フランシスは八郎の協力を得ながら苦心の末、同一疾患の証明に成功し、1926年5月、学術誌『JAMA』で発表した。2人の執念が生んだ偉業だ。
学術誌『JAMA』
なお、フランシスの論文の直前に掲載されていたのはスピロヘータに関する野口英世の論文だった。全くの偶然だが、福島県出身の2人の医師が関わった重要な発表が同時になされたのだ。
◆強い感染力特徴
わが国で野兎病は古くて新しい病気と言われる。近年発生数が減少し、2008(平成20)年の5例、15年の福島県の1例を最後に報告はない。
他方で野兎病菌は極めて感染力が強く、皮膚の創傷部だけでなく健康な皮膚からも侵入できる特異な菌であることから、バイオテロの兵器とされることが懸念されている。
米国では炭疽(たんそ)菌、エボラウイルスなどと同じ危険度Aに分類される。存在が再注目されているのだ。
野兎病が発症した患部(Wikipedia)
現在、日本での発症はほとんどないが、北欧やロシアでは年間100例以上の患者が発生しており、感染者が入国してくることも考えられる。
医療人にとって忘れてならない疾患であることは間違いないだろう。
(福島県立医大医学部同窓会特任事務局長 岸波靖彦)
◆京都帝大在学中に結婚 (福島民友新聞社による補稿)
大原病院第2代院長の大原八郎(1882~1943年)は、阿部平次郎の四男として伊達郡長岡村(現伊達市長岡)に生まれた。
旧家の出で、桑折町の小学校(現醸芳小)から旧制の安積中に進み、仙台の東北学院普通科1年を経て第二高校、京都帝国大学医学部で学んだ。『大原病院史』によると、小学校の頃から医師を目指した。
りきは大原一の一人娘で、東京女子高等師範学校(現お茶の水女子大)を卒業している。
八郎との交際は、八郎の二高時代から始まり、京都帝大在学中に結婚したことなどを、長男で第3代院長の甞一郎が病院史に綴(つづ)っている。
文字通り、最愛の2人だったことは他の資料からもうかがえる。