岸波通信その188「香水とお風呂の話」

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岸波通信その188
「香水とお風呂の話」

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  Story of perfume and the bathing 【2020.6.3配信】

「何も香水をつけていない女性が一番いい匂いがする。」・・・プラウトゥス/古代ローマ劇作家

 植物または動物の芳香成分を水蒸気で蒸留・抽出し、これに合成香料等を添加して香りを調合し、アルコールを加えた溶液を香水と呼びます。

 で、この香水ですが、『匂いの文化誌』によれば「それを使用する女性あるいは男性の数だけ香りができる」のだそうです。

アトマイザー(噴霧器)付き香水瓶

 何故かと言えば、そもそも香水と言うものは「肌に直接つけ、あるいは下着につけてその人の体臭と調和させ、他人にはない独特の匂いを造り出すのが目的」だからです。・・うわぁ深い。

 ということなので、女性に香水を贈る時には「彼女自身の体臭によく合ったものでないといけない」とされます。

 いやいやいや、そもそも体臭を知るような関係になりたくて(笑)、贈り物をするような気もするのですが、そこんトコどうなのか?

 先人はちゃんと答え用意しておりました。いわく「彼女の母親の好みの香水を聞き出して贈るのが当たらずとも遠からず。少なくとも彼女の母親には感謝される」

 なるほど。「将を射んと欲すれば先ず馬を射よ」という効果な気もしますけれど・・(大笑)

 香水のプレゼント

 ところでこの香水、医大の図書館で医学辞典を見ていましたら「16世紀のヨーロッパで宗教的理由から入浴が禁止されたこともあり、体臭を消すために用いられ始めた」という解説があって驚き。

 いや確かに、体臭を消すために用いられたという事は聞いたことがありますが「宗教的理由で入浴が禁止」!?・・これはちょっと合点がいかない。

 だってホラ、テルマエ・ロマエじゃありませんが、公衆浴場は西欧の文化として根付いていたはず。第一、入浴できなければ衛生上も困ったことになるではありませんか。

再現された古代ローマの公衆浴場

(バース/イギリス)

 ということで調べてみました。結論から言えば、間違いとは言えないが説明不足。

「宗教的理由で入浴が禁止」されたのは事実ですが、禁止されたのは「公衆浴場における入浴」で、しかもそれは「宗教的理由」ばかりではなかったのです。

 元来、キリスト教的な倫理観からすれば、人前で裸になる、ましてや異教徒と一緒に入浴するというのは許容できないことでした。

「テルマエ・ロマエⅡ」より

 確かに男女混浴で飲酒上等、おまけに売春もある・・西暦217年に造られたローマのカラカラ浴場などは同時に2000人が入浴できたそうで、そこで繰り広げられるイケナイ事の大パノラマを想像すると、ちょっと眩暈がします(笑)

(ただし、ローマ時代の公衆浴場は、市民の清潔を保つための感染予防施設として造られたという医学的側面があります。)

 教会の介入によっていったん下火になった公衆浴場は、十字軍の遠征によってムーア人の入浴文化が入ったことで再び建設され始めます。

 以後も何度か教会の方針とせめぎあいますが、そこで決定的な事件が起こります。14世紀の黒死病(ペスト)のパンデミックです。

黒死病を描いた「死の勝利」

(ブリューゲル)

 公衆浴場はこうしたペスト、あるいはコレラや梅毒など感染症の温床となったことで廃止されて行き、16世紀に入ると全面的に禁止されるようになりました。

 これが『宗教的理由』の真実。

 実際には宗教よりも感染症の方が重大な理由だったのです。

 不潔だった中世ヨーロッパの暮らし

 これに加えて「水や湯を浴びると病気になる」という中世的迷信が流布され、貴族は入浴でなく頻繁に下着を替えたり香水で体臭をごまかすという対処を余儀なくされました。

 こうして香水文化は、中世ヨーロッパに広く拡散して行くことになります。

「体臭の数だけ香りができる」・・美しく飾られたこの言葉も、真実を知れば寒々とした中世の情景が浮かんでくるようです。

 紆余曲折ありましたが19世紀、イギリスで「公衆衛生法」が成立して入浴が奨励され、さらにバスタブやシャワーが発明されたことで、家庭での入浴が一般的なものになっていきます。

「お風呂に入る」・・今、私たちが当たり前のように行っているこの行為も、かつては当たり前で無かった時代があったという事を忘れてはなりますまい。

 

/// end of the “その188 「香水とお風呂の話」” ///

 

《追伸》

 今、医大で、とあるプロジェクトのために医学史の勉強をしています。

 テーマとしては福島県における近代医学教育の黎明期に焦点を当てているのですが、関連情報を調べていくとどんどん脱線して際限なくなっていく感じが(笑)

 福島県立医科大学は、1944年の福島県立女子医学専門学校が改組されて現在の形になっていますが、そもそもは戊辰戦争後の明治4年(1871年)に白河県が設置した白河医術講議所が源淵で、この医術講議所と白河仮病院が移転や統廃合を繰り返して女子医専に繋がりました。

 しかし、現在の福島県の版図で見れば、これよりさらに早く幕末の会津藩で近代医学教育が開始され、種痘も行われていたことが分かりました。これが日新館医学寮です。

 せっかくの機会なので、そのあたりの調査・研究で分かったこと、あるいは医療の雑学知識なども書いていきたいと思います。 

 手始めに医療雑学から入ったのですが、どうして香水の話になったのか、自分でもよく分かりません(笑)

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

福島県立医科大学

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To be continued⇒“189”coming soon!

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【岸波通信その188「香水とお風呂の話」】2020.6.3配信

 

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