岸波通信その81「ギムレットには早すぎる」

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Present by 葉羽
たそがれのルパン」 by Fra's Forum
 

岸波通信その81
「ギムレットには早すぎる」

1 長いお別れ
  THE LONG GOODBYE

2 ギムレットには早すぎる

3 ハードボイルドの美学

4 ミランダ警告(ダディ編)

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  It's a bit too early for a gimlet  【2016.8.7改稿】(当初配信:2003.8.24)

「事件についても僕についても忘れてくれたまえ。
 だが、その前に、僕のために「ヴィクター」でギムレットを飲んでほしい。」
  ・・・レイモンド・チャンドラー「長いお別れ」

こんにちは。ハードボイルドに憧れ、ハードボイルドな男達を愛するデイジーよ。

(ハードボイルド・ダディ) やあ、デイジー久しぶり。

ええ、ダディ。メーテルが今、出産準備で取り込み中だから、代わりに私が“ミステリの洒落た会話”について語る「やさしく殺して」の続編を引き受けるわ。

そいつぁ、ありがたいね。よろしく頼む。

「大いなる眠り」レイモンド・チャンドラー

私はドアの鍵をあけ、彼女を私の私室に通した。

新しくもないくすんだ赤いじゅうたん。

緑色の書類箱が五箱。

…その中の三個にはカリフォルニアの空気だけが入っている。

まずは、私の一番のお気に入りのくだり…ハードボイルド・ミステリの巨匠、レイモンド・チャンドラーの「大いなる眠り」の一節よ。

 彼の描くダークでアンニュイな世界、奔放なように見えて計算され尽くした繊細な描写…。

 最近の世の中、ヘンに重苦しいストーリーや甘ったるいラブ・ストーリーばかりだわ。こういう気のきいた言葉で綴られるストーリーに出会うことは稀だわね。

デイジー嬢

ご本人の写真を出せないので、
似たイメージを使わせていただきました。

え?違っ!? …はい、ゴメンなさい。
デイジーはもっとキレイです。
(性格、キツイけど…)

 ハードボイルドの世界の男達はいつも犯罪や死と背中合わせ…。

 人間、楽しいときには誰だってジョークの一つもとばせよう。でもそれは当たり前。せっぱつまった命の瀬戸際に、あるいは大決断を強いられる厳しい瞬間に、洒落たジョーク、貴方言えますか?

 そういう時こそ、男は殺し文句でうならせてくれなくちゃあね…。

ということで、通信の81と82は、ダディのミステリ談義の仲間達から、メーテルさんの代打を買っていただいたデイジーさんと美齢さん(後編で登場)の協力を得て、海外ミステリに登場する洒落た会話編を前・後編でお届けします。

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1 長いお別れ THE LONG GOODBYE

「ギムレットには早すぎる」…これは、同じくチャンドラーの名作「長いお別れ」に登場する有名な言葉。

 ハードボイルドと言えば暴力的なもの、と決めてかかる人もいるわ。でも、それは大きな誤解ってものね。

 例えば、このフィリップ・マーロウ、たしかにケンカはそこそこに強いけれど、本当に強いのは彼のメンタルな面。どのような事態に陥っても自分の人生観とスタイルを決して曲げない。その鉄の意志こそが彼の持ち味よ。

 気に入らないヤツはぶちのめすといった小説はただのバイオレンス・ストーリー。

 そこには洒落た会話もなければ男の優しさもない…むしろ、精神的にはお子様の部類じゃあございません?

「THE LONG GOODBYE」

レイモンド・チャンドラー

 でも、ギムレットがそこにあれば、必ず語られるこのセリフ・・・実はマーロウの言葉ではないことはご存知?

 半可通な男ほど、知ったかぶりで恥をかくものだけれど、これは彼の友人のテリー・レノックスが言った言葉。その辺のいきさつを紹介するわ。

 ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ。

 ほかには何も入れないんだ。マルティニなんかとてもかなわない。

 友人の テリーがそう言うと、マーロウは「僕は酒に関心を持ったことが無い」と、サラリとかわしているわ。そう、マーロウはもともとお酒にこだわりを持つ人間ではなかったのよ。

 このレシピのギムレット…ローズのライム・ジュースというのは、色のことではなくて、ローズという会社で作ったコーディアル(ライム・ジュース)のことね。

 今は、コーディアルを使わず、フレッシュ・ライムを搾リ入れることもある…でも、それじゃあ、チャンドラーがギムレットに託した伏線は伝わらないわ。

 コーディアルを使ったギムレットは、とびっきり「甘い」ってこともご存知かしら?

