・ソングというものは、そういうものだったはずです。

 1950年代末、キングストン・トリオが「トム・ドゥーリー」で火をつけたフォークソング・ブームの中から、ジョーン・バエズやボブ・ディラン、ピーター・ポール&マリーらのスターが誕生し、やがて、アメリカがベトナム戦争の泥沼に向かう中で、プロテスト・ソングが歌われるようになりました。

 そこで歌われたのは「花はどこへ行った」、「悲惨な戦争」、「風に吹かれて」…いずれも恋人などを戦地に送り出した者たちの視点から、悲しみを訴えたものでした。そこには“戦争反対”などという歌詞は、一つも出て来はしないのです。

 そして…ジョン・レノンの名曲「イマージン」もまた、静かな反戦歌でした。

 まっさんの歌は、それらの曲と同じ視点に立っているのだと思います。

フレディもしくは三教街-ロシア租界にて-

♪フレディ あなたと出会ったのは 漢口
 揚子江沿いのバンドで
 あなたは人力車夫を止めた

 フレディ 二人で 初めて行った レストラン
 三教街を抜けて フランス租界へとランデブー
 あの頃私が一番好きだった
 三教街のケーキ屋を覚えてる?

(中略)

 本当はあなたと私のためにも
 教会の鐘の声は響くはずだった
 けれどもそんな夢のすべても あなたさえも奪ったのは
 燃えあがる紅い炎の中を飛び交う戦斗機

 フレディ 私は ずっとあなたの側で
 あなたはすてきな おじいさんに
 なっていたはずだった

 この曲の舞台は、国・共内戦から太平洋戦争へと傾斜していった時代の中国湖北省の省都漢口(ハンカオ:現在の武漢)です。

 愛する人と一緒に、歳をとるまで幸せに暮らそうとしていた夢、そんな夢さえも無情に奪っていった戦闘機。胸が締め付けられるようなラブソングです。

 これが誰の話であったかは、また編をあらためて書きますが、当時の漢口は、世界の列強が租界を形成していた国際的な貿易都市で、物語はサブタイトルにもあるように、ロシア租界での出来事でした。

 ロシア租界には、当時、ユダヤ教とキリスト教とロシア正教の三つの教会があり、“三つの教えを持つ街”ということで「三教街」と呼ばれていたのです。

 そして、そこで芽生えた愛は、あっけなく砕け散っていきました。本当にあっけなく…。

宵闇を待つ

宵闇を待つ

(さだまさし)

 この日本も「戦争」というものを現実感を持って受け止められらない世代が多くを占めるようになりました。

 まっさんもそしてその同世代の僕も、もちろん自ら戦争に行ったわけではありませんが、その戦火をくぐった世代を両親に持ち、荒廃から復興に向かう誰もが貧しかった時代を経験した者です。

 海の向こうの戦争…それは現実感の無いものであるかも知れませんが、この「フレディもしくは三教街」のように、今も日常的に壊され、奪われていく“愛”があることを忘れてはならないと思います。

 この地球上から戦火を無くしていくためには、「戦争」というものを起こさせないことはもちろんですが、今そこに戦争があるのならば、その現実から逃避するのではなく正面から「悲しみ」を見つめていく・・・それが大切なのではないでしょうか?

 

/// end of the “その91「フレディもしくは三教街」” ///

 

《追伸》

 図らずも、まっさん編の第5作となりました今回のスペシャル回答編でした。特に力を入れていただいたレスには誠意を持って対応するのがこの「岸波通信」のモットーです。

 JUNの例のレスも無駄にしないよ!…太太(タイタイ)さんからもレスをいただけると合わせ技一本にしますのでよろしく。

 クマちゃんのハンドルネームをどうしようかと思ったんですが、ご本人から次の書き込みが。

 レス集に取り上げて頂くほどの内容でもないのですが、引用はまったく構いません。

 主幹同様、「隠れ」ファンではないので、くまちゃんでいいです。(笑)

クマちゃん

 ということで、今後もこの名前、この顔で行きます。(似てるでしょ?)

 外の皆さんも、アンサー編対応しますので、よろしくお願いいたします。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

雨の中で熱唱

雨の中で熱唱

(さだまさし)

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To be continued⇒“92”coming soon!

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