岸波通信その60「サヨナラだけが人生だ」

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岸波通信その60
「サヨナラだけが人生だ」

1 型破りの文学との出会い

2 奔放な文学作品

3 厄除け詩集の超訳漢詩

4 サヨナラだけが人生だ

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  Farewell Story  【2016.7.31改稿】(当初配信:2003.4.20)

「コノサカヅキヲ受ケテクレ ドウゾナミナミツガシテオクレ
 ハナニアラシノタトエモアルゾ 「サヨナラ」ダケガ人生ダ」
  ・・・井伏鱒二訳 (漢詩「勧酒」作:于武陵)

 こんにちは。学生の時、漢文が大の苦手だった葉羽です。

 この「通信その60」を当初配信したのは、2003年4月20日でした。思えば、福島県を訪問していた中国共産党代表団の一行を無事福島空港から大阪へ向けて送り出したその日のうちに、一気に書き上げて配信したものです。

 北京と湖北省からいらしたお客様は、党中央の政治局員である愈閣下のご一行。一党独裁の中国では、いわゆる閣僚クラス。

 本年度最初の大きな行事だったわけですが、よく考えてみれば、その頃の北京って、重症急性呼吸器症候群(SARS)が広がって大変な時期だったはず。本当にご苦労様でした。

SARS流行りし頃

←SARS流行時のウエディング。

 ところで、中国と日本は、共に漢字文化の国。日中友好民間団体共催の歓迎夕食会でも話題が尽きず、大変盛り上がりましたっけ。

 というわけで、当初配信の際にも多くのレスをいただきましたこの井伏鱒二編の「サヨナラだけが人生だ」…「漢詩」と「型破りの文学」の話です。

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1 型破りの文学との出会い

 皆さんは、学生時代、そもそも「文学」はお好きだったでしょうか?

 僕は、どちらかというと好きな方ではなく、社会科学、自然科学の方に興味を持っていましたので、授業は“流して聞いている”方でした。

 何せ、文学というものは堅苦しい、時代感性が合わない、真面目過ぎて面白くないものと決めてかかっていたのです。

 でも、ある時、そうした見方が「固定観念」であったことを思い知らされます。

  それは、今は亡き母方の祖父が懇意にしていた詩人草野心平さんの『春殖』という詩に触れた時が最初でした。それって、こんな詩…。

  「春 殖」 草野心平

 るるるるるるるるるるるるるるるるるるるる

 どうです、凄いでしょう? これ蛙ですよ、カエル!

 春、おたまじゃくしから孵った蛙が次々と啼きはじめ、どんどん啼き声が増殖していく…。およそ“文学的”とは言えないただの蛙の啼き声。それをそのまんま文字に表現してしまう。

 これも「詩」なのか? 「文学」でいいのかって、目からウロコが落ちた想いがしました。

 芭蕉の「松島や ああ松島や 松島や」という俳句も“そうか俳句はこういうものでもかまわないのか”と驚きましたが、その上を行ってると想いました。

草野心平

 してみると、急に文学というものが、等身大の身近なものに感じられてくるから不思議です。

 それまで、文学史なんかで、「作者」と「題名」だけ丸暗記していたのが急に惜しくなり、いわゆる大作家の有名な作品の中にも奇妙奇天烈なものが潜んでいるに違いないと、あらためて探し読みしてみました。

 そうすると…あったんです、たくさん!

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2 奔放な文学作品

 例えば、泣く子も黙る武者小路実篤先生。その『お目出度き人』の最初の書き出しは…

 「自分は女に飢えている。」

 …って、コレです!

 初対面の読者に向かっていきなりこれ。どこかアブナイ人。あまり「お友達」になりたくない、ってタイプですよね?

武者小路実篤

 それから、田山花袋の「蒲団」。

 これって「自然主義文学」の金字塔の一つだとかなんとか参考書に紹介されていますけど、実際読んでみると、ほんとうにこれでも「文学」なのかって頭を抱えてしまいます。

 内容はというと、小説家である大先生が女学生の弟子をとり、この娘にぞっこん惚れ込んでしまって、「手をだしたくて」しょーがない。

 でも、娘は若くて健全ですから、そのうちにれっきとした同世代の彼氏ができる。

 小説家の先生、これが面白くない。

 ついに逆ギレして、故郷から親を呼び寄せて説教をかまし、「連れて帰れ」と言う。

 だけど先生、冷静になってみれば、もう二度と彼女には会えない。そう思うと、ふかーい後悔の念が沸いてくる。

 オレって何て馬鹿なんだって、自分の髪を掻き乱しながら後悔していると、今度は、彼女のことをいろいろ思い出してムラムラしてきちゃう。

 ついには我慢できなくなって、彼女の寝ていた蒲団に潜り込み、彼女の残り香を嗅ぎながら、シクシク悶え泣きする…って、こんなストーリー!

