彼は、家電量販店の息子だったが諸般の事情で撤退。郡山で配送の仕事に就くなどして苦労していたようだ。
生涯、独身を通した善哉君だったが、最後の死に顔は安らかだったということが救いに思えた。
クラスが一緒になった記憶はなく、それほど親しい間柄では無かったのだが、いくつか思い出があるので書き残しておこう。
プレ還暦同窓会(2012年)での善哉君
というのも、前回『青山君の思い出』を書いたときに、『冷静と情熱の間に』のホンチさんから「亡くなった方のお話はその人の供養になるって聞きましたよ」という温かい言葉をいただいたからだ。
で、卒業後に同級生たちと再会したのは35歳を迎えた時の『附属中学校学年同窓会』だった。
発案者は誰だったか覚えていないが、僕は福島市在住ということで4組のクラス幹事だった。(1組はモリキ、2組はアンブレラあつし、3組は・・不明)
会場の「杉妻会館」
その同窓会で久々の仲間たちが再結集したおかげで繋がりが戻り、以後、シドニー在住のYasukoの帰国歓迎会をやったり、南風亭イベントをやったり、58歳の『プレ還暦』、60歳の『還暦』、昨年の『古希』同窓会へと繋がった。
なお、20数年前に『Web版 岸波通信』を始めてから、次々に仲間たちが執筆に結集できたのも、こうした集いのお陰と感謝している。