ギムレット

 このテリーは、実に情けない男で、いつもゴミのように酔い潰れている。大金持ちの娘と結婚したのはいいけど、愛想を尽かされてあっさり捨てられる。

 何とか復縁すると今度は、妻が殺されてその容疑をかけられ、逃亡の手助けを唯一の友人であるマーロウに求める…。

 そう、ローズのギムレットは、このテリーの甘ちゃんな性格を暗示しているのね。

 君のような人間はいつも「すまない」と言ってる。

 しかも、言うのが遅すぎるんだ。

 だから、マーロウにそう言われてしまう…「反省だけなら、サルにもできる」ってことね。

 でも、その二人が会ったバー「ヴィクター」では、ローズのコーディアルを置いていなかった。しかたなく、砂糖とビターで整えた普通のギムレットを二人で飲む。そして、テリーは無事逃亡し、残されたマーロウは逃亡を手助けした罪で逮捕される。

 ところがテリーは、マーロウに宛てた遺書を残して自殺してしまう…マーロウは釈放になるけれど。

 その遺書には…

 事件についても僕についても忘れてくれたまえ。

 だが、その前に、僕のために「ヴィクター」でギムレットを飲んでほしい。

 マーロウは、「ヴィクター」を訪れ、テリーのレシピでダブルのギムレットを味わう。そのローズのギムレットは、薄緑の神秘的な色で、「柔らかい甘さと鋭い強さがいっしょになっていた」とあるわ…。

 「人間は行動では分からない。人間を判断するなら、その人間を知らなくてはいけない。」

 ようやくマーロウは、テリーを本当に理解し、彼が好きであったことに気付く…そして、浴びるほどの酒を飲んで彼への想いに浸るのよ。

デイジー嬢


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2 ギムレットには早すぎる

 この後のマーロウのセリフも泣かせるわよ。

 僕はまだほんとのサヨナラを言ってない。

 君がこのコピーを新聞に出してくれれば、それがサヨナラになるんだ。

 ずいぶん遅くなったがね。

 テリーを陥れた事件の全貌を暴くため、我が身の危険を顧みず、事実を公表することを決意するマーロウ…親友へのサヨナラを心の中で言うためだけに危険に身を晒すのよ。

 でも、事件が落着し、命をかけてテリーの名誉を守ったマーロウの前に、死んだはずのテリーが姿を現す。彼は変装して他の人間に成りすまし、難を逃れていた、というワケね。

 さあ、その時ね。あの有名なセリフが出てくるのは…。

 彼は手をあげて、色眼鏡をはずした。

 人間の眼の色はだれにも変えることができない。

 「ギムレットにはまだ早すぎるね」

 どうして、テリーがそう言ったのかお分かりになる?

 ギムレットを飲んで自分を忘れてくれと遺書に書いたからよ。僕はまだ生きている、そう伝えたかったのね。

 テリーは、マーロウに対する感謝と友情の気持ちで一杯になっていから、当然、友情の証であるギムレットを二人で飲もうと誘う。

 さぁ、その時、マーロウはどうしたと思う?

BAR

 これがハードボイルドでなければ、幸せ一杯のハッピーエンドで終わるところね。

 だけど、それじゃあ、このミステリが名を残すことにはなっていなかったでしょうよ。

 マーロウは、テリーと酒を交わすことを頑として拒んで、こう言うのよ。

 君とのつきあいはこれで終わりだが、ここでサヨナラは言いたくない。

 ほんとのサヨナラは、もう言ってしまったんだ。

 ほんとのサヨナラは、悲しくて、さびしくて、切実なひびきを持っているはずだからね。

 本当の友情と別れって、そういうものなのかも知れないわ。

 これがタイトル「THE LONG GOODBYE」の本当の意味…そうして、男はまた、つらい明日を生きてゆくのね。

なるほど、デイジー。見事な解説だなぁ…。

もう一つ、付け加えるわ。ギムレットのことだけど…

ほほう。カクテルはさすがにメーテルのオハコのはずだが…。

ギムレットは、フレッシュ・ライムを搾った方が美味しそうだけれど、実際に飲むと、ライムの酸味が強すぎて飲みにくいのね。

 ライム・コーディアルは、ただのライム・ジュースではなくて、色を透明にしてシロップで味付けした果汁飲料だから、その甘さが飲みやすくしているし、何と言っても、生のライムを搾るとカクテルが濁ってしまうのよ。

 だから、「長いお別れ」に出てくるように、神秘的な薄緑がかった透明なギムレットにはならないの。

 せっかくキレイな色を楽しみたいのに、台無しにしてしまうように感じるわ。

ギムレット

ふーん、なるほど…だが日本ではローズ社のライム・コーディアルは輸入されていないとも聞いたけれど?

