岸波通信その241「青山君の思い出(後編)」

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Present by 葉羽
「SUMMER IN THE ISLAND」 by Music Material
 

岸波通信その241「青山君の思い出(後編)」

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◆「人生を振り返って」シリーズ#40「青山君の思い出(後編)

  青山君と別れて二か月が経ち、再びエトワール海渡にブティックの仕入れに行く時期がやってきた。

 東京泊の一夜をどの友達のアパートにお世話になるかは結構ランダムで「気の向くまま」だったのだが、今回は連続して青山君のところへ行くことにした。

アパレル総合卸問屋
「エトワール海渡」

(浅草橋)

 というのも、前回会ったとき「失恋の痛手」か、あまりにも元気がなかったのが気になっていたのだ。

「また、新しい恋でも見つけていればいいな」と思ったが、彼はそんなタイプでないことにも想いが至った。これがキヨタカだったら、二週間もあれば「次の恋」の話が聞けただろうに()

 浅草橋での仕事の後、缶ビールとツマミを買い込んで本郷三丁目のアパートに向かう。

  缶ビールとツマミ(違っ!)

 出迎えてくれた青山君の表情が思いのほか明るかったことに驚いた。

 (ん、何か”心境の変化”でもあったか?)

 そして夜、一緒に銭湯へ行った後、アパートでささやかな酒盛りだ。

  かんぱい!

 今、これを書いていて思い出したが、大学時代、酒は「イケる方」ではなかった・・というか大して興味を持たなかった。

 自分のアパートの本棚には、10本くらいカクテルの瓶を並べていたが、それはあくまで「来客用」で、普段は並べた瓶を「眺めて楽しむ」だけだったのだ。

カクテルの瓶

←こんなヤツ。

 それほど酒を飲まないのは青山君やキヨタカ、ミツイも同様で、缶ビール一本もあれば十分にハイになることができた。ま、お互い貧乏学生だったこともあるが。

 もちろんそうでない友達もいた。東京のカリスマ彰とかミヤシタ、仙台のハルヒコ(懐かしい~)などは、いつも傍らに一升瓶ド~ンというイメージだった()

  同級生ハルヒコのイメージ(笑)

 例によって青山君とは、互いの近況、最近読んだ本、井上陽水のことなど雑談に花を咲かせたが、話が一巡した頃、気になっていたことを聞いてみた。

「で、前回と比べてイヤにハイだけど、何かいい事でもあったか?」

「あはははは、実は旅をして来た」と青山君。

「え、どこに?」

「レンタカーで九州をぐるっと廻って来たんだ」

「ほぉ~」

  レンタカー一人旅

 旅か・・大学時代は金もないし、ほとんどご無沙汰だった。同じ東北大で医学部にいるカメヤマ君の自家用車に同乗して、仙台周辺をドライブする事はあったが。

 それまでで一番遠くへ行ったのは、「ひと夏のデンジャラス・ストーリー」で札幌のエンドウ君のところへ素寒貧旅行をしただけだった。

洞爺湖

「ひと夏のデンジャラス・ストーリー」より

「指宿って知ってるかい?」と青山君。

 いやいやいや、九州なんてどんな県があったのかさえ覚えていない。それって温泉・・かな?

 青山君はレンタカーを借りて、九州周遊旅行をしてきたらしい。もちろんそれはA子への想いを払拭するための「傷心旅行」だったのだが。

「鹿児島のずっと南、薩摩半島の最南端の町なんだけど、そこの鄙びた温泉宿に向かったんだ」

「いいなぁ、温泉旅行か。しかも九州・・羨ましい」()

  指宿温泉

「だがそこで、思いもかけない事が起こった」

「ん・・何だ?」

「来ていたんだよ・・A子もそこに」

 ええええ~!?

砂蒸し

←指宿温泉はこの「砂蒸し」が有名。

 何たる偶然。互いに傷心旅行で九州の果てまで行ったのに、そこでまた再会しちゃったのかよ!

「目の前で起きたことが全く信じられなかった。向こうもそうだったみたいだ」

 そんなことがあるんだね。驚天動地の奇跡・・神様の導きとしか思えない。

「なんかね・・人知を超えた運命みたいなモノを感じたんだよ」

 青山君は真顔で言った。

「やはり俺たちは別れちゃいけなかったんだ。この先、どんな道を歩んでどんな事があるかもしれないけれど、人生を一緒に歩んでいくのはやはりA子しか居ないと思ったんだ・・」

 青山君は「決意」の表情を見せた。そっか、よかったな青山。(うっうっ・・)

 やがて青山君は志望通り、国家公務員の上級職試験を受けて建設省(現在の国土交通省)に進み、河川の専門家となる。そして、A子と目出度くゴールインする。

 奇跡って本当にあるんだな・・そんな事を感じた若き日のエピソードである。

(このシリーズ完)

 

/// end of the “その241「青山君の思い出(後編)」” ///

 

《追伸》

 2019年にA子さんに看取られて亡くなった青山君ですが、その後有志で開催された『青山俊行さんと語った夕べ』で、A子さんはこんな話をしました。

「・・最後に夫らしいエピソードを紹介させて下さい。家のメンテナンス、自動車修理等、全般においてすごく得意な人でした。

 家ではオイル、タイヤ、ワイパー交換や空気圧調整等自分でしておりましたが、東北整備局長の時に「お迎えの車は何?」と聞きましたところ、なんと答えたと思われますか?

 「黒い車」という返事が返ってきました。車種とかには無関心で全く興味がありませんでした。あーそーだった、こういう人と結婚したんだったとその時つくづく思ったものです。」

 うん、確かにそういう奴だった。だけど、律儀で思い遣りがあって。

 本人は癌で余命いくばくと分かっていたので、知人たちへの「お別れの手紙」を書いていたそうですが、結局、仕上げることなく逝ってしまったとのこと。

 きっとそれが一番の「心残り」だったんじゃないのかな。青山君、僕は君を忘れない。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

在りし日の青山俊行氏

(ダム工学会来賓挨拶)

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To be continued⇒“242”coming soon!

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【岸波通信その241「青山君の思い出(後編)」】
2025.9.10配信

 

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