岸波通信その197「黎明期の群像/余話~2」

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岸波通信その197
「黎明期の群像/余話~2」

1 フーフェラント『医戒』を体現した小此木信六郎

2 “福島県ゆかり”の新紙幣?

3 がん研究の魁、吉田富三

※写真は"鹿鳴館の花"大山捨松↑

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  The History of modern medicine in Fukushima 2023.3.28配信

「学生に説いた『克己殉公』と『医戒』をまさに自現した壮絶な死だった。」・・・本文より

 今回も『ふくしま近代医学150年 黎明期の群像』に僕が追補した小記事をご紹介します。

ふくしま近代医学150年
黎明期の群像

(福島民友新聞社刊)

 内容はフーフェラント『医戒』を体現した小此木信六郎、“福島県ゆかり”の新紙幣?、そして、がん研究の魁、吉田富三の三本です。

 

1 フーフェラント『医戒』を体現した小此木信六郎

 小此木信六郎は、福島県で初めて西洋医学教育を行った二本松藩主の御殿医小此木天然の孫(福島県の種痘の先駆者小此木間雅の六男)である。

 帝国大学医科大学(東大医学部の前身)で学んだが中退してドイツに渡り、耳鼻咽喉科学を修得して帰国。明治29年(1896年)8月に神田駿河台で小此木耳科医院を開業。

済生学舎発祥の地

(本郷2-7-8)

 その後、我が国最初の私立医科大学である済生学舎(日本医科大学の前身)の創始者長谷川 泰に乞われて学舎の耳鼻咽喉科講師を務める。

  済生学舎創始者長谷川 泰の銅像

 ところが大正5年(1916年)、大学昇格問題がこじれて学生が大量退学する事態となり、極度の経営不振に陥る。

 校長の山根正次は小此木信六郎に初代理事長の職を、中原徳太郎に校長の職を託して学校を去る。

 二人は寝食を忘れて経営再建に努め、校是をドイツの医聖フーフェラントの『医戒』の言葉「己を捨てて他の為に生くること固(もと)より医の本道なり」を引いて『克己殉公』と定めた。

  医聖フクリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラント

 古武士の如き風格とされる小此木信六郎は、その後も黙々と困難な道のりを歩み、大正15年(1926年)、遂に悲願の大学昇格を実現する。

 しかし、翌昭和2年(1927年)、中原学長の急死により第二代学長を継いだ小此木信六郎は、就任後ひと月余りで力尽きたように逝去する。

  学是『克己殉公』

 日本医科大学医史学教育研究会は、彼の死について「学生に説いた『克己殉公』と『医戒』をまさに自現した壮絶な死だった」と評している。

 

2 “福島県ゆかり”の新紙幣?

 2024年を目途に紙幣が刷新される予定だが、新しい千円札の肖像は北里柴三郎で、その一番弟子が『黎明期の群像』でも取り上げたいわき出身高木友枝だ。

  高木友枝と妻ミンナの新婚旅行写真

 また5千円札の津田梅子は大山捨松と共に渡米した生涯の大親友で、やはり福島県と縁がある。

大山捨松

(鹿鳴館にて)

 1万円札の渋沢栄一は、スパリゾート・ハワイアンズ(常磐興産)の最初の会社「磐城炭鉱社」を立ち上げた初代社長が渋沢栄一だった。

渋沢栄一

(磐城炭鉱社初代社長)

 新紙幣の顔となる三人が共に“福島県ゆかり”であることに、うれしさを感じる。

  新一万円札

 

3 がん研究の魁、吉田富三

「師親指帰路 月掛一輪燈」
(師は親しく帰路を指示し、月は一論の光明をかかげる)

 世界のがん研究の先駆者と呼ばれる病理学者吉田富三による漢詩である。

世界のがん研究の魁、吉田富三

 福島医大の第14代理事長であった茂田士郎氏はこの漢詩を『福島医学雑誌』に掲載した「福島県ゆかりの医人たち」で取り上げ「おそらくは富三が恩師を訪ねて辞するときに、師が門まで出て道を示し、明るい月が帰路を照らしていたということを意味していると思う」と記している。

 浅川村に生まれた吉田富三は、東大医学部を卒業後、佐々木隆興博士の下でがん病理の研究をスタートさせた。

  福島県浅川町(旧浅川村)

 その指導のもと、あるアゾ色素をラットに与え続けると肝がんが発生することを見出し、ドイツの『Virchows Archiv』誌に発表すると世界的な反響を呼ぶ。人工的に内蔵のがんを発生させた世界初の報告だったのだ。

  『Virchows Archiv』誌

 太平洋戦時下の昭和18年(1943年)には、後に「吉田肉腫」と命名されるラットの腹水腫瘍系を樹立。「戦争が無ければノーベル賞を取っていたかもしれない」と評された。

 彼は優れた医学者であると同時に後輩を思い遣る温かな心の持ち主でもあった。先の漢詩について茂田元理事長はこうも述べている。

「この詩はまた吉田富三の弟子を指導する暖かい情景をも彷彿とさせる」と。

 

/// end of the “その197「黎明期の群像/余話~2」” ///

 

《追伸》

 小此木信六郎氏の画像はありそうなのですが、見つかりませんでした。前回の『福島縣百番附』をよく読めば出ているかもしれません。

 また、”台湾医学・衛生の父”高木友枝氏の新婚旅行写真は、今回初めて見つけました。(なので、書籍『黎明の群像』には載っていません。)

 また、吉田富三氏ですが、世界のがん研究が福島県出身の医師から始まったことを一般の人々は知らないのではないでしょうか。まさに偉大な先人たちです。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

福島県立医科大学の歴史

(英語版及び日本語・増補改訂版)

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