岸波通信その207ひと夏のデンジャラス・ストーリー①

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Present by 葉羽
「SUMMER IN THE ISLAND」 by Music Material
 

岸波通信その207
「ひと夏のデンジャラス・ストーリー①」

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◆「人生を振り返って」シリーズ#06 ひと夏のデンジャラス・ストーリー①

 大学二年の夏休みの話である。その204「バンドで頑張っていた頃」で高校時代バンドを組んでいたキヨタカから電話が来た。

「暇なんだ。これから街に出てこないか?」

 暑い夏だったと思う。半袖シャツに当時流行のGパン、履物は高校時代からの定番「下駄」という軽装(イデタチ)で出かけ、駅前の喫茶店で落ち合った。

中合デパート

(昭和48年、駅前に移転開業)

←大学一年の時。

 しばらく近況を報告し合った。僕は仙台のアパートから東北大学通いだが、彼は上智大学の法学部で司法試験を目指すと言う。

 そのうち、もう一人仲が良かったノブユキの話になった。彼は北海道大学に進学していた。

「そうだ、今からノブユキのところへ行かないか?」と、トデモナイことを言い出す。

「何を言う? オレのこの格好を見ろ。こんな軽装だし下駄履きだ。それに第一、そんな金なんか持ってない。」

 冗談と思って大笑いしていると、気づけばキヨタカは笑っていない。おいおい、本気なのか?

 (閑話休題)

 ・・そして20分後、僕ら二人は青森行き東北本線の車両の中に居た(笑)

  当時の東北本線車両

 この話は、葉羽詩集その91「ひと夏のデンジャラス・ストーリー」で書いたことだが、全く若気の至りというか無茶苦茶な話である。

 この通信ではもう少し詳しく、いきさつを書いていこう。

 大学時代の僕は苦学生だった。最初の一年間は、アパート代が勿体ないと思い、東北本線の学割鈍行パスで片道3時間かけて福島の実家から仙台の川内キャンパスまで通学していた。

  東北大川内キャンパス(現在)

 往復6時間、実に一日の1/4は通学時間だった(笑)。

 さすがに身体がもたないと思い、2学年からは仙台のアパートに入ったが。

荒巻小学校

(仙台市青葉区北山)

←当時、アパートがあった辺り。

 しかも、1年次では福島で4人、2年次は仙台で4人の家庭教師を抱えて生活費の足しにしていた。(その半分は受験生!)

 だが当時の実家がそこまで貧しかったワケでは無く(裕福とも言えないが)、両親が世間の相場を知らず、僕自身も「金が無いなら無いなりに何とかなる」という無計画・行き当たりばったりのノー天気野郎だったからだ。

  昭和50年の仙台駅前

 そんな性格が、キヨタカの強い押しに負けて、一文無し&下駄ばきで札幌行きとなった原因だろう。

 ともあれ、北海道往復の素寒貧旅行はこうして幕を開けたのである。

 To Be Continued⇒

 

/// end of the “その207「ひと夏のデンジャラス・ストーリー①」” ///

 

《追伸》

 考えてみると、「人生を振り返って」関連では葉羽詩集のエピソードになっているものが数多くありました。

 住んでいたアパートの坂の上にあった「おふくろ亭」の話(葉羽詩集その93)とか。(いつもカツ丼を食べていた。)

 久々に当時の北山アパート(その時点では新築入居)をGoogleアースで探してみましたが、道路も建物も何もかもが変わっており、”この辺りかな”と思った場所には小学校ができていました。

 これが時の流れと言うものですね。何せもう50年前の話ですから。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

青函連絡船

(青森~函館:画像は冬)

←やがて乗り込むことになる。

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To be continued⇒“208”coming soon!

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【岸波通信その207「ひと夏のデンジャラス・ストーリー①」】2024.5.8配信

 

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