コンサートは学校の体育館を貸し切りにし、いくつかのグループが出場したが、その中には、通信204「バンドで頑張っていた頃」に出てきた応援団員(当時は応援団長か?)で、後に氷室京介らと「BOØWY」を結成し一世を風靡する高橋マコトもいた。
高橋マコトは同級生の渡辺マコトと「マコ・マコ」コンビで出場し、多分、僕の作詞・作曲した「悲しみ」なども演奏したと思う。
「BOØWY」※二人目がマコト
今になって振り返ってみれば、凄い同級生メンバーと活動を共にしていたものだが、とにもかくにも、僕はこれら二つの出し物を成功させるべく陰で必死に練習していた。
"頑張ってる姿"は他人に見せない主義(笑)
しかあしっ!! そんな最中の僕を、中学以来の友人である三浦彰(現在のカリスマ彰)が訪ねてきた。
「なあキシナミ、今度の文化祭なんだけど・・」と彰。
「ああ、そのせいでオレは大忙しだ。なにせ二つもビッグ・イベントを抱えちゃったからな」
「春の海」演奏:宮城道夫と ルネ・シュメー
「いや、ソレなんだけど・・」
「なんだ、聴きに来てくれるのか?」
「いやいや、もう一つ付き合わないか? 映画を自主制作したいんだけど」
ええええ~!?
とんでもないヤツだ。応援するどころか、この期に及んで難題を吹っ掛けようとするのか?
詳しく聞いてみると、彰とは犬猿の仲だけれど才能はあるカノマタが、当時流行りだした8ミリ・ビデオカメラを使った自主上映を計画していて、それに触発されたらしい。