確かにお目にかからないわね。でも、市販されている果汁飲料としての瓶詰めライム・ジュースを使ったものは、近い味になっていると思うわ。

そうか…ではそのうち、プラウディアのジェイクにでも作らせてみるとしよう。

デイジー嬢


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3 ハードボイルドの美学

 「ハードボイルド」とは、従来の本格推理小説が謎の理論的解明を生命とするのに反して、物語の中の人物の行動が犯人推定の基盤をなしているので、多分なエロティシズムが盛られている。

…と言ったのは誰だったかしら、ダディ?

そいつは、江戸川乱歩がミッキー・スピレインの「大いなる殺人」の添え書きに贈った言葉だね。

ハードボイルドと言えば、ハメット、チャンドラー、ロス・マクドナルドというのが正統派の系譜ね。

そして、70年代からネオ・ハードボイルドのクライムリィ、90年代はペレケーノスだろうな。

ブリティッシュ・ミステリに代表される本格物は、事件と謎解きがメインだったけど、ハードボイルド・・・特に巨匠チャンドラー以降は「事件」が隅っこに追いやられて、探偵の私生活や取り巻きの人間模様が中心になってくるでしょう?

だから「長いお別れ」でも、謎解きよりも男の友情がテーマになっているのさ。

「さあ、謎解きごっこ始めましょうね。ヒントはこれよ。さあさあ、おりこうさんは答えを言ってごらんなさい」…そういうミステリがいまだにあるけれども、そこにはセクシーな大人の男は出てこない。

 だから、この言葉はハードボイルドをじょうずに表現していると思うわ。

 でもハードボイルドには、もう一つ共通の特徴があるように思うの。

 もう一度、マーロウのケースで言うと、彼は成熟した女、それも十分に言葉で渡り合えるようなしたたかな女しか愛さない。

 例えば、次の「かわいい女」…

「かわいい女」レイモンド・チャンドラー

「あなたの仕事は、どのくらいのお金になるの?」

「普通は25ドル」

「一日25ドルなのね」

「哀れな、悲しいドルさ」

「とても淋しい?」

「燈台のように淋しい」

 「かわいい女」に出てくるマーロウと女優メイヴィスの会話よ。

ところが彼女は、初対面のマーロウをいきなり象牙柄の22口径で殴って気絶させているね。その直前に、マーロウは「キミはレディだということを忘れないでもらいたいね」と言うけれど、彼女はどうもレディではなかったらしいな。

 そう。その後、撮影所のセットの片隅で二人が交わした会話がこれ。

 このメイヴィスは、とても魅力的な女性として描かれているのだけれど、マーロウは彼女に十分な関心を抱きつつも、結局、彼女を抱きはしない。

 それは、彼女と対照的に、理知と清純さを兼ね備えたアン・リアダンという「さらば愛しき人よ」の理想的な伴侶型の女性に対しても同じ…。

 つまり、気を引かれる魅力的な女性に対して、マーロウは決して手を出さない…純情というか、ヘンなストイックさがあるのね。

 そして、彼が寝るのは、離婚歴のある、怜悧でセクシーなリンダ・ローリング。

 彼女と最初に出会ったシーンが、さっきの「長いお別れ」の中で、死んだ(と思った)テリーを偲びながらヴィクターでギムレットをあおっているシーンっていうのは言うまでもないわね。

 ほかにも…


「大いなる眠り」レイモンド・チャンドラー

「あなたみたいな冷血動物、見たことないわ。
フィルって呼んでもいいでしょう?
私のこともヴィヴィアンって呼んでいいわよ」

「ありがとう、リーガン夫人」

「地獄でも行きなさいよ、マーロウ」


 このヴィヴィアンも口は悪いけれども、真っ赤な唇、ひきしまった身体、美しく高慢で孤独で、マーロウの知性と対等に渡り合える魅力的な女性…マーロウは心の中では魅了されている。

