《追伸》
たった一日で迷惑電話商法規正法案を通してしまった米国の上・下院。5000万人の登録者という圧倒的な国民の声を正義とし、すぐさま政治が動く・・・こうしたことを米国では「Political
Will(政治の意志)」と呼びます。
しかし、そのPolitical Willさえ、場合によっては「違法(違憲)」であることもあるのです。
実は、同様の考え方が、何と、あの中国にもありました!
←(中国と米国って、文化や価値観的に最も遠いと国と感じるのは僕だけでしょうか?)
それは、三国志の時代、劉備玄徳ら桃園の三人が掲げた「侠」という価値観です。
←(劉備玄徳は「仁義の人」としても有名ですが・・・。)
この「侠」というのは、「たとえ法に背こうとも、義理を重んじ、男としての生き方を通す」という考え方で、この現代日本にもそういう人々がいらっしゃいますネ。(←小さな声)
しかし、あの頃の中国といえば、後漢朝の統制が崩壊し、世は群雄割拠のさなか。中原を統べる法の成立など望むべくもなかった時代です。
←(漢朝の威光は凋落の一途。ましてや当時の中国の法は「天子」の治世の手段でしかありませんでしたから・・・)
だからこそ、「法」よりも「侠」を優先させねばならなかったのでしょう。
ひるがえって、21世紀の現代米国、国際社会のルールよりも米国民の声や国益を優先して政治が動く。民主主義の根本は「法治国家」ではなかったのか?
かつて、わが国の平和主義を「一国平和主義」と揶揄した人々がいました。今もいます・・・そうかも知れません。
ならば、米国の民主主義は「一国民主主義」に陥ってはいないか?
そうしたイデオロギーが許されるなら、たとえ全世界が民主主義国家になろうとも、結局は「一国民主主義」というイデオロギー同士の衝突を生むことになりはしないか?
今、真に求められているもの・・・それは国連を軸とした「国際民主主義」という新しい価値観ではないのかナと思います。
←(「電話商法」の話から一気に飛躍してしまいましたが・・・)
では、また次の通信で・・・See you again !