岸波通信その201「黎明期の群像/余話~6」

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岸波通信その201
「黎明期の群像/余話~6」

1 福島県第1号の歯科医師

2 中濱東一郎の福島赴任

3 福島県立医科大学及び附属病院の歴史

4「ふくしま近代医学150年黎明期の群像」関係者生没年表

※写真は「福島医学校」初代校長の中濱東一郎(ジョン万次郎の息子)↑

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  The History of modern medicine in Fukushima 2023.5.23配信

「しのぶ山 しのびて通う道もがな 人の心の奥もみるべく」・・・「伊勢物語」(業平朝臣)

 今回も『ふくしま近代医学150年 黎明期の群像』に僕が追補したミニ・コラムをご紹介します。

ふくしま近代医学150年
黎明期の群像

(福島民友新聞社刊)

 内容は、福島県第1号の歯科医師 、中濱東一郎の福島赴任、参考図表として「福島県立医科大学及び附属病院の歴史」及び「ふくしま近代医学150年黎明期の群像」の四本です。

 

1 福島県第1号の歯科医師

 福島県の歯科医師の資格制度は1885年から開始され、その第一号が福島町の長谷川雲橋である。

 彼は神社・仏閣の彫刻師で、12メートルの大わらじが有名な信夫山の羽黒権現に施された彫刻も彼と父・初代雲橋の手によるものだ。

羽黒神社の大わらじ

(福島市信夫山)

 彫刻師がその技能を活かして木製義歯を制作していたことは興味深いものがある。

 羽黒神社の縁起には、29代欽明天皇の後継者争いに敗れた第一皇太子淳中太尊(ヌナカフトノミコト)と石姫皇后が信夫山まで逃れ、皇太子が羽黒大権現として羽黒神社に祀られ、皇后が黒沼大明神として黒沼神社に祀られたとある。(政争に勝利した第二皇太子は第30代敏達天皇に即位。)

  信夫山麓の黒沼黒神

 これは伝説であり正確な開基年は不明だが、1064年に登拝路の七曲坂が開かれた時に両神社は既に存在していた。

 以後、何度も戦火に焼かれるが、1702年に板倉藩政が開始されると、1774年に小関裕而の先祖である小関三郎次が秡川橋や石造眼鏡橋を寄進、1848年に羽黒神社が再建された。

  羽黒神社本殿

 この時に羽黒神社の大彫刻を施したのが国見町沼田神社本殿の彫刻も行っていた初代長谷川雲橋とその子雲谷で、雲谷はその後二代目雲橋を襲名する。

 福島県の歯科医師の資格制度が開始されたのは1885年であり、(二代目)長谷川雲橋が福島県第1号歯科医師となった時は、かなりの高齢であったはずだ。

  羽黒神社から北方を臨む

 しのぶ山 しのびて通う道もがな 人の心の奥もみるべく 「伊勢物語」(業平朝臣)


 

2 中濱東一郎の福島赴任

 福島医学校の初代校長中濱東一郎は、難破・漂流の末に米国船に救助され、後に日米和親条約の締結に尽力した中濱万次郎(井伏鱒二『ジョン万次郎漂流記』の主人公。)の長男である。

『ジョン万次郎漂流記』井伏鱒二

 彼は、明治14年(1881年)に(旧)東京大学医学部を卒業して須賀川医学校の校長となり、その移転に伴い福島医学校の初代校長となった後、各地の医学校や内務省等の勤務を経て東京市初代医師会長となった。

  中濱東一郎/福島医学校の初代校長

 『中濱東一郎日記』には、最初に福島へ赴任する様子が書き残されている。

 それによれば、須賀川医学校長を拝命した東一郎は4月21日に馬車で東京を立って宇都宮に一泊。翌日、白川(原文ママ)に一泊。

 そこで人力車を雇い上げ、二本松に一泊。四日目に福島町の県庁に到着した。

 『中濱東一郎日記』

 新幹線も高速道路も無かったこの時代、地方への赴任はそれだけで大変エネルギーを要するものだった。

 

3 福島県立医科大学及び附属病院の歴史

福島県立医科大学と附属病院の歴史


 

4 「ふくしま近代医学150年黎明期の群像」関係者生没年表

「ふくしま近代医学150年黎明期の群像」関係者生没年表


 

