岸波通信その80「百年の孤独」

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Present by 葉羽
「smoke」 by Music of My Mind
 

岸波通信その80
「百年の孤独」

1 本当に酒が好きなヤツ

2 百年の孤独

3 ハナタレの至福

4 ヤマタノオロチが飲んだ酒

5 美少女の噛み酒

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  Loneliness of hundred years 【2018.3.25改稿】(当初配信:2003.8.18)

そんなふうにしたら…酒がもったいない。」
  ・・・春彦

 就職した頃は、ほとんど酒が飲めませんでした。

 そこで一つ質問ですが、貴方は酒が好きですか?

 私は、就職する前から、酒が好きでした。 えっ? 矛盾している? そうですか。それでは、もう一度尋ねましょう。

「貴方は酒が好きですか、それとも酔っ払うことが好きですか?」

カクテル・グラス

 思うに最近の日本、本当に酒が好きなヤツってのが減って参りましたな。みんな、しょーがなく酒を飲んでいる

 やはりというものは、ぬばたまの歯に染みとおるように味あわなければなりませんな。

 ということで、今回の通信は、日本民族と酒の話をお届けしましょう。

 

1 本当に酒が好きなヤツ

 学生の頃のこと。友人に春彦という同級生がいた。

 我々が学生の頃、仲間と酒を飲みに街に出る、ということはほとんど無かったように想う。まあ、金が無い貧乏学生だったということもあるが、仲間と街に出れば、酒場よりも雀荘パチンコ屋というのが、いつものパターンだった。

 でも、そんなある日のこと、誰かが「酒飲みにでも行こうか?」と切り出し、皆、さして気乗りもしないまま仙台は国分町の街中に繰り出した。

縄のれん

 こういう時、大体最初に盛り上がるのが荒井岡崎牧野。ツマミにされるのがキャッチボールでボールが真っ直ぐに投げられなかった建一郎岸波は、そこそこに盛り上がり、そこそこに冷静。吽野は、ハタからは決してそう見えないが、自分では盛り上がっているつもり・・・。

 我々が酔っ払って、ハチャメチャになってきた頃、実は、そこにもう一人の男がいたことに気付く・・・それが春彦

 この男、饒舌ではないが、実に楽しそうに黙々と杯をあおっている。・・・そう、ただ一人の本当の酒好きである。

 酒の席が盛り上がってくると、そこはついつい若気の至り。さあ、もっと飲め、ヤレ、イッキとかが始まる。いやー、もう勘弁などという者も出るし、あまつさえ吽野、今にも吐きそうな気配・・・。

 しかし、この春彦、決して他人に酒の無理強いなどはしない。そういう状況を目のあたりにすると、むしろ、ちょっと悲しげな表情さえ浮かべる。

 そこで「おい、どうした春彦?」と聞くと、春彦がポツリと。

「そんなふうにしたら・・・酒がもったいない。

 ・・・シビれたな。そのセリフ。

熱燗徳利

 就職をすると、いろいろな場で酒を飲まなければならない機会も増えてくる。忘年会、新年会、付き合い酒、結婚式・・・。酔っ払って騒ぐヤツ愚痴を言うヤツ絡むヤツ泣き出すヤツ男女かまわずキスを迫るヤツ・・・。

 そんな飲み方ばかりしていては、酒がかわいそうだろう

 人生を重ねてきた今だからこそ言える。春彦、オレはオマエともう一度、うまい酒が飲みたいなぁ。

 

2 百年の孤独

 世の中、再び焼酎がブームのようである。

 焼酎といえば、私が昔就職した当時、職場のT先輩がいつも宴会で唄う歌があった。

   焼酎のうた (作詞者不詳) 

 民族の酒、焼酎は、安くて回りが早い

 焼き鳥固く冷えぬ間に 早くも頬を染める

 高く上げ杯を その下でくだを巻く

 特級酒去らば去れ 我らは焼酎飲むぞ・・・

 もともとは労働歌というのだろうか、「赤旗」の替え歌だったらしい。二番や三番はだんだんとその「本質」が露骨になってきて上司は嫌な顔をしていたような気がする。しかし、この一番の歌詞・・・好きでしたな。

