岸波通信その191「福島県近代医学黎明期の群像」

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岸波通信その191
「福島県近代医学黎明期の群像」

序にかえて・長崎に学んだ「先進地」

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  The History of modern medicine in Fukushima 2021.8.2配信

「コロナ禍の最前線で苦闘する医療従事者の方々も福島の「医」の先人たちの輝かしい足跡に思いを致し、元気を出してもらえればと切に願う。」・・・本文より

 ナヴィゲーションで告知している通り、志を同じくする県内の仲間と共に7月5日より福島民友新聞紙上でシリーズ・コラム『ふくしま近代医学150年~黎明期の群像』の連載を開始しました。

 今年は明治4年に福島県立医科大学の淵源である白河医術講議所が創設されて150年目。それを記念して僕が所属する医学部同窓会で行っている記念事業の一環です。

福島県立医科大学全景

 このたび、福島民友新聞社からお許しをいただきましたので、僕が執筆している回について、この「岸波通信」でも掲載させて頂くことにしました。

 新聞掲載は休刊日・記事集中日を除く毎週月曜で、来年2月頃まで連載する予定です。

 こちらへの掲載のルールは「次の回が新聞に掲載された後」で、本日、第三回まで掲載されましたので、早速、第一回「序にかえて」を配信いたします。

 

ふくしま近代医学150年~黎明期の群像
「序にかえて・長崎に学んだ『先進地』」

 2021年は戊辰戦争後間もない1871(明治4)年、白河仮病院に近代医学による医師の養成を目的とした白河医術講議所が設置されて150年の節目に当たる。

 この機を捉えてさまざまな記念事業が計画されているが、その一環として福島県立医大の医学部同窓会は、本県の医学教育の黎明(れいめい)期に活躍した先人たちの偉業を改めて掘り起こすことにした。

◆ 最初は二本松藩

 白河医術講議所は本県下、明治期になって初の近代医学教育機関であり、現在の福島県立医大の淵源と位置付けられる。

 その後身である須賀川医学校の卒業生には、関東大震災の際、内務大臣兼帝都復興院総裁として辣腕(らつわん)を振るった後藤新平もいた。

後藤新平

 さらにさかのぼれば、白河医術講議所以前、既に幕末期の県内各藩において近代医学教育への取り組みが開始されていた。

 例えば会津藩では1859(安政6)年に藩校日新館に蘭学科を設置し、吉村二洲(にしゅう)が教授として蘭方(オランダ医学)教育を開始した。

 その卒業生である渡部思斎(しさい)は、西会津野沢に明治の松下村塾と呼ばれる学塾研幾堂を創設し、医学を含む4科を設けて400余人の子弟を輩出した。

 野口英世の手術を行った渡部鼎(かなえ)はその一人であり思斎の子である。

渡部鼎

 日本が西洋医術に触れる端緒となったのは1543(天文12)年、ポルトガル人の種子島漂着事件といわれるが、近代医学が本格的に広まるのは、シーボルトが1823(文政6)年に長崎・出島のオランダ商館医に着任し、「鳴滝塾(なるたきじゅく)」を開設して以降のことだ。

 先年、長崎県立図書館長を務めた平松勘治氏は、江戸時代に全国から長崎に遊学した人物をリスト化した『長崎遊学者事典』をまとめた。そこに記載された本県ゆかりの人物は37人。うち医師は23人と多くを占める。

鳴滝塾跡地に建てられたシーボルト記念館

 会津藩以外で医師を派遣したのは相馬中村藩、二本松藩、三春藩だが、最初に蘭方教育を開始したのは、意外にも会津藩ではなく二本松藩だった。

 代々二本松藩医を務めた家系の3代目小此木天然(てんねん)は、シーボルトに指導を受けて乳がん手術に成功して帰藩し、遅くとも1824(文政7)年までには藩校敬学館で蘭方教育を始めている。

福島民友新聞社のHPより引用

 当時の奥羽諸藩の中で西洋医学が盛んと目されたのは仙台藩、会津藩、相馬中村藩、二本松藩の4藩で、仙台藩校に蘭科が設置されたのは1822年。二本松藩はほぼ同時期と言えよう。

 東北において本県は近代医学の先進地だった。

◆ 看護分野も貢献

 また、相馬中村藩から長崎遊学した鎌田昌琢(しょうたく)はわが国で初めて子宮外妊娠を診断し手術に成功したと記録されており、須賀川の亜欧堂田善(あおうどうでんぜん)は本邦初の銅版解剖図『医範提綱内象銅版図(いはんていこうないしょうどうはんず)』を制作し、当時のベストセラーとなった。

亜欧堂田善

←その子孫の一人が円谷英二監督

 さらに、鶴ケ城軍陣病院の照姫らの看護活動は英国領事館の医官ウィリアム・ウィリスに啓示を与えて東京医学校兼病院の看病婦制度につながり、わが国最初の、そして2番目の看護師養成機関の設立にも県人が大きく貢献するなど、本県は「医」ばかりでなく「看護」分野でも重要な位置にあったのだ。

日本の近代看護師制度を創設したウィリアム・ウィリス

 こうした重要な歴史的事実は、専門家など一部の人を除き一般県民にはほとんど知られていない。

 私たち「福島県における近代医学教育黎明期の群像」執筆チームは、歴史に埋もれていた先人たちの偉業を掘り起こし、郷土の誇りとして広く福島県民に知ってもらうため、今般、筆を執った。

 コロナ禍の最前線で苦闘する医療従事者の方々も福島の「医」の先人たちの輝かしい足跡に思いを致し、元気を出してもらえればと切に願う。

(福島県立医大医学部同窓会特任事務局長 岸波靖彦)

 

/// end of the “その191「福島県近代医学黎明期の群像」” ///

 

《追伸》

 「福島県における近代医学教育黎明期の群像」執筆チームは、医学部同窓会が中心になり、現在その人物を県内で最も知る人物を糾合して作られたチームです。

 県立医大、福島県立博物館をはじめ、県内市町村教育委員会の学芸員や郷土史家など様々なメンバーが集まっています。

 執筆中のものも含め全体で二十数回。毎回一名または複数名の「医」の巨人たちの偉業を掘り起こして、来年二月くらいまでご紹介する予定。

 この場をお借りして、福島民友新聞社さまをはじめ執筆協力や資料提供にご協力いただきました皆様に厚く御礼を申し上げます。

 近代医学150年記念事業は、これまでも計画的に事業を進めておりまして、一作年は『福島県立医科大学の歴史』〔増補改訂版〕を出版し、昨年は私の仕事として『福島県立医科大学の歴史』〔英語版〕を出版しました。

(英語版の末尾には編集者の一人として僕の署名も入れていただきました。)

 今年度は、この『黎明期の群像』シリーズ・コラムですが、メインの顕彰記念事業は来年度に実施される予定。(※間もなく新聞紙上でも内容が発表されます。)

 なお、次回の僕の執筆のコラム二本目は8月23日(月)福島民新聞朝刊で掲載される予定なので、是非、そちらもご覧ください。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

福島県立医科大学の歴史

(英語版及び日本語・増補改訂版)

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To be continued⇒“192”coming soon!

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