この「岸波通信」でも、民友社の了解の上で僕が執筆した三章をご紹介しましたが、元々『黎明期期の群像』は”福島県近代医学教育150年顕彰記念事業”の一環として、福島県立医科大学医学部同窓会と福島民友新聞社の共同企画により、福島民友新聞紙上に2021年7月5日から2022年5月6日まで25回にわたって連載されたものです。
今般の書籍化にあたっては、僕の追加書き下ろしコラム(大量)や新たな資料を加え、A4版フルカラー64ページの美麗版として出版されます。
本書は、福島県全体を俯瞰した近代医学の歴史について明らかにし、福島県立医科大学のルーツである白河医術講議所設立の意義、さらにその前史として福島県域の各藩における近代医学普及への取組みなど、福島の「医」の先人たちの大きな足跡を辿ったものです。
以下に、より内容に理解を深めていただくため、福島県近代医学教育150年顕彰記念事業実行委員長の重富秀一氏(福島県立医科大学医学部同窓会 前会長)による『巻頭言』を掲げます。
◆巻頭言(重富秀一)
1871(明治4)年、戊辰戦争の終結から間もない時期に白河医術講議所が設立され、系統的な西洋医学教育が始まった。福島県立医科大学の沿革の始まりである。
白河医術講議所は、須賀川に移転し須賀川医学校となった。須賀川医学校に併設されていた県立須賀川病院は、東京以北有数の大病院であったという。
須賀川医学校は、福島に移転して福島医学校と名称を変えた。明治政府の方針により医学校は廃止されたが、官民の協力により附属病院は公立の病院として存続し、明治・大正・昭和の激動期を乗り越えた。
1944(昭和19)年、かつての須賀川病院は形を変えながら福島女子医学専門学校の附属病院として再興し、その後福島医大の附属病院となって現在に至っている。こうして明治初期に始まった西洋医学教育の精神は、時代を超えて脈々と受け継がれている。
白河医術講議所開設から150年を迎える2021年に向けて、福島医大と同大学医学部同窓会は記念事業を計画した。事業の一環として、福島県における西洋医学教育の正確な歴史について調査が行われた。
様々な資料を検索するとともに県内各地の郷土史家を訪ねて聞き取りをしたところ、驚くべき事実が明らかになった。江戸時代、すでに福島県内のいくつかの藩では長崎に藩医を留学させ、領民に西洋医術を施していたのである。19世紀半ばの福島県は西洋医学・医療の先進地であったのだ。福島県には誇るべき歴史があった。
福島医大医学部同窓会は福島民友新聞社に協力を要請し、共同企画「黎明期の群像」連載が開始された。
江戸時代の諸藩で活躍した人々、明治維新という激動期にあって身を挺して医療に従事した人々、明治以降の医学教育、研究、看護などの分野で活躍した人々が取り上げられた。
反響も大きく県内外から多く声が寄せられた。その中に、連載だけではもったいない、ぜひ書籍として出版し広く世に知らせるべきだという意見もあった。そして本書が完成した。
福島県は、東日本大震災・原発事故からの復興途上にある。私たちが失ったものは大きかったが、国内外からの支援の輪に勇気づけられ、心の絆が深まった。多くの新しい産業が創出され、国際的な教育・研究の環境も整いつつある。
福島県立医科大学には放射線災害医療のみならず、新しく始まる国際教育研究の牽引役を担うことが期待されている。こうして江戸末期から明治初期にかけて、福島県の西洋医学教育の黎明期に活躍した人々の精神は、時代を超えていまに生きている。