 「民族の酒」・・・ここのところが、何とも郷愁をくすぐる。・・・いい歌いい酒である。

 周知のとおり、安く手に入る焼酎は「庶民の酒」として親しまれてきたが、その理由の一つは、税率が外国産のウイスキーなどと比べて圧倒的に低かったからだ。

 ところが10年ほど前、EU(欧州連合)が「同じ蒸留酒でありながら税率に差が有りすぎる」と抗議をし、両者の税率が段階的に調整されることとなった。そして、2001年10月からは、芋焼酎など「焼酎乙類」の税率も引き上げられた。

度数25度の焼酎で1.8リットル当たりの税額が446円58銭

 でも、まだ焼酎には割安感がある。・・・何と言っても、基本価格が安いですからな。特に、缶チューハイは、手ごろな値段で若者にも相変わらずの人気。まさに「大衆酒」の面目躍如である。

 そんなポップでお気楽な焼酎のイメージだが、いやはやどうして「ただものではない焼酎」も存在するのである。

焼酎

 先だって、九州へ旅行に行っていた友達Kが帰って来た。

 私の家に「岸波。オマエのためにコレを買ってきた。まあ、賞味してくれ」とぶっきらぼうな添え書きとともに届けられた包み

 開けてみると、これが夢にまで見た本格焼酎百年の孤独」ではないか!

 昔、宮崎県に出張旅行した際、には聞いたものの入手することはかなわず、空想ばかりが広がった幻の逸品である。

 その箱にはこう書かれている。

長期貯蔵大麦焼酎

 「百年の孤独」は、大麦製の焼酎を長期間貯蔵し熟成させることによって造り上げた本格焼酎の絶妙なる逸品です。

 貯蔵される麦焼酎の原酒は、明治十八年創業以来受け継がれてきた百余年の伝統技術により、あくまでも手造りの麹と、選りすぐった大麦のみを原料とし、ホットスチルによる単式蒸留方式で造り上げます。

 そして、その原酒を長い間、静かにひっそりと眠り続けさせることによって、よりまろやかな、より風味豊かな焼酎へと熟成させていきます。それはまさに、伝統の技永い時の流れが生み出した焼酎の傑作といえます。

 「百年の孤独」の琥珀色は、永い眠りの間に染み透った熟成によるものです。余分の色素を風味を損なわない濾過で取り除くことにより、あくまでも自然でさわやかな透明感をもった琥珀色をしています。

 「百年の孤独」の醍醐味をお愉しみいただくには、ストレートオン・ザ・ロックス、もしくは水割り50/50が最適です。

 

アルコール分:40% 容量:720ml
販売会社
合資会社 黒木本店
宮崎県児湯郡高鍋町北高鍋 776
Tel: (0983)23-0104

 なるほど。さもあらん。

 度数が40度・・・既に、ここからしてただものではない。キリッと冷やして、ストレートでちびちび。

 んまいーっ!

 をポンと叩き、思わず天井を指差す。・・・まるでBフレッツの仲居君である。

 その佇まい、かすかな琥珀の風情。立ち上るえもいわれぬフレーバー。目を閉じれば、ガルシア・マルケスのノーベル賞受賞SF「百年の孤独」のストーリーがしばし脳裏をかけめぐる。

 「百年の孤独」ガルシア・マルケス

 そうか、こんな骨太の焼酎が日本にはあるのだな。・・・日本人に生まれて本当によかった。

 よ、まことに持つべきものは友達だ。礼を言う。

 これも「私の人徳」と言うべきか。 (←おいっ!)

百年の孤独

 この幻の焼酎、定価は2571円だが、入手困難なため、プレミア価格で売られることが殆どだそうな。首都圏であれば7000円は下らない。店によっては、他の焼酎と抱き合わせ1万数千円で売られることもあるとか。

昔、ドラクエ2のソフトも製造が追いつかず、そんな無法な売り方をして問題になったものだが。

 早速、に電話を入れ、「百年の孤独」に尽きせぬ礼を言う。だが、小奴、さらに意外な事を言う。

 

3 ハナタレの至福

「百年の孤独に勝るとも劣らない焼酎が、いま九州で続々と生まれている。知っているか?」

 …電話の向こうでが言う。

 ほ、本当かっ! (←おいっ! ヨダレっ。)

 この逸品に勝るとも劣らない・・・しかも「続々と」とは面妖な。何か新たな醸造技術でも導入されたのか?

「いや、造り方は昔ながらの本格焼酎の製法そのままだ。」

 はて? ならば、原材料に画期的な工夫を加えたとか?

