岸波通信その240「青山君の思い出(前編)」

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Present by 葉羽
「SUMMER IN THE ISLAND」 by Music Material
 

岸波通信その240「青山君の思い出(前編)」

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◆「人生を振り返って」シリーズ#39「青山君の思い出(前編)

 カリスマ彰が「ファッションの達人!」の586号で同年代のプロレスラー、ハルク・ホーガンらが亡くなったことを受け『あと何年?』という記事を書いた。

 思えば、既に鬼籍に入った同級生も多く、この「岸波通信」関係でも、定期的に福島でカラオケ会をやっていたツーさんが遠出は無理な体になったり、JUNがポリープ切除で入院手術したり、大和伸一が胃癌摘出手術したり、カリスマ彰が9月に開頭手術を予定したりと「老い」がひたひたと迫るのを痛感している。

9月に手術予定のカリスマ彰(右)

←撮影:ケメさん

 そんな中、2019年に癌で亡くなった青山君のことを思い出していた。

 僕ら小・中学校の同級生の中では(学校の教師を除き)公務員になった者は少なく、僕が福島県庁、彼が国土交通省(昔は「建設省」)勤務と、数少ない公務員同士、学年同窓会があった時などはいつも二人で意見を交わしていた。

  プレ還暦同窓会(2012.8.11)

 実はそれには伏線があり、中学・高校とクラブも趣味も異なる僕たちは、ひょんなことがきっかけで、大学3~4年の頃に二人だけで会って呑むようになっていたのだ。

 とは言っても、僕は仙台の東北大、青山君は東京在住の東大なので、「あること」が無ければ、ずっと没交渉だったはずだ。

  伊達政宗像(仙台/青葉城跡)

 その「あること」だが、僕が大学3年の頃、アパレルをやっていた僕の母が市内にブティックを開設し、僕がその店の「仕入れ」のため、ふた月に一度ほど東京・浅草橋の「エトワール海渡」に通うことになったのだ。

アパレル総合卸問屋
「エトワール海渡」

(浅草橋)

 仙台の貧乏学生だった僕は、東京在住の友達にも会え、多少の「お小遣い」も貰えるということで二つ返事で引き受けることに。

 東京へ行く都度、事前に友人に連絡を入れ、アパートに泊めてもらう事にした。

 最も多かったのは、やはり「ブラック・マジョリカ」のキヨタカで、時々、映画界志望のミツイや呑兵衛のカリスマ彰、そして、夏休みに福島でたまたま会って約束を交わした青山君だった。

  本郷三丁目駅(丸の内線)

 東大工学部の三年生だった青山君は本郷三丁目のアパート住まい。

 最初の「お泊り」の時には、お互いそれほど親しかった訳でもないので(笑)、近況報告をしたり、趣味や旅の話、同級生たちの消息について面白おかしく話をした。

  猊鼻渓舟下り(実家の社員旅行で行った)

 そして二回目に会った夜、思いもよらぬ話を聞くことになる。

 いつになく暗い顔の青山君・・そう、彼は「大失恋」をしたのだ。

 そしてその相手は、僕も知っている中学時代の同級生女子だった!

現在の福島大学附属中学校

(既に「孫」世代が通学中(笑))

 卒業後の進路など全く考えていない能天気な僕と違い、青山君は「建設省(現在の国土交通省)」を目指して勉学に励んでいた。

 何故「建設省」なのかと聞くと、「他の省庁を受ける道もあるが、工学部出身で「次官」になれる可能性があるのは建設省だけなんだ」と言う。

  現在の国土交通省

 深謀遠慮というか、自分の人生の先々まで見通して計画している彼の考え方・生き方に触れて、たいそう驚いた。

 僕が、自分の将来について突き詰めて考えたことがないのは、たとえどんな仕事に就いても、長男である自分はいずれ実家の家業(アパレル)を継がなくてはならないだろうと思うところがあったからだ。

 ←(ハイ、実に投げやりで、ちゃらんぽらん)

  実家のアパレルを・・

 しかし「失恋」の話に、何で「仕事」の話が絡んでくるのかと訝っていると・・

「付き合ってたのは、同級生のA子なんだよ」と。

 え、なに? A子って確か大きな「華道流派」の娘だよな!? ・・それで合点がいった。

 上級職で建設省に入省すれば、ほぼ2~3年ごとに全国津々浦々の事務所や整備局、さらに都道府県への出向など「旅ガラス」で一生を過ごす事になる。(本省の局長・次官は別にして)

 片や、大きな「生け花」流派を継いでいくとすれば、ずっと拠点の福島から離れることはできなくなる・・そういう事か?

 ってか、そんな事まで話し合って「別れる」ことにしたんかい!?(若いのに!)

華道教室

(流派は・・ナイショ)

 おそらくそれは、恋を諦めた「理由の一つ」に過ぎず、いろいろな経緯(いきさつ)もあったに違いない。

 だが、「嫌いではないのに別れなければならない苦しみ」は強く伝わって来た。

 隣の布団の中で心情を語る青山君の声は、いつしか涙声になっていた・・参った、僕には彼を慰める言葉もなければ、人生経験もない。

「辛いなぁ・・それは辛いなぁ」と、ひたすら相槌を打つのが僕にできる全てだった。

 彼女のことが本当に好きだったんだな・・。

 そして、それから二か月の後・・今度は青山君から信じられない話を聞くことになる。

(To be Continued⇒)

 

/// end of the “その240「青山君の思い出(前編)」” ///

 

《追伸》

 この話は「青春の失恋」に関わるちょっと深刻な話なので、オチャラケは無しで行きます(笑)

 彼が亡くなった後、彼を知る国交省関係の人々が集まって開催した『青山俊行さんと語った夕べ』で、こんなエピソードが紹介されていました。

 青山君が若い頃、和歌山工事事務所長に赴任する以前の所長さんの話ですが・・所管する「紀の川」の河川敷には、戦災の後遺症に端を発する300件近くの違法占拠家屋が残っていました。

 その所長さんは、いくら努力しても一年に10軒ほどしか撤去できず「あと20年も経てば終わるよ」と、自己満足するしかなかったそうです。

 ところが、その数代後に青山君が所長に着任するや否や、一気に残りの200軒近くを撤去したので舌を巻いたという話です。

 うん、確かにそんな「切れ」のいい男だった。本当は結構、涙もろいところもあるんだけどね(笑)

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

在りし日の青山俊行氏

(ダム工学会来賓挨拶)

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To be continued⇒“241”coming soon!

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【岸波通信その240「青山君の思い出(前編)」】
2025.8.27配信

 

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