岸波通信その187「二三雲の真実」

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Present by 葉羽
「Quicksand」 by Ikemy'sMIDI
 

岸波通信その187
「二三雲の真実」

1 山本二三展

2 二三雲の真実

3 シータの車椅子

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  Nizou Yamamoto 【2018.4.8配信】

「未完の美…と言ったらいいでしょうか。100%まで描き込んでしまうとつまらなくなるんです。このくらいが一番美しい。」・・・山本二三

 既に旧聞に属しますが、県文化振興財団に在籍中、最後に観に行った展覧会が昨年12月6日から開催されていた『日本のアニメーション美術の創造者 山本二三展』でした。

 でも・・・

 山本二三(にぞう)さんて知ってましたか?

山本二三展

(右上は「天空の城ラピュタ」、右下は「もののけ姫」)

 絵を観れば一目瞭然。これはあの「ラピュタ」と「もののけ姫」。そうなんです。山本二三さんはジブリで宮崎駿監督作品の殆どに関わって来た美術監督・背景作家なのです。

 実際、山本二三さんがジブリの背景絵を描いていた人だという認識は、少なくとも福島市ではあまりポピュラーはなかったらしく、オープニングからしばらく観客の低迷が続きました。

 でもやはり、本当に素晴らしいものは観客の心を捉えるものでして、その評判は口コミでどんどん広がり、来館者はうなぎ上りとなったのです。

(本当によかった。うっうっ・・。)

 ということで、今回の通信は彼の背景画の特徴となっている柔らかく美しい雲…「二三雲」の真実についてご紹介します。

   

 

1 山本二三展

 この「とうほう・みんなの文化センター」で開催された「二三展」…僕は開幕直後に一度足を運び、ご本人が来館して「デモンストレーション」を行うという1月7日に、今度はケイ子とともに参りました。

 「デモンストレーション」は14時からということで、その前に文化センター三階の展示会場を一巡りすることに。

山本二三展

(とうほう・みんなの文化センター)

 会場入口付近には、山本二三さんによる背景画を拡大したタペストリーが何枚か。

(かなり大きなものです。)

 この日展示されたのは、アニメの背景画の原画やポスター、イメージボード、教科書に使われた挿絵など約220点。

 さすがに本人が登場する「デモンストレーション」の直前でもあり、多くの人の行列で会場はところ狭しと賑わっています。

山本二三展

(とうほう・みんなの文化センター)

 上の写真(「時をかける少女」)の街路は、手前からずーっと坂道を降りて行きます。

 そして手前に電車の踏切。道路の彼方には盛り上がる入道雲が。構図が非常に立体的でダイナミック。

 背景の中に描かれる「奥行き」。これが山本二三さんの絵の大きな特徴で、キャラクターの生き生きとした動きをサポートしているのは言うまでもありません。

山本二三展

(とうほう・みんなの文化センター)

←ケイ子、風邪引き中。

 次のコーナーでは、昔の田舎の風景が。

「ああ、ここに行ったことがある」という不思議な感慨が沸き上がって来ます。もちろん、その架空の風景に出会ったはずは無いのですが。

 なのに「この坂道の向こうはこんなふうになっているはず」という、あり得ない記憶がよみがえります。

 子供の頃、夏休みの旅に川内村に住む祖父・祖母の所へ遊びに行っていました。おそらくその頃に見た村の風景が、二三さんの絵にオーバーラップしたのでしょう。

 二三展の順路を廻る旅は、僕にとって郷愁を巡る旅であったような気がします。

 彼の描く背景画の何と緻密で芸術的なことか。

 野に生える草に至っては(近づいて見ると)0.3ミリほどの太さで色合いを変え、びっしりと描かれているのです。

 おそらく遠目には…ましてアニメの画面ではほとんど気付くことは出来なかったでしょう。

 その一枚一枚の驚くべきクオリティ。それ自体、芸術作品そのものと言ってもいいでしょう。

 ひるがえって当時の海外アニメ作品を思い起こすと、その背景はベタ塗りの「単なる背景」でしかありません。

(現在のディズニーは3DのCGが主流ですが。)