「いや。それも昔のままだ。」

 ???

 謎が深まるKの言葉。よくよく聞いてみると、昔ながらの製造工程で生み出される焼酎、その最も旨い部分だけを製品化したのだそうな。

 その名「ハナタレ」。 ←(何かちょっと、引いてしまうような響きだが・・・)

 それでは、から入手した超高級焼酎ハナタレ・・・極めて稀少なために、めったにお目にかかることのできない酒であるが、その情報についてご紹介しよう。

 ←(読者の中には、既に賞味された方もおいでかもしれないが・・・)

  このハナタレ・・・かつては、蔵人しか味わうことができなかった由。何故ならば、蒸留開始後、最初の数分間だけ抽出される清冽な高濃度酒精分だからである。

 そのアルコール度数は、何と70度!

 焼酎のもろみを蒸留する過程で、最初に抽出装置(垂れ口)から出てくる部分を「初垂れ(ハナタレ)」または「初留(しょりゅう)取り」と呼び、少し度数の下がった部分を「中垂れ」、最後の部分を「末垂れ」と言う。

 これまでは、これら全体を混合し25度から35度で商品化されていた。

(45度を越えると、酒税法上「スピリッツ」となり、焼酎の税率が適用されなくなる。)

 しかし、この清冽な酒精分ハナタレの旨さをそのまま味合わない手はない、ということで、ハナタレだけを分離し、45度まで薄めて売り出されたのが「初留取り本格焼酎」、あるいは商品としての「ハナタレ焼酎」だ。

←(したがって、本来のハナタレを飲めるのは、やはり蔵人たちだけである。)

 このハナタレ全体の2~3パーセントしか取れない貴重な焼酎で、焼酎本来の旨さとエステル成分がかもし出す独特のフルーティな芳香が楽しめるトロリとした酒・・・。

 度数が高ければ、酒は凍ることがないので、これを冷凍庫で冷やし、ストレートでチビチビやるのが通の飲み方だそうである。福島で手に入れるのは中々難しいが、運が良ければネットで購入することもできると言う。

 そこで、から聞いたオススメは以下である。

破壊王 蔵の師魂 初垂れ 伝承かめ造り 羊

◆原料
さつま芋・米麹
◆43度
◆300mL 
◆年間採算本数
?本
◆蔵元
鹿児島県出水郡高尾野町
神酒造(株)

◆原料
さつま芋・米麹
◆44度
◆300mL 
◆年間生産本数
700本
◆蔵元
鹿児島県日置郡日吉町
小正醸造(株)
◆原料
さつま芋・米麹
◆43度
◆360mL 
◆年間生産本数
500本
◆蔵元
宮崎県串間市
宮崎県酒造(株)

破壊王」・・・凄いネーミングである。名焼酎「百年の孤独」といい、この「破壊王」といい、九州の酒造界には、ネーミングの天才がいるようだ。

先行モニター配信の読者から寄せられたマル秘情報

 百年の孤独は確かに手に入りにくいけど、似たような味で手にはいるのは雲海酒造の綾セレクション(2,400円前後)樽で寝かしているのでウイスキーにも似ている。比較的焼酎の品揃えの多いところでは販売している。

 ハナタレ奥の松が鹿児島から原液を仕入れて、「ノクオ」という名前で杉本酒店限定で販売しているものがある。5,000円とちょっと高いが芋と米?があり、ぎりぎりの45度で味は絶品です。

 さて、この焼酎の「ハナタレ」も我が国に古来から伝承された酒としては、かなり濃厚な部類であろうが、古代においてはさらに濃厚な酒が造られていた可能性がある。

 そして、それを飲んだのは、どうやらヤマタノオロチらしい…。

 

4 ヤマタノオロチが飲んだ酒

 これほどに我々の生活に密着してきた酒。その起源についてはいろいろな説があるが、よく分かっていない。

 そもそも酒の起源は、「猿酒」といって、猿が木の上に隠した木の実などが発酵したとする説もあるが、別に猿を持ち出さなくともいいのではないか?

  ←(コレじゃない!)

