岸波通信その195「黎明期の群像/制作裏話」

<Prev | Next>
Present by 葉羽
「SUMMER IN THE ISLAND」 by Music Material
 

岸波通信その195
「黎明期の群像/制作裏話」

1 福島県近代医学教育150年顕彰記念事業

2 福島医大の淵源をめぐる議論

3 明治以前の西洋医学教育

4 福島は“西洋医学教育の先進地”

5 新聞連載コラムへ

6 書ききれなかった人々

※写真は『黎明期の群像』↑

NAVIGATIONへ

 

  The History of modern medicine in Fukushima 2023.2.28配信

「かくして、福島医大の関係者らにとって、自らの歴史を捉え直し社会的に認知してもらうことが大きな課題となった。」・・・本文より

 「岸波通信」で推奨してまいりました福島民友社発行の『ふくしま近代医学150年 黎明期の群像』ですが、お陰様を持ちまして間も無く完売の見通しとなりました。

  ご購入いただきました皆さま、厚く御礼を申し上げます。

ふくしま近代医学150年
黎明期の群像

(福島民友新聞社刊)

 同誌の「あとがき」には、僕が書いた「福島の医の先人たち」という小稿が加わっていますが、これは『黎明期の群像』を制作するに至った経緯などいわゆる”裏話”を書き留めたものです。

 今回の岸波通信では、その部分をご紹介したいと思います。

 

1 福島県近代医学教育150年顕彰記念事業

 『ふくしま近代医学150年 黎明期の群像』シリーズは、福島民友新聞紙上に2021年7月5日から2022年5月6日まで連載された。

 福島医大の医学部同窓会が発案し、福島民友新聞社と共同企画で編纂したものだが、元々は同窓会の「福島県近代医学教育150年顕彰記念事業」の一環として出たアイディアだった。

福島県近代医学教育150年
顕彰記念シンポジウム

(ザ・セレクトン福島/2022.6.11)

 医学部同窓会は、県立医大の淵源(ルーツ)である白河医術講議所が創設されて150年の節目を迎えるに当たり、計画的に記念事業に取り組んで来た。

 2019年には『福島県立医科大学の歴史〔増補改訂版〕』を発行、翌2020年には『同〔英語版〕』を発行。そしてメイン行事である「福島県近代医学教育150年顕彰記念シンポジウム」の開催に向けて設置した準備委員会で提案されたのが新聞連載コラムだった。

 以下、その経緯について触れておきたい。

 

2 福島医大の淵源をめぐる議論

 平成16年6月26日、当時の佐藤栄佐久知事を招き、福島市内で「福島県立医科大学医学部創立60周年祝賀会」が開催された。

 この祝賀会の意義は、福島医大の歴史の起点を医科大学の前身「福島県立女子医学専門学校」の創設時とオーソライズしたことにある。

 以後、福島医大の「沿革」は1944年1月10日の女子医専設立認可から書き起こされた。

福島県立医科大学全景

 ところが、である。他の医学部、例えば東京大学医学部の沿革を見ると1858年(安政5年)5月の神田御玉ケ池の種痘所設立から、東北大学医学部では1736(元文元)年11月の仙台藩校明倫養賢堂の設立から書き起こしている。

 すなわち設置許可という法的要件に捉われず、実質的にスタートした淵源を大学史の起点としていたのだ。

 かくして、福島医大の関係者らにとって、自らの歴史を捉え直し社会的に認知してもらうことが大きな課題となった。

 そもそも福島医大の『学史』(昭和63年3月発行)は戊辰戦争後の白河医術講議所設立から書き起こしており、『福島県立医科大学の歴史(初版)』(2006年1月31日発行)も同様だ。その原点に戻ればいい。

 今般の150年顕彰記念事業は、こうした役割も担っていたのだ。

 

3 明治以前の西洋医学教育

 準備委員会のメンバーは、まず福島県の近代医学の歴史を学び直すことから始めた。

 そうした中で、私からも一つ問題提起を行った。明治以降の公的医学教育だけが福島県の西洋・近代医学教育の系譜なのかと。

 それは、福島県立博物館の副館長として勤務していた折、幕末期の会津藩校日新館において西洋医学教育が行われていた事実を知っていたからだ。

 『會津藩教育考』(昭和6年発行)を示して説明した。問題なのは、福島県における西洋医学教育のスタートを白河医術講議所と定義すれば、それ以前に西洋医学教育を開始していた会津地方からクレームを受ける可能性がある点だと。

會津藩教育考

(昭和6年発行)

 この件に関して、重富秀一同窓会長(当時)から重要な提案がなされる。

「会津には郷土史家も多く史料も残っているので今回の事実が分かった。だが、県内の他の藩でも同様な西洋医学教育が行われていた可能性がある。その全体像を捉えることが大切だ」と。

 指示を受けて調査を進めると、驚くべきことが分かった。

 

4 福島は“西洋医学教育の先進地”

 きっかけは、長崎県立図書館長を務めた平松勘治氏のまとめた『長崎遊学者事典』だった。

 江戸時代に全国から長崎に遊学した人物をリスト化したもので、福島県ゆかりの人物は37人、うち23人が医師。

 派遣元は二本松藩、相馬中村藩、会津藩、そして三春藩。何と四藩もが西洋医学の先進性に着目して人材を遊学させていたのだ。

長崎遊学者事典

(平松勘治 著)

 うち、二本松藩の小此木天然が藩校敬学館で西洋医学教育を開始したのが遅くとも1824年。「仙台藩学校」に蘭科が開設され「我が国最初の西洋医学講座を実施した」とされるのが1822(文政5)年。ほぼ同時期である。