 だけれども、ここでもやはり、マーロウは彼女を抱かない。主人公の女性に対するストイックさ、ビヘイビア…こういったスタイルが、その後のハードボイルドに強く影響を与えている、と思うわ。

 これが、ハードボイルドのベースにある「男の美学」ってものね。

ジェイムズ・ボンドは、その後のスパイ小説に逆の影響を与えているけどね…。ハードボイルドの名言レビューありがとう、デイジー。

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4 ミランダ警告(ダディ編)

前編の最後に、僕からのレビューを一つ。

 よくアメリカの映画やテレビドラマを見ていると、警察官が被疑者を逮捕する時に、凄い勢いで通告をまくしたてる場面が出て来ることがあります。

 これは被疑者の権利を伝えるミランダ警告(Miranda warnings)と呼ばれるもので、その内容は、次のようなものです。

  MIRANDA WARNING

1. You have the right to remain silent.
2. Anything you say can be used against you in a court of law.
3. You have the right to consult an attorney before questioning.
4. You have the right to have your attorney present with you during questioning.
5. If you cannot afford an attorney, one will be appointed for you at no expense to you.

 この権利項目は、1966年のアメリカ連邦最高裁での「ミランダ対アリゾナ州」裁判の際に示されたもので、エルネスト・ミランダという男が窃盗の容疑でフェニックスの警察に逮捕された時に、黙秘権があることを知らされず、別の誘拐事件についても自白をさせられてしまった、という事件が契機になっています。

 黙秘権そのものは、合衆国憲法修正第5条の「何人も刑事事件において、自己に不利な供述を強制されない」という規定によって、全ての国民に保証されている権利ですが、そのことをミランダは知らなかった訳です。

 一旦は20年の刑が決まりましたが、弁護側による訴えが認められ、「被疑者のもつ権利についてあらかじめ知らされなかった場合の自白は無効」との最高裁の判断に基づいて再審が開かれました。


「ダーティハリー」(1971年/アメリカ)


 しかし、2度目の法廷で、ミランダの自白は証拠にならなかったものの、友人の証言が新たに証拠として採用され、結局は有罪となりました。

 どんな犯罪を犯した者であっても、その権利は侵されてはならないというフェアネスの精神ですね。

 まあ、当のミランダは、不名誉なことで歴史に名を残すことになってしまいましたが…。

 ところで、このミランダ警告が出てくる洒落たミステリがあります。

 それは、ダグラス・E・ウィンターの「撃て、そして叫べ」に出てくる次のような一節…。

「撃て、そして叫べ」ダグラス・E・ウィンター

「金銭的余裕がなくても、希望すれば尋問を受けるまえに弁護士を依頼することができる。

 おまえにはこれらの権利がある。

 警官が教えてくれるのはここまでだが、ほかにもいくつかあるだろう。

 だがな、おまえには、おれを虚仮(こけ)にする権利はないんだ」

 …そうまくしたてるなり、もう一発殴った。

 お後がよろしいようで。

 では、“ミステリの洒落た会話”の後編、通信その82「死にゆく者への祈り」で…。

 

/// end of the“その81「ギムレットには早すぎる」” ///

 

《追伸》

 ミステリ翻訳者の小泉喜美子さんは、そのエッセイ「やさしく殺して」の中で次のように述べています。

 「ハードボイルドは、爛熟した、ややアブノーマルですらある都会の世界を一人の探偵役が醒めた眼で見つめながら苦笑いとともに洩らすワイズクラックの切れ味にこそ値打があるので、その辺を理解できぬ人には永遠に無縁のものだろう。」

 ワイズクラック・・・それこそまさにハードボイルドの醍醐味。最近、世間がギスギスしているせいか、デイジーさんのいうように、そうした洒落た会話に触れることは稀になってきたように思います。

 そして、それは、色々な角度で物事を見ることができる力、現実にのめり込まず、一歩醒めた目で真実を見極める能力と深く関わっているような気がします。

 間もなく短かった今年の夏も終わり、秋の夜長がやってきます。月の美しい夜には、ハードボイルドでもいかが?

 

 では、美齢(メイリン)登場、デイジー再び炸裂の後編で・・・See you again !

美齢(メイリン)

←後編「死にゆく者への祈り」は、美齢さんのレビューで。

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To be continued⇒“82”coming soon!

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【岸波通信その81「ギムレットには早すぎる」】2016.8.7改稿

 

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