 天然の果実が熟れて微生物が付着し、自然発酵してアルコールになる、ということは普通にあったように想う。

 そして、人類が最初に計画的に造った酒は、こうした天然発酵のしくみを解明して製造した果実酒であろうと考えられている。

 紀元前3000年頃には、ぶどう酒メソポタミアで飲用されていたという記録もあり、我が日本でもしばしば縄文土器の中から山葡萄の種の痕跡などが発見される。

 そういえば、青森の三内丸山遺跡(紀元前4000年~紀元前3500年)からも、山葡萄の種を一箇所に大量に捨てたと考えられる跡が発見されている。

 このような発見から、我が国では既に縄文時代より、果実や木の実(クリ、クルミ、シイ、トチ、カヤ、ドングリなど)で造られた酒があったという説が有力になっている。

 「古事記」、「日本書紀」の中にも、古代日本における酒の存在をうかがわせる記述が見られる。有名なところでは、スサノオによるヤマタノオロチ退治の伝説だ。

【スサノオによるヤマタノオロチ退治伝説】 日本書紀(口語抄訳:岸波)

 スサノオヒノカワカミ(肥の河上=斐伊川の上流)のトリカミ(鳥髪)に行くと、河に箸が流れてきたので上流に人がいると思い、登ってみると、老夫婦と娘が家の中で泣いていた。

 スサノオ「お前たちは誰なのだ」と聞くと、老人は「私は国つ神、大山都見神の子でアシナヅチといい、妻の名はテナヅチ、娘はクシナダヒメという」と言う。

 そして「お前が泣く理由は何だ?」と聞くと「私の娘は本当は八人いたが、高志(コシ=能登)のヤマタノオロチが毎年来て食べてしまうのだ。今、そのオロチが来る時なので泣いているのだ」と言う。

 さらに「その形はどのようなものか?」と質せばヤマタノオロチというのは目がホウズキのように赤く、八つの頭八つの尾を持ち、背中に苔や檜、杉の木が生えて、その長さは八つの谷と丘をまたぎ、その腹からは絶えず血がしたたり落ちている」と答える。

 さて、どうしたものかと思案した結果、スサノオクシナダヒメに化け、酒でオロチを酔っ払わせてから退治しようということになった。

 まず、家の周りに垣を廻らせ、八つの門を付け、その門ごとに酒樽(八塩折の酒)を台の上にのせて用意させ、クシナダヒメを櫛に変身させて自分の髪に刺してからオロチを待った。

 そして言ったとおりオロチはやって来た。・・・作戦どおり各頭ごとに酒を飲ませ、酔っ払って寝てしまったオロチの首トツカツルギ(十拳剣)という剣ではねて殺した。

 尾に切りつけた時に刃こぼれしたので、不思議に思い尾を裂いてみると、中からアメノムラクモノツルギ(天叢雲剣=後の「草薙の剣」:三種の神器)が出てきた。

 さてここに、「八塩折之酒(やしおおりのさけ)」という名前の酒が出てくる。

 「」というのは、日本では「多い」ことを表す数字。・・・「八百万神(ヤオヨロズノカミ)」とか、村田英雄の名曲「王将」の歌詞「八百八町」のように用いられる。

 また「」は、強く舌に残ることで「味が濃い」という意味。そして「」は、「繰り返して仕込む」という意味である。

 さすれば、「酒を水の代わりに使って何度も繰り返し仕込んだ味の濃い酒」ということになる。

平安時代初期の記録にも、儀式などに使う最高ランクの酒は、水の代わりに酒で仕込んだと記されている。八塩折之酒の伝統だろうか。)

 うーむ。確かにこれは凄い酒になりそうだ。さすがの「ハナタレ」もかなわないに違いない。

 杯を傾ければ「たっぷん」と揺れる、喜多方の名醸「弥右衛門酒」のようなものか・・・?

 ところがっ!

 このヤマタノオロチの酒を本当に造ってしまった人がいるのである。

 その人の名は、東京農業大学の小泉武夫教授。彼がこの醸造法を再現した話が「酒に謎あり」に載っている。

酒に謎あり

(小泉武夫著)

 果たして実験の結果は、大方の予想に反し、醸造を重ねるごとにアルコール度数がどんどん低下して、ついにはアルコール度数3度という酒になってしまったというのである。

 どうしてこんなことが起きるのか? …これは、アルコールが凝縮する力よりも糖分や酸性分が凝縮する力の方が強いためであるらしい。

 醸造の都度、糖度や酸度の値は上昇し、アルコール度数は3度しかないのに糖分は34度という、とてつもなく甘酸っぱい酒が出来上がったそうだ。

 それなのにオロチは、前後不覚になるほどグデングデンになってしまう・・・きっと女殺しと言われる「スクリュードライバー」のように、口当たりが良くてどんどん飲むうちに酩酊してしまう・・・そういうタイプの酒だったのであろう。

