現実の東京山手線も、実は、最初から環状線だったわけではなく、民営の「日本鉄道」が明治18年に品川線(品川~赤羽)を開業したのが最初のスタートでした。
その後、色々な路線が整備されてそれと接続し、現在の環状運転を開始したのは大正14年のこととなります。それは品川線開業から40年後のことでした。
では、都市機能の分布は、どうなっているのでしょう。
もともと、会津盆地南側の都市機能というのは、山岳地帯の裾野に、扇状に形成されています。
会津若松市から西に、(現在は合併した)旧・会津本郷町、旧・会津高田町、旧・新鶴村から会津坂下町までの断続的な市街地があります。
そして、会津若松市から喜多方市に向けた磐越西線沿いにも市街地が連続しています。
考えてみれば当たり前のことで、元々あった集落を結んだのが「鉄道」だったのです。
軌道が欠けている会津坂下町から湯川村までの間も道路で結ばれており、集落が分散しています。
つまり、この会津地域平野部を上空から見下ろせば、そこには自然形成的な広域連担都市(リングシティの雛形)が出来上がっていたのです。