(…………。)

 今なら、週刊誌やスポーツ新聞に載せるようなストーリーを、恥ずかしげもなく堂々と文学として発表する。

 そこまで欲望ムキ出しの恥ずかしい体験を世間様に晒すなんて、何を考えているっ!

田山花袋

 …とリキんでもしょうがないのですが、よくよく考えてみれば、僕は今まで、文学と言うものは堅苦しいものだと勝手に思い込んでいたのかもしれない。

 別に決まったルールがあるわけでもなく、何らかのメッセージを伝えたり、読む人に感動を与えたり、社会に問題提起したり、時には、露悪趣味をむき出しにしたり、そもそもナンデモアリの世界だったんじゃないか、ってね。

 だから、こういう詩もアリなんだって気が付いた次には、そうか、こういう文学もアリなんだって…やっと目覚めました。

 あぁ、そんなことも知らずに、誤解したまま死んでしまうところだった…。

 で、いよいよとどめが今回通信のテーマになる井伏鱒二氏。

 …井伏先生の作品は、昔から知っていたわけではないんです。前回通信でお送りした「風に立つライオン」も含めて、わが尊敬するさだまさしさん(まっさん)の本で読んだのがきっかけなのです。

 その本、「絶対温度」っていいまして、もうハードカバーは絶版になってると思うんですが、昔、友達の小柴くんから贈られた本なのでとても大事にしています。

「絶対温度」

(著:さだまさし

 で、それをもらったのが、昔、会津でしばらく入院した時のこと。えっ? 何で入院なんかしてたんだって?

 まあ、それはそのーぅ、病名はちょっと置かしていただきますが、その病気、自分自身では入院三日でダイジョウブ、と思っていたんです。

 でも、お医者の診立ては、当分の間、絶対安静! …そうなると、とにかくヒマなので本でも読むしかない。

 そんな時に小柴くんからいただいたのが、この「絶対安静」…じゃなかった「絶対温度」…いい友達を持ちました。

 もちろん、まっさんの本ですから、開始早々から涙を搾り取る感動のエピソードがどんどん展開される。

(まっさんの親父さんが恩人の死に際し、号泣しながら海に向かって再敬礼をしていたシーンは、泣けたました…。)

 そういう進行だから、こっちもついつい油断をしている。病院食のソーメンを食べながらなんて、読んじゃいけなかった。

 感動のストーリーに心満たされていると、今度は、まっさんと井伏先生の出会いのエピソードに急展開する。

 どんな話かというと、まっさんが初めて井伏先生の「顎(あご)」という詩を読んだ時のこと。

 詩の冒頭が…「けふ、顎のはずれた人を見た」!!!

 その瞬間、僕の口の中のソーメンが、鼻の穴からどういう状態になったのか、今ここで書く勇気を持ちません(大笑い)

井伏鱒二

 …この「顎」、井伏先生が電車に乗っていたら、向かい側の座席に座っていた人の顎が突然外れて、本人は大慌て。あせればあせるほど、元に戻らないっていう話(詩?)。

 井伏先生は、その顔を見ていて、ものすごく可笑しいのだけれども、笑っては失礼にあたると思い、一生懸命、吹き出しそうなのを我慢している…もう、たまりませんね!

 これは有名な『厄除け詩集』にあったもの…もちろん買って読みました。ほかにも、詩人の佐藤春夫と一緒に歩いていたら、突然、彼の姿が消えていた! 彼はドブに墜落していた、なんて詩もありました。

 どうです、素敵でしょ?

 それまで考えていた詩って、ハイネやゲーテや上田敏の訳詩のような格調の高いもの…これはこれでバンドの曲を作るときに表現の参考になりましたけれど、井伏先生の詩は全く言葉を飾らない。で、いて“自由奔放”!

 だけど、井伏先生の“自由奔放”が発揮されるのは、やっぱり漢詩の世界においてなのです。

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3 厄除け詩集の超訳漢詩

 井伏先生の『厄除け詩集』には、漢詩の訳詩がたくさん出てまいりますが、これってほとんど“創作”に近いと思います。原詩の情景だけがモチーフに残ってる…。

 じゃあ、どんな具合かってことで、井伏先生の手になる五言絶句の“超訳”をいくつかご紹介しましょう。

  「田家春望」 高 適(訳:井伏鱒二)

 出門何所見  ウチヲデテミリヤアテドモナイガ
 春色満平蕪  正月キブンガドコニモミエタ
 可歎無知己  トコロガ会ヒタイヒトモナク
 高陽一酒徒  アサガヤアタリデ大ザケノンダ