それともオロチの体内には、アルコール分解酵素が少なかったのか?(笑)

 また、スサノオについては、このヤマタノオロチ説話のほかにも、「高天原(タカマガハラ)」で泥酔し、アマテラス落花狼藉をはたらいて追放されたという説話が同じ日本書紀に残されている。

 どうもスサノオは、出雲に来る前は、どーしよーもない「はねっかえり」だったようである。

 ところで、ここに出てくる酒は「衆果(あまたのこのみ)をもてつくられた」とあるので、やはり果実酒であったのだ。

「アマテラス=卑弥呼説」と酒について

 アマテラスが出たついでである。

 卑弥呼が「記紀神話」の中の一体誰なのかという問題は、本居宣長九州の蛮族の女酋だとするまでは、長く神功皇后だと考えられていた。

 現在は、卑弥呼は、国造りをしたイザナミ・イザナギの三貴子の筆頭アマテラスであろうとする説が有力視されている。

 また、現代天文学は、卑弥呼失脚の原因の一つとなった日蝕の起きた時期を、地球の自転のズレを考慮して計算した結果、西暦247年であったと推定している。

 さらに、3世紀に著された「魏志倭人伝」には、倭人に酒を飲む風習があったことが記されており、邪馬台国が何処にあったにせよ、3世紀中葉の卑弥呼の邪馬台国(アマテラスの高天原)では、酒を飲む風習が根付いていたことだけは確かなようである。

※ 「魏志倭人伝」は、中国西晋の時代に陳寿(232~297)によって書かれた正史(中国の王朝が正当な歴史書と認めた書物)、「三国志」の中にある。

  この「三国志」は、「魏書三十五巻」・「呉書二十巻」・「蜀書十五巻」の全六十五巻から構成され、この三書の中の「魏書」の東夷伝倭人に関する記述がある。これを、通称「魏志倭人伝」と呼んでいる。

 したがって、「魏志倭人伝」を正確に言うと、「三国志魏書東夷伝(倭人の条)」ということになる。

 なお、邪馬台国論争は、九州説が優勢になる一方で、朝鮮半島説などの新説も次々発表されており、SF作家の星新一邪馬台国ハワイ説を唱えている。 (←お、おいっ!)


 

5 美少女の噛み酒

 となると、日本酒など、果実酒ではなく米から醸造する酒は、どのようにして誕生したのであろう?

 まず、についてだが、日本列島には、もともとイネは存在せず、海外からもたらされたものだと言う。

 その伝来は、紀元前4世紀頃の弥生時代前期に大陸から「朝鮮半島経由」、「海上経由」、「台湾・琉球経由」の三ルートのいずれか、あるいはそれらの複合ルートで渡来したものと考えられている。

三つのイネ伝来ルート

(朝鮮半島経由 長江下流域経由 台湾・琉球経由)

 しかし、イネの伝来時期については、既に縄文時代に渡来していたとする説が、最近注目を浴びている。

 そもそも、弥生時代を伝来時期としていた根拠は、弥生時代遺跡から水田跡が発見されたためであったが、静岡大学の佐藤洋一教授が縄文遺跡から炭化した米を発見したのである。

 何故、水田が無いのにが存在したのか? ・・・その謎の答は、教授が炭化米のDNAを分析して明らかにされた。

 その縄文の古代米は、イネの発祥地である中国長江流域と同じ、陸稲熱帯産ジャポニカ米であったのだ。

現在のような水田で生育させるイネは温帯産ジャポニカ米。これに対し、古代米と呼ばれる黒米・赤米などの熱帯産ジャポニカ米は水田無しにも生育可能だ。

 ならば、そのイネからが作られたのはいつ頃なのか?

 「日本書紀」には、木花咲爺姫(コノハナサクヤヒメ)が、狭名田(サナダ)の稲を用いて天甜酒(アマノタムケザケ)をかもしたという話が残されている。

 米を原料とする酒という点では、これが我が国の文献上、初出である。

 アマテラススサノオが3世紀中頃の実在の人物だとすれば、木花咲爺姫の存在した時代は、少なくともそれより後~3世紀後半から4世紀にかけての頃だと考えられる。

 では、その醸造方法はいかに?

