こうした“手話の排斥”が世界的に広く行われて来たことをご存知でしたでしょうか?
ならば、聴覚障害者は、どのようにコミュニケーションをとればいいのか?・・・それが「読唇術」と「口話法」だとされました。
つまり、聴覚障害者どうしの自然発生的なボディ・ランゲージである手話コミュニケーションを認めず、健常者と同じように聞こえない言葉を聞き、それを健常者と同じように話すことを強いられたのです。
しかし、もともと音が聞こえないのですから、自分でも聞こえない声というものを認識すること・・・そこから既に並大抵の苦労ではありません。
このことは・・・信じられないでしょうが、現代日本でも同様なのです。未だに、聾学校で正式な手話教育は行われていません。
ただ最近のテレビ・ドラマの影響などで、手話に対する社会の認識が改まりつつあり、使用を“黙認”しているに過ぎないのです。
(ここ数年間のボランティアの頑張りで、急速に市民権を獲得しつつあります。)
聾学校では、かつて、手話を使えないように障害者の手を縛って教育するということさえ普通に行われていました。
こうした考え方の源流はアメリカにありました。
アメリカのアレクサンダー・グラハム・ベルは熱心な手話排斥論者で、「合衆国のような英語を話す国においては、英語が、英語だけがコミュニケーションと教育の手段として用いられるべきである。」と主張し、理論的支柱を与えました。
その考え方は長く米国の常識となり、ほんの2、30年前までは“手話根絶運動”さえ行われていたのです。