 …とまあ、こんな具合。

 先生の住まいは杉並区の荻窪…阿佐ヶ谷の隣ですね。でも、高適さんてもちろん中国の人。中国の詩なのに、時間も空間も超えている。もう、どこの国の詩だか分りません。

 だけれども、原詩の“気分”は、実に良く伝わってくる。単なる直訳を超えたことによって“心”が入り、文学に“血が通う”のです。

 あの三国志だって、漢文の直訳しか紹介されていなければ、これほど日本の人々に親しまれて来なかったはず。

 吉川英治や陳舜臣がストーリー化した世界を、さらに「日本の殆どの子供たちが知る物語」にしたのは、横山光輝の劇画『三国志』。

 そして、それに触発された数々の劇画や数十本に及ぶテレビ・ゲームでしたし、・・・何と言ってもコミック『蒼天航路』に超訳した王欣太(KING・GONTA)の功績に負うところが大きいでしょう。

 ではもう一つ、井伏先生の“超訳”漢詩を…

  「別廬秦卿」 司空曙(訳:井伏鱒二)

 知有前期在  ソレハサウダトオモウテヰルガ
 難分此夜中  コンナニ夜フケテカヘルノカ
 無将故人酒  サケノテマヘモアルダロガ
 不及石尤風  カゼガアレタトオモヘバスムゾ

 いとま乞いをする客人をいたわりながら引き止める主人(あるじ)の気持ち…とてもよく伝わって来ます。

 きっと二人は、とても信頼し合う友人なのでしょう。まるで「通信その55 此の道、今人棄てて土の如し」で紹介した管仲と鮑叔のように。

 でも、とどめはやっぱり次の訳。唐代の詩人于武陵(うぶりょう)の詩を日本の「全国版」にした名訳です。

 “直訳”と“超訳”の違いを鮮明にするために、最初に「漢文読み」を掲げますので対比してください。

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4 サヨナラだけが人生だ

  「勧 酒」 于武陵(※一般的な漢詩読み)

 勧君金屈巵  君に勧(すす)む金屈巵(きんくっし)
 満酌不須辭  満酌(まんしゃく) 辞するを須(もち)いず
 花發多風雨  花発(ひら)いて 風雨多し
 人生足別離  人生 別離足(た)る

 判るような気もしますが、よくわからない。共感するより読解することで精一杯という感じ。

 だいたい「金屈巵(きんくっし)」って何?「人生、別離足る」…そんな日本語ありませんね。

 訳した文に意味不明な言葉を残しては、そもそも翻訳になってないと思いませんか?

 そこで我らが井伏鱒二先生の登場!

  「勧 酒」 于武陵(訳:井伏鱒二)

 勧君金屈巵  コノサカヅキヲ受ケテクレ
 満酌不須辭  ドウゾナミナミツガシテオクレ
 花發多風雨  ハナニアラシノタトエモアルゾ
 人生足別離  「サヨナラ」ダケガ人生ダ

 素晴らしい! 気持ちの伝わり方が全然違います。

 この訳が無ければ、せっかくの于武陵の名詩もツマラナイ漢文の授業のひとコマの間だけで、学生たちの記憶に留められることはなかったと思います。

 「サヨナラだけが人生だ」…こんな悲しいフレーズどうやって生み出されたのかと言いますと、実はコレ、井伏先生のオリジナルでは無かったのです!

 その驚くべき真実は、まっさんが井伏先生にお会いした時に明かされたそうです。

 で、何故、まっさんが井伏先生と「お友達」かというと、まっさんがカセットブック(語り聞かせテープ)で井伏先生の『厄除け詩集』を朗読することになり、その企画の一環で、対談も収録しようということになったからです。

 その対談で井伏先生の語った真実は…井伏先生の講演旅行の途中で瀬戸内海の因島(いんのしま)の近くを通りかかった時、作家の林芙美子さんが同じ船にたまたま同乗されていたそうです。

林夫美子

 以下は、まっさんが想像した井伏先生と林芙美子さんの出会いのイメージです。

  【まっさんによる井伏鱒二と林芙美子の出会いのイメージ】 

 春のうららかな日差し。うねるようなゆったりとした瀬戸内海の海。
そこを滑るように小さな船が進んでいく。遠くに因島が春霞の中に浮かんでいる。

 何とは無しにデッキに風を受けようと井伏鱒二が佇んでいる。

 乗り合わせた和服の林芙美子が、その脇で何かしら水面(みなも)を見ていて、自分の人生を思い返し、井伏鱒二という人の存在感に甘えるような気持ちになって、ふっとつぶやいた。

 「井伏さん、さよならだけが人生よねえ」 (←少し美空ひばりが入ってる。)

 で、このセリフをいただいちゃったってのが、井伏先生のまっさんに語ったお話でした。

 そこがまた凄い!

 だって、黙っていれば、誰も知るはずのない事を簡単にネタばらししてしまう…自由人なんですね、何事にも捉われない。

 林芙美子さん…「苦しきことのみ多かりき」の『放浪記』を書いたあの人。彼女の話した言葉だったというなら、皆さん、納得いくでしょう?