古代米「赤米」の陸稲

 そもそものようなデンプン質に変化させるためには、まず麹菌を蒸し米などに付着させ、アミラーゼを生成することによって、デンプン質をブドウ糖に糖化させることが必要だ。

 しかし、このような麹菌を直接用いる方法は、時代が下ってから実現された比較的新しい技術で、木花咲爺姫が考案していたとは考えにくい。やはり彼女は、原始的な醸造方法「口噛み」によって酒をかもしたものと思われる。

 「口噛み」は文字通り、人間の唾液中の糖化酵素によってデンプン質を分解し、空気中の野生酵母を吸着させてアルコール発酵を行うもので、古代、東アジアから東南アジア太平洋地域、果てはメキシコペルーなど中南米アマゾン流域にかけて広く行われていた方法である。

 山口大学安渓貴子氏の「酒づくりの民俗誌」によれば、沖縄の西表島の豊年祭では、大正末期までウルチ米を原料にした口噛み酒が造られていたそうである。

 6升入りの大鍋6人の娘さんが取り囲み、割れ米をくだいて炊いたご飯を朝から昼過ぎまでかかって噛む。噛んだら吐き出して別の鍋にためる。・・・これを二日間繰り返し、今度は石臼で挽いて甕にため、三日間も置けば酒に変化するのだそうだ。

 この噛み手の娘さんたちは、すべて選りすぐられた美女、そして処女であることが条件であった。

 しかしながら、こうした神事の風習も大正末期までで行われなくなった。安渓氏によれば、「昭和の衛生観念が古風を廃れさせた」ということだ。

ヨーロッパのワインづくりでも、裸足で葡萄を踏み潰す役目は同じく処女限定。それにしても、何故に美女? 何となく分かるような気もするが。

先行モニター配信の読者から寄せられたマル秘情報

  前に聞いた話で、ある大学で口噛み酒を作る実験を行ったということであるが、女子大生の作った口噛み酒は呑まれたが、教授の作った口噛み酒は当然・・・orz

(※この「教授」も前出の東京農業大学の小泉武夫教授らしい。小泉教授哀れ・・・。なお、別の先行読者の情報によれば、この小泉教授、福島県出身者だそうである。)


 かつて、ローマ時代の詩人ホラティウスは、”ギリシャはローマに支配されたが、ローマはギリシャ文明に魅了された”という名言を残した。

 その受け継がれた文明の大きな要素の一つがギリシャ・ワインだったのである。

 このように、は常に人類の歴史と共にあり、人々は佳き酒を造り出すことに並々ならぬ情熱を注いで来た。

 そのようにして「百年の孤独」や「ハナタレ」など、日本民族の酒からも人類文化史に名を残すような名酒が生み出されるようになったのである。

 さて、我々人類は将来、百年の孤独を癒すようなディオニソスの“神の美酒”を超える究極の美酒までも、この手にすることができるのであろうか?

 

/// end of the “その80「百年の孤独」” ///

 

《追伸》

 大勢の仲間とワイワイやる酒・・・それはそれで楽しいが、やはり私は、気の置けない友人数人と酒の味そのものを味わうような飲み方をしたいと思う。

 それにしても、ここ最近の「飲み放題・食べ放題、○○円ぽっきり」という文化・・・アレは何とかならないものか?

 そういう飲み方ばかりしていると、たまにいい酒を飲んでも、やはりそういう飲み方しかできなくなるのではないか。

 そうだろ、春彦。・・・そんな飲み方ばかりしてたら「酒がもったいない」!

 

《追伸2》

 でいつも思い出すのが、学生時代、友人の潤の影響で読んだ筒井康隆の掌編「あるいは酒でいっぱいの海」。

 物語の主人公は、放課後、いつものように化学実験室で実験をしいてる時、とんでもないものを作り上げてしまう。

 それは、触媒の働きをして水をアルコールに変えてしまう物質。それを預かった主人公の父は、海に出た時に誤ってそれを海中に落としてしまう。当然、エライことになる。海の水がどんどん酒に変わって行く・・・。

 もう、主人公はヤケになって、手元に残された触媒入りのアルコールを飲んでみる。

 だが、それを飲み干してから気が付く・・・人体の99パーセントもまたであったことに!

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

百年の孤独

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To be continued⇒“81”coming soon!

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【岸波通信その80「百年の孤独」】2018.3.25改稿

 

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