岸波通信その196「黎明期の群像/余話~1」

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岸波通信その196
「黎明期の群像/余話~1」

1 明治元年の福島県の世相/感染症と民間療法

2 福島県の初代医師会長 南 二郎

3 『福島縣百番附』

※写真は福島県ゆかりの星新一↑

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  The History of modern medicine in Fukushima 2023.3.14配信

「当時の新聞記者など60余名の審査員が選んだとされるが、「福島縣の名物番附」や「福島縣實業家番附」から「禿げ頭番附」までよく分からないものまである。」・・・本文より

 前回に引き続き『ふくしま近代医学150年 黎明期の群像』の発行に当たって僕が追補した小記事をご紹介して参ります。

ふくしま近代医学150年
黎明期の群像

(福島民友新聞社刊)

 まず最初は戊辰戦争後、明治元年の福島県の状況、二本松少年隊の生き残りで福島県医師会の設立に情熱を注いだ南二郎先生、そして明治時代に編纂された奇書『福島縣百番附』です。

 

1 明治元年の福島県の世相/感染症と民間療法

 慶応4年(1868年)7月14日、土佐藩の板垣退助が率いる新政府軍の迅衝隊は磐城平城を落とすと北目村に平民政局取締所を設置した。

迅衝隊/旧土佐藩士

(前列中央が板垣退助)

 年号が改まり明治元年(1868年)12月、民政局が村々の庄屋に通達した文書にはこうある。「神仏の加治祈祷に専向し医者の手に触れざる病人は堅く相成らず」と。

 この地は、戦争による住居の破壊、諸物価の高騰に加え「平地半作、山手二分作」と言われる大飢饉が襲い、痘瘡や腸チフスが大流行していた。

 そうした中、加持祈祷や非医師による治療が横行し事態を悪化させていたのだ。

 これを見かねた民政局は、近代医学の振興と医療人の育成に舵を切る。

明治・大正期の福島県庁文書

(福島県文化振興財団所蔵)

 戊辰戦争による医学の近代化と言えば外科手術に注目が集まりがちだが、この時代、感染症に対する科学的治療の普及もまた喫緊の課題だった。

 

2 福島県の初代医師会長 南 二郎

 二本松藩士山岡仁右衛門の次男房次郎(後名:南 二郎)は、14歳で二本松少年隊の鼓手として従軍し戊辰戦争で生き残った人物だ。

 維新後、下手渡藩(現:伊達市月舘町下手渡)の藩医であった南 持(読み方不明)の養子となり南 二郎と改名する。

 しかし戊辰戦争の激戦地の一つであった月舘は徹底的に破壊され、その多くが離散した。

二本松少年隊群像

(二本松城址霞ヶ城公園)

 そうした中でも勉学に励んだ二郎は、東京帝大医学部を卒業して明治22年(1889年)に福島県立病院副院長に就任。同病院が廃止されると福島町(当時)に南病院を開設した。

 また、有力者に医師の組織化の必要性を説いて廻り、信夫郡・伊達郡・安達郡の信達三郡に医師会を設立。

 これを足掛かりに明治39年(1906年)6月、県医師会の発会に漕ぎつけると初代会長に選任された。

 一方、月舘の南家は、養父南 持が後妻を迎えてもうけた子孫筋が継承するところとなり、南 二郎夫妻とその養子大曹(だいぞう:南胃腸病院長、日本消化器病学会会長)は福島を去り都立多磨霊園に眠る。墓碑銘は徳富蘇峰の書である。

  都立多磨霊園の南家墓

 また、大曹の子で社会心理学者の南 博は、新劇女優東恵美子と夫婦別姓婚を行い“日本のサルトルとボーヴォワール”と呼ばれた。

  南 博と東恵美子

 

3 『福島縣百番附』

 大正11年(1911年)に大和久治がまとめた百種に及ぶ県内各界の番付がある。

  福島縣百番附

 当時の新聞記者など60余名の審査員が選んだとされるが、「福島縣の名物番附」や「福島縣實業家番附」から「禿げ頭番附」までよく分からないものまである。

福島県成功者番附

(「福島縣百番附」より)

 その『百番附』のトップを飾るのが「福島縣成功家番附」で、東の横綱が野口英世、西の横綱がいわき出身の実業家 星 一(星薬科大学創業者)となっている。

 興味をそそられて医師・医学者の名前を探すと、東の前頭4枚目に南 大曹、西の前頭4枚目に大原八郎がおり、他には小此木信六郎、三浦謹之介、高木友枝、大原 一らの名が見える。

  福島縣百番附人物紹介

『黎明期の群像』では取り上げなかったが、この時代に於いて南大曹と小此木信六郎が同じ医師である"天皇のお医者さん"三浦謹之介や"台湾医学・衛生の父"高木友枝よりも成功者と見做されていたことが興味深い。

  息子新一を抱く星 一

 なお、西の横綱星 一はSF作家星新一の父親である。

 

/// end of the “その196「黎明期の群像/余話~1」” ///

 

《追伸》

 この中では、子供の頃に読みふけったSF作家星新一が福島県ゆかりであったことに驚愕しました。

 星進一との最初の出会いですが、当時愛読していた雑誌『ボーイズライフ』で「1000字コント」というページを担当していたのが彼だったと思います。

 そこから、筒井康隆、小松左京と、SFに傾倒して行くまで、あまり時間はかかりませんでした。

 それなのに、何で今「郷土の近代医学史」をやっているんだろう?(笑)

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

福島県立医科大学の歴史

(英語版及び日本語・増補改訂版)

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【岸波通信その196「黎明期の群像/余話~1」】2023.3.14配信

 

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