岸波通信その29「会津リングシティ構想 2」

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岸波通信その29
「会津リングシティ構想 2」

1 過疎の中の過密

2 会津山手線

3 大緑地帯

4 会津リングシティ待望論

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  Aizu Ring City 2 【2018.4.30改稿】(当初配信:2003.9.23)

「中心部は大緑地帯。それを一周する環状都市。
  ・・・会津リングシティ構想

 会津を第二の故郷と考えている僕です。

 長く勤務していたこともあり、茶道を救った会津藩主蒲生氏郷に傾倒していることもあり、何と言っても会津の酒をこよなく愛しますので、他人事には語れません。

 そこで、今回の後編ですが、ヒューマン・スケールの理想都市“リングシティ”の諸条件を備えている都市とは、まさに会津地方なのです。

 でも、それは会津若松市そのものではありません・・・。

会津若松市

会津若松市

←円内が現市街地

 会津若松市は、以下で述べるようにむしろ過密都市であって、クライストチャーチで言えば、大聖堂周辺のかつての密集市街地に相当します。

 しからば、“会津リングシティ”とは何を指すのか・・・?

 ということで、「会津リングシティ構想」の後編です。

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1 過疎の中の過密

 福島県の会津地域は県の北西部に位置し、西端は新潟県、北端は山形県に接し、その面積は約300万ヘクタールで県土の22.3%を占めています。

 猪苗代湖や磐梯山に代表される山岳、湖沼、温泉等の自然環境に恵まれ、慧日寺や鶴ヶ城など古い歴史の町でもあり、近年では、会津大学に代表されるようにIT先進地でもあります。

 しかし、人口は南会津地域を含めても約30万人弱で、県全体の減少率を上回って人口が減少しつつあります。

 特に山間部は、全国で最も過疎化・高齢化が進行している地域の一つです。

過疎・高齢化地域

(奥会津只見線の風景)

 ところが、同じ会津地方の中で過密問題を抱えている地域があるのです。

 「ありえない!」とお思いでしょうが、会津地域の中核都市であり、鶴ヶ城や会津大学のある会津若松市の人口集中地区(DID地区)の人口密度は県内でも最高クラスなのです。

 したがってアパートの家賃も高く、県都福島市や中通り中心部の郡山市などと同じ水準となっています。

 どうしてこんな事が起きるのか?

会津若松市の夜景

(せあぶり山頂から)

←過疎の中の過密

 会津若松市は、もともと鶴ヶ城の城下町。

 城下の道は、敵軍に城を攻められないようにと複雑な袋小路や迂回路で形成されているために、機能的な開発ができなかったのです。

 ようやく近年になって幹線街路の整備が進みましたが、いったん脇道に入れば、昔のままの袋小路が多く残されています。

 このような状態の街区に、周辺の山間地域からどんどん人口が流入したため、街が周辺部に拡大すると同時に、中心部ではアパートや賃貸マンション等のミニ開発が行われたのです。

会津若松工業団地

会津若松工業団地

←過疎の中の過密

 こういった都市形態は、全国のどこにでもある中心市街地から郊外へのスプロール化という事例の一つに過ぎません。

 しかし、過疎化と高齢化が最も著しい地域の一つである会津地方にありながら、狭い都市空間に折り重なるように人が住む“過疎の中の過密”という皮肉な結果がそこにはあります。

 もっとゆったりとした質の高い市街地に生まれ変わる手立が必要ではないでしょうか。

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2 会津山手線

 近代都市に不可欠のインフラと言えば「環状線」です。

 東京にはもちろん「山手線」があり、一千万都民に重要な移動手段を提供しています。

 山手線では東京駅と新宿駅がほぼ対極に位置しますが、この東京・新宿間の距離と、会津地方の中心都市である会津若松市と西部中心都市の会津坂下町間の距離は、実は、ほぼ同じくらいなのです。