 「ラピュタ」や「もののけ姫」などのジブリ作品というのは、芸術絵画の上でキャラクターが動くという革命的なアニメ手法だった事に思いが至ります。

山本二三展

(とうほう・みんなの文化センター)

←背景に溶け込んでいる…つもり(笑)

 山本二三氏は、僕より一つ上の1953年生まれ。長崎県の出身で、東京デザイナー学院を卒業後、美術スタジオを経て「日本アニメーション」に入社しました。

 1978年にNHKで放映された「未来少年コナン」で、宮崎駿監督がデビューしますが、その時の美術監督を務めたのが山本二三氏。つまり二人は、そのスタートから二人三脚で日本アニメ界をけん引してきたのです。

(二人のどちらが欠けても成し得なかったでしょう。)

 作画中の山本二三氏

 そして…
 1979年「ルパン三世 カリオストロの城」(監督:宮崎駿、背景:山本二三)
 1980年「火の鳥2772 愛のコスモゾーン」(監督:手塚治虫、背景:山本二三)
 1981年「さよなら銀河鉄道999 アンドロメダ終着駅」(監督:りんたろう、背景:山本二三)

 1985年には宮崎駿監督が「スタジオジブリ」を立ち上げ、いよいよ山本二三さんとのタッグで1986「天空の城ラピュタ」を制作するのです。

   

 

2 二三雲の真実

 14時からのデモンストレーションは小ホールで開催されました。会場は満席。立ち見が出るほどの盛況です。

 この「デモンストレーション」では、実際にその舞台上で福島の風景を素材にした絵を一枚描き上げるということで、興味津々。

 山本二三さんの描く美しい風景画の中でも、柔らかく盛り上がった「雲の描写」は特筆されるもので、世に「二三雲」と呼ばれています。

二三雲「時をかける少女」より 二三雲「時をかける少女」より

 となれば、きっと雲の描写も観客の期待するところ。果たして… 二三さんが選んだテーマは雲がかかった会津磐梯山の情景でした。しかも会場とトークをしながら…(笑)

 ちなみに、色を載せる前の粗スケッチの状態がコチラ(↓)

会津磐梯山のスケッチ:山本二三 会津磐梯山のスケッチ:山本二三

 うむぅ、確かに会津磐梯山。前日に近くまで行って描いてきたとのこと。「二三雲」に最適な雲もちゃんと出ていた模様。

 さて、絵の具の前に刷毛を取り出して何やらベターっと塗っている。しかも裏表に…アレは何かしらん?

 そしておもむろに筆を取りあげる。その間もいろんな話をしながら、まったく慌てるそぶりも無く…本当に時間内に描きあがるの? 誰もがそう考えたはず。

 しかし、ある程度まで描き込むと、そこでパタと筆を置きました。

「だいたい8割まで出来たから、これで完成にします。」

「ええ~!?」

 あっけに取られた会場の様子を見廻しながら、二三さんは言いす。

「未完の美…と言ったらいいでしょうか。
100%まで描き込んでしまうとつまらなくなるんです。このくらいが一番美しい。」

 なるほど。さすが達人の言う事は違う。言われてみればそうなのかもしれない…。

 制作中は「撮影禁止」ということでしたが、完成した絵は舞台に上がって来て写真を撮ってもいいということに。

 もちろん、殆どの人が希望し、それぞれスマホを片手に部隊までの長い行列となりました。

 なにせ、舞台の上まで行かなければ、肝心の「絵」が観れないのですから。

山本二三デモンストレーション

山本二三デモンストレーション

(とうほう・みんなの文化センター)

 ようやく順番が廻って来ました。時間を取らないよう、一発でシャッターを切ります。

 そんな時に、先ほどの「下ごしらえ」のタネ明かしが。そう、最初に紙の裏表に何かをしていたアレですね。

 実はあの工程は、まず最初に「紙の裏表を、刷毛を使って均等に濡らしていた」のだと言います。

 こうすることで土台紙の反りを防ぐことができ、また、絵の具を載せた時に、色の境界を柔らかくぼかすことができるそうです。

 さて、その効果はどんな具合か?

会津磐梯山と二三雲

山本二三デモンストレーション

(会津磐梯山と二三雲)

 をををを~なるほど!! 雲が大空に溶け込む感じがうまく表現されています。

 そうか、これが「二三雲」の秘密だったのか!