 『二本松市史』にはこうある。「近世後期、二本松藩は奥羽諸藩のなかでは、仙台藩に続いて会津藩・相馬藩などとともに西洋医学の盛んな藩の一つに挙げられる」と。福島県は西洋医学教育の先進地と目されていたのだ。

二本松市史

 同時に、新政府軍の軍医として戊辰戦争に従軍した英国の外交官ウィリアム・ウィリスの本国に宛てた書簡がイギリス国立公文書館に残っていることを突き止め、その内容から福島県が我が国の近代看護分野でも大きな役割を果たしたことが明らかになる。

幕末の英国外交官ウィリアム・ウィリス

 なお、この時点以降、近代的設備・装備の病院を併設した専門教育機関である白河医術講議所以降の医学校教育を、各藩校の医学所における「西洋医学教育」と峻別するため「近代医学教育」と呼称することに改められる。

 

5 新聞連載コラムへ

 長崎に遊学した個々の医師について、さらには時代の幅を広げ別の人物も調査する過程で、福島の医の先人たちの目覚ましい業績が掘り起こされて来た。

 わが国で初めて子宮外妊娠を診断して手術記録を残した鎌田昌琢。本邦初の精巧な人体解剖図『医範堤綱内象銅版図』を制作した亜欧堂田善。野口英世の手術を行った渡邉鼎(かなえ)は、日本人で初めて欧米で医院を開業した医師だった。

亜欧堂田善(須賀川出身円谷英二監督の祖先)

 さらに、今も現地から“台湾医学衛生の父”と敬愛されている高木友枝。野兎病の病原菌を特定した大原八郎。明治・大正二代にわたる“天皇のお医者さん”三浦謹之介等々、まさに綺羅星の如くだ。

"天皇のお医者さん"三浦勤之助

 こうした調査結果を受け、大戸斉準備委員長(現同窓会長、福島医大総括副学長)から提案されたのが、福島県の医の先人たちの偉業を県民により広く知ってもらうための新聞連載企画だった。

 かくして、それらの人物について「現時点で最も詳しい専門家」が糾合された。それが『黎明期の群像』執筆チームだ。

 

6 書ききれなかった人々

 今回の『黎明期の群像』では医学者を中心に22人の先人たちに焦点を当てたが、紹介しきれなかった人物やエピソードも多々ある。

 例えば、二本松少年隊の生き残りで苦難の人生を辿りながら福島県の初代医師会長となった南二郎。伊達郡出身で草創期の軍医制度を確立した石黒忠悳(ただのり)。

軍医制度を作った石黒忠悳

 ドイツの医学者クリストフ・ヴィルヘルム・フーフェラントが残した『医戒』の精神を体現し、日本医科大学の開学の精神「克己殉公」を定めた小此木新六郎。

 そして、女性が医師となることが困難だった時代に、医師としてハンセン病の患者救済に生涯を捧げた須賀川出身の服部けさ、「吉田肉腫」の発見により世界のがん研究の先駆者となった石川郡出身の吉田富三などもそうだ。

世界のがん研究の先駆者吉田富三

 さらには、後藤象二郎や岩崎弥太郎らを教育したジョン万次郎の息子で、後に東京市初代医師会長となる中濱東一郎は福島医学校の初代校長であったこと。

 “東洋のシンドラー”と呼ばれる外交官杉原千畝がロシア語を学んだのは、後藤新平が日露協会学校創立委員長として設立に関わったハルピン学院であった事実も発掘された。

ジョン万次郎の息子中濱東一郎

 こうした書ききれなかった数々のドラマも、いつか補稿できる日が来ればと思う。

 ふくしま近代医学150年の歴史の中で、福島の医の先人たちが日本の医療の進歩と衛生の向上に果たした役割は計り知れぬほど大きい。

 その伝統は福島県立医科大学に引き継がれて発展し、福島県民と国民、人類の健康と公衆衛生に大きく寄与してきた。

 福島の輝かしい医学の歴史が県民の共通認識となり“新たなる郷土の誇り”となることを願う。

 特に、福島の青少年たちには、その記憶を深く心に刻んでほしい。我々には、その栄光のバトンをしっかりと未来へと引き継いで行く責務があるのだから。

 

/// end of the “その195「黎明期の群像/制作裏話」” ///

 

《追伸》

 僕が特任事務局長を務める福島医大医学部同窓会は、この『黎明期の群像』をまとめ購入し、福島県内の全ての国公私立小・中・高等学校図書室に一冊ずつ寄贈しました。(民友新聞既報)

 福島の未来を担う子供たちには、例え医学の道に進まなくとも、福島の医の先人たちの気概を学んで、それに負けないよう羽ばたいて欲しいと思います。

 岸波通信ではこの後、「書き切れなかった人々」で触れた偉人達について補稿したミニ・コラムをご紹介したいと思います。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

福島県立医科大学の歴史

(英語版及び日本語・増補改訂版)

←制作・発行を担当しました。

管理人「葉羽」宛のメールは habane8@ybb.ne.jp まで! 
Give the author your feedback, your comments + thoughts are always greatly appreciated.

To be continued⇒“196”coming soon!

HOMENAVIGATION岸波通信(TOP)INDEX

【岸波通信その195「黎明期の群像/制作裏話」】2023.2.28配信

 

PAGE TOP


岸波通信バナー  Copyright(C) Habane. All Rights Reserved.