2019年にA子さんに看取られて亡くなった青山君ですが、その後有志で開催された『青山俊行さんと語った夕べ』で、A子さんはこんな話をしました。
「・・最後に夫らしいエピソードを紹介させて下さい。家のメンテナンス、自動車修理等、全般においてすごく得意な人でした。
家ではオイル、タイヤ、ワイパー交換や空気圧調整等自分でしておりましたが、東北整備局長の時に「お迎えの車は何?」と聞きましたところ、なんと答えたと思われますか?
「黒い車」という返事が返ってきました。車種とかには無関心で全く興味がありませんでした。あーそーだった、こういう人と結婚したんだったとその時つくづく思ったものです。」
うん、確かにそういう奴だった。だけど、律儀で思い遣りがあって。
本人は癌で余命いくばくと分かっていたので、知人たちへの「お別れの手紙」を書いていたそうですが、結局、仕上げることなく逝ってしまったとのこと。
きっとそれが一番の「心残り」だったんじゃないのかな。青山君、僕は君を忘れない。