 それにしても…

 そんな秘密のテクニックをこんなあからさまに広言するなんて…太っ腹と言いますか何と言いますか。

 なにはともあれ、仕上がった(本人言「80%」)絵の何と美しくすがすがしい事か。さすがはアニメ背景画の第一人者でございます。

会津磐梯山のスケッチ:山本二三 二三雲に見入る参加者たち

 さて、すばらしいサプライズが演出された「デモンストレーション」でしたが、展示会場の最後に、もう一つ別のサプライズが待っていました…。

   

 

3 シータの車椅子

 展示会場の終盤近くで、一人の少女を描いた絵に目が止まりました。「天空の城ラピュタ」の主人公シータが車体に描かれた車椅子に少女が佇んでいます。

シータの車椅子に乗った少女

(※写真は新聞記事を接写したもの。)

 ほかの展示作品とはあきらかに異なったリアルな絵画。いったいこれは何故ここにあるのか?

 車椅子の少女は、1999年に交通事故で命を落とした福島市の大内めぐみさんでした。(享年16歳)

 彼女が10歳の頃、父の友人が「シータが描かれた車椅子」に乗っているのを見て、その姿にあこがれを抱いたそうです。

 そのシータを描いたのがジブリの山本二三さんだと知ると、彼女は二三さんにファンレターを送るようになりました。

 二三さんは、ずっと送られてくる少女からのファンレターにいつか報いようと考え、大内めぐみさんが二十歳になった時に展覧会をプレゼントしようと招待状を送りました。

 ところが会場に現れたのは、めぐみさんの父親の正さん一人…。

 訳を聞けば、めぐみさんは4年前、16歳の時に交通事故で亡くなったとのこと。二三さんの厚意は届かなかったのです。

二三雲「時をかける少女」より シータ「天空の城ラピュタ」より

 その後も正さんは娘のめぐみさんの代わりに、何度も二三さんの展示会に足を運びました。

 16歳の娘を亡くす… その辛さは察するに余りあります。

 娘があこがれた人の絵を見る事で、娘が生きて来た16年間の短い人生を決して忘れまいとしたのではないでしょうか。

 二三さんは、そんな父親の姿を見て「何とか慰めることはできないか」と考えました。めぐみさんと同年代の娘を持つ同じ父親として、その苦しみは痛いほど分かったはず。

 そうして… 二三さんは、めぐみさんを描くことを決意しました。

めぐみさんの写真

←シータの車椅子に乗って遊んでいる。

 正さんから借り受けたのは、シータが描かれた車椅子に乗って遊ぶめぐみさんの写真。

 こうして絵の制作に取り掛かり、完成したのが冒頭の絵。

 そして2008年。めぐみさんの妹さんが結婚する機会を捉えて、絵は正さんにプレゼントされたのです。

 偉大なジブリの背景画家の手によって、めぐみさんの姿は永遠のものになりました。

 この「シータの車椅子の少女」は、正さんの好意により今回の展示会で披露されました。

 展示会開幕の12月6日、会場には正さんと奥さんの恵子さん、そして山本二三さんの姿がありました。

「時空間を超えて帰ってきたようでしょう?」と二三さん。

 三人は目を細めて、しばらくその絵に見入っていました。

 

/// end of the “その187 「山本雲の真実」” ///

 

《追伸》

 本当は展示会の会期中にアップしようと思っていましたが、なんだかんだでこんな時期になってしまいました。

 新海誠監督の「君の名は。」の光と影の表現も凄かったですが、あのルーツは山本二三氏にあったことに改めて気付かされました。

 特に展示会場中ほどにあった「時をかける少女」の一連の背景画像。特に立ち止まって見入ってしまったのが「真琴の家」。

 何と穏やかで温かい陽だまりの風景。心が洗われるよう…

 はい、もちろんショップで買ってしまいましたとも。額付きで。

 だってホラ、こんなに凄い絵なんですよ(↓)

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

真琴の家/時をかける少女

(C)「時をかける少女」製作委員会
2006(C)山本二三

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To be continued⇒“188”coming soon!

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