山手線

山手線

←東京・新宿間は若松・坂下間とほぼ同じ。

 そのことを念頭に会津若松市周辺の鉄道路線図を見ると、意外なことが見えてくると思います。

 下が、その路線図です。

会津地方の鉄道路線

 真北から会津若松市に進入し、そこから北西に折り返しているのが「磐越西線」です。

 そして、会津若松市から西に大きく迂回しながら会津坂下町まで延びているのが「只見線」です。

 会津坂下町から直近の磐越西線までを結んだ直線距離は、僅か約10キロ足らず。

 仮に、ここを結んだ軌道が補完されるならば、まさに“会津山手線”が完成するのです。

山手線

山手線

←その一周距離34.5キロは、
仮想:会津山手線とほぼ同じ。

 現実の東京山手線も、実は、最初から環状線だったわけではなく、民営の「日本鉄道」が明治18年に品川線(品川~赤羽)を開業したのが最初のスタートでした。

 その後、色々な路線が整備されてそれと接続し、現在の環状運転を開始したのは大正14年のこととなります。それは品川線開業から40年後のことでした。

 では、都市機能の分布は、どうなっているのでしょう。

 もともと、会津盆地南側の都市機能というのは、山岳地帯の裾野に、扇状に形成されています。

 会津若松市から西に、(現在は合併した)旧・会津本郷町、旧・会津高田町、旧・新鶴村から会津坂下町までの断続的な市街地があります。

 そして、会津若松市から喜多方市に向けた磐越西線沿いにも市街地が連続しています。

 考えてみれば当たり前のことで、元々あった集落を結んだのが「鉄道」だったのです。

 軌道が欠けている会津坂下町から湯川村までの間も道路で結ばれており、集落が分散しています。

 つまり、この会津地域平野部を上空から見下ろせば、そこには自然形成的な広域連担都市(リングシティの雛形)が出来上がっていたのです。

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3 大緑地帯

 さて、もう一度クライスト・チャーチの話に戻します。

 このクライストチャーチ、日本の都市に置き換えると、どのくらいの広がりを持っているのでしょう?

 実は、このクライスト・チャーチの街区面積は、東京の山手線周辺から内側の面積とほぼ同一です。

 つまり、会津地方に置き換えれば、仮想:会津リングシティの広がりとも同じと言うわけです。

クライストチャーチのトラム

クライストチャーチのトラム

 世界に冠たる(昼間)人口密集地域である東京の山手線と同じ広がりの中に、クライストチャーチは人口35万人のヒューマンスケールの街を築いたのです。

 そのクライスト・チャーチが“ガーデンシティ”であるために、最も重要な要素は、中央のハグレー・パークを初めとする豊かな緑地帯でした。

 もちろん、東京には、これに匹敵するような大規模公園は存在しません。

 では、会津リングシティではどうでしょう?

 心配には及びません。

 会津リングシティの中央部は、圃場整備が完了した大規模田園地帯~福島県が誇るヒトメボレ・コシヒカリなど良質米の穀倉地帯です。

会津盆地の穀倉地帯

会津盆地の穀倉地帯

 この大規模田園地帯と平野中央を横断する阿賀川・・・ハグレーパークとエイボン川のさらに数十倍の緑地機能、環境浄化機能がそこにあのです。

 もちろん、大きければいいと言うものでもないでしょう。

 しかし、クライスト・チャーチが民有地を買い上げて緑地化したような多大の投資はしなくとも済みそうです。

会津盆地中央を流れる阿賀川

 このように、クライストチャーチを会津平野に投影してみれば、そこに、新たな未来都市“会津リングシティ”の姿が見えてくるのです。

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4 会津リングシティ待望論

 以上が、会津リングシティを待望する理由です。

 クライストチャーチは、空き店舗の緑地化という手段で(ある意味)市街地空洞化を推し進め、低層でゆったりとした土地利用のガーデンシティを作り上げました。

 現在の中心市街地である大聖堂周辺は、商業機能というよりも観光機能の中心となっています。

←(このあたり、“街なか観光”を標榜する会津若松市の七日町通りと通じるものがあります。)

大正ロマンの街づくり

大正ロマンの街づくり

←七日町駅舎

 会津リングシティにしても、単なる環状に連なった都市という形ではなく、その内容のクオリティやエリア毎の個性が重要になるでしょう。

 会津平野の中央に、それぞれの地域の個性が宝石のように煌き、それがネックレスのように輪になった未来都市・・。

 それを実現するためには、もちろん多くの壁もあるでしょう。

 まずは行政区域の壁、最後の10キロ部分の軌道建設、リングシティを念頭にした街区の形成誘導、等々・・。

 それにも関わらず、その可能性を秘めているのは、“会津”をおいて他にないと思うのです。

 

///end of the “その29「会津リングシティ構想2」” ///

 

《追伸》

 この“会津リングシティ”構想は、今はじめて述べる内容ではありません。

 かつて僕が会津地方に勤務していた際に、仲間と共同のプロジェクトでまとめ上げたものです。

 道路担当は本気でリングシティの路線図を引き、景観担当も本気で低層都市の未来図を構想しました。

 そして冊子にまとめたものの、広く公表するまでには至りませんでした。

 会津に高速道路が開通したばかりで、市町村合併も行われていない10数年前では荒唐無稽な話だったのでしょう。

 ←(現在でも十分に荒唐無稽ですが。ふっふっふ・・)

 でも、そんな奇想天外なストーリーを考えた傾奇者たちが、かつて会津にも居たということを記録に残しておきます。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

傾奇者、花の慶次

花の慶次

←傾奇者(かぶきもの)と言えばこの人

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To be continued⇒“39”coming soon!

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