◆『ふくしま近代医学150年 黎明期の群像』総目次
◇巻頭言・・・重富修一(記念事業実行委員長/第13代福島県立医科大学医学部同窓会長)
1 序にかえて 長崎に学んだ「先進地」 (2021/7/5福島民友新聞掲載)
2 白河から福島へ 形変えながら「灯」守る (2021/7/19福島民友新聞掲載)
3 後藤新平と須賀川 帰国兵の検疫に貢献 (2021/8/2福島民友新聞掲載)
4 近代看護の発祥 「会津の女性」先駆けに (2021/8/23福島民友新聞掲載)
5 日新館蘭学科と吉村二洲 会津に種痘の大恩人 (2021/8/30福島民友新聞掲載)
6 西洋医学の求道者・古川春英 命の限り、学び続けた (2021/9/6福島民友新聞掲載)
7 渡部思斎とその子、鼎 研幾堂の志、海越えて (2021/9/20福島民友新聞掲載)
8 初の子宮外妊娠手術報告 道なき道を切り開く (2021/9/27福島民友新聞掲載)
9 半井宗玄と民衆救済 飢饉や病、独自に対策 (2021/10/4福島民友新聞掲載)
10 二本松藩西洋医学の先駆け 修学成果、故郷に還元 (2021/10/18福島民友新聞掲載)
11 教え子に夢託した三春藩医 学びの芽、大きく育つ (2021/10/25福島民友新聞掲載)
12 亜欧堂田善と解剖図 国内に類なき精巧さ (2021/11/8福島民友新聞掲載)
13 慈悲と献身の人・瓜生岩 福祉の礎、築き育てる (2021/11/29福島民友新聞掲載)
14 日本初の看護師養成機関 女性の道開いた捨松 (2021/12/6福島民友新聞掲載)
15 山本八重と京都看病婦学校 失った痛み、救う力に (2021/12/20福島民友新聞掲載)
16 「順天堂の菅野」と呼ばれた男 最先端を伝え続けた (2022/1/10福島民友新聞掲載)
17 阿久津三郎と佐藤恒祐 泌尿器科の独立貢献 (2022/1/17福島民友新聞掲載)
18 世界の「イノ・クボ」 内視鏡、新しい常識に (2022/1/31福島民友新聞掲載)
19 「台湾医学衛生の父」高木友枝 海越えて防疫尽くす (2022/2/7福島民友新聞掲載)
20 「天皇のお医者さん」三浦謹之助 外遊に随行、厚い信頼(2022/2/21福島民友新聞掲載)
21 野兎病と大原八郎 夫婦の覚悟が謎究明 (2022/3/7福島民友新聞掲載)
22 会津で培われた学力 英世鍛えた医書翻訳 (2022/3/21福島民友新聞掲載)
【座談会・上】感染症「必ず克服できる」(2022/5/3福島民友新聞掲載)
【座談会・中】女性たちが活躍 新しい時代切り開く (2022/5/5福島民友新聞掲載)
【座談会・下】困難、何度だって克服 愚直さとしなやかさ(2022/5/6福島民友新聞掲載)
◇コラム「余話として」・・・岸波靖彦(福島県立医科大学医学部同窓会特任事務局長)
◇関係者生没年表・福島県立医科大学と附属病院の歴史・・・(岸波靖彦)
◇ふくしまの医の先人たち・・・岸波靖彦(福島県立医科大学医学部同窓会特任事務局長)

 

/// end of the “その201「黎明期の群像/余話~6」” ///

 

《追伸》

 最後の参考図表二枚は、記事のために家で写真を撮ったのですが、大和伸一のようには上手に撮れませんでした(笑)

 ちょっと見ずらくてすいません。

 岸波通信の『黎明期の群像シリーズ』は今回で最終回となります。一通り書き終えてホッとしています。

 『黎明期の群像』は福島県立図書館、医大図書館をはじめ県内の全ての学校図書館に備えておりますので、是非、お子さんに読ませていただくことを希望します。

 今回の調査で明らかになった、福島県が日本の近代医学の発展に大きな役割を果たしてきたことを、是非郷土の新たな誇りとして語り継ぎ、さらにそれを未来に継承する子供たちが出てくることを心から期待しています。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

福島県立医科大学の歴史

(英語版及び日本語・増補改訂版)

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To be continued⇒“202”coming soon!

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【岸波通信その201「黎明期の群像/余話~6」】2023.5.23配信

 

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