 だけど、「人生足別離」というイマイチ解りにくいフレーズの訳を考えてる時に、突然、林芙美子さんがさりげなく言った一言を持ってくる…これもまた井伏先生の素晴らしい才能ですね。

若き日の林夫美子

 こんなふうに“超訳”をしてくれれば、あの鬱陶しかった漢文の授業も、もっともっと好きになる学生が増えていたはず。

 それなのに、漢文の授業では、「返り点」やらなにやらの読解技術論が中心。

 そこで思うのですが、そもそも「漢文読み」は必要ないのでは? 同じ漢字を使っているからって、中国の言葉をむりやり日本語読みして順番を変えてみたところで、しょせん、それは日本語にはならない。

 そんなもの普通の日本人には意味がわからない、もちろん中国人にもわからない、わかるのは、返り点を打った当の大先生だけ。そして、それを丸暗記することに教師も生徒も汲々となる。おまけに試験は、正しい返り点の打ち方…って、勘弁してくれ~!

 漢詩というものは、本来、中国語で読むべきではないでしょうか? そして、正しい日本語に翻訳すべきだと思います。英語の詩だって、フランス語の歌だって、みんなそうやってるじゃないですか?

(もちろん、“意訳”はあっていいと思います。)

 そしてまた、異国の文学理解は、「心」や「共感」から入るべきではないか思うが、どうか?

 まあ、反論は数々あろうと思いますが、結局、文学が「学問」というスタンスを取り続ける限り、「研究的価値」はあったとしても「感動」そのものを人々に伝えることが難しくなってしまう気がいたします。

 やはり僕は、井伏“超訳”が横山『三国志』や王欣太『蒼天航路』のように、“本歌取り”をしながら新しい表現で“一番大事な部分を残す”という手法をとっているところにエールを贈りたいと思います。

 たかが文学、されど文学…その本質は“感動”ではないでしょうか?

 

/// end of the“その60「サヨナラだけが人生だ」” ///

 

《追伸》 2003.4.20

 素敵な訳詩をたくさん残してくれた井伏先生。先生が享年95歳で亡くなられたのが1993年7月10日…ちょうど10年前です。

 さだまさしさんが『厄除け詩集』のカセットブックを吹き込むために、先生と対談して3年後に亡くなられました。

 この対談では、井伏先生の出世作『山椒魚』について、驚くべき真実が語られています。その話は、大変面白い話なので、稿を改めて再び取り上げることにしたいと思います。

 じゃ、文学の印象を一変させていただいた井伏先生に感謝して・・・See you again !

《再追伸》 2003.7.21

 この「サヨナラだけが人生だ」を当初配信した際にいただいたレスの中から二つほどご紹介したいと思います。

 学校の国語の授業については、主幹と同じで疑問があります。

 私も漢詩はあまり好きではなかったのですが、実は内容はなかなか面白かったなぁ…と今になって思ったりもします。ちなみに、やったのは「春暁」(?)だったかな。 『春眠、暁を覚えず』ってやつですね。

 私は返り点をうったりするのが、クイズみたいでおもしろいなぁ、と思ってたんですが、内容よりも文法に重視を置いた授業では、せっかくのいい文章が台無しですよね。

 実は、私はふつうの小説を学習するのも、好きじゃありません。だって、作家が魂を込めて書いた小説を、授業で勝手に解釈するのはおこがましいですよね!!

 小説とか、文学と言っても、岸波主幹の書かれたような、おちゃらけたものもあるから奥が深いというか、面白いですよね~!!

 そうですか、返り点が楽しかったとは…様々な感じ方があることを改めて肝に銘じました。

 楽しく読ませていただきました。

 その中でも、
> 「サヨナラだけが人生だ」…こんな悲しいフレーズどうやって生み出されたのかと言いますと、実はコレ、井伏先生のオリジナルでは無かったのです!
 ~ということで作家の林芙美子と井伏鱒二の接点のくだりは大変興味深いものがありました。

 なぜかといいますと私は趣味でVTRを制作していまして、職場でも歓送迎会のおりにプロモをつくって見てもらっています。

 今年度の分散会の〆のナレーションとテロップは寺山修司の「さよならだけが人生ならば 人生なんていりません」という言葉でした。

 これもちょっと素敵でしょ。

 というわけでご紹介まで…ご存知でしたらあしからず~~~

 すごいですね、葉羽はホームページだけでも素材屋で壁紙を探したり、配置や配色を何回も変えてみたり、写真を加工したり、アニメ作ったりで大変な想いをしているのに、プロモVTRとは!

 貴殿制作のホームページも拝見させていただきました。空の広さが、何ともすがすがしいサイトでした。感動しました。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

当初配信時の背景画像

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To be continued⇒“61”coming soon!

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