金栗を見舞うアクシデントはこれにとどまりませんでした。この日のストックホルムは最高気温が40℃になるという記録的な酷暑。
こうした悪条件の中で脱水症状を起こす選手が続出します。ポルトガル代表のフランシスコ・ラザロは競技中に昏倒し、翌日に死亡するという悲劇が。
(近代オリンピックが始まって以来、初めての競技による死亡者の事例に。)
この酷暑のため、結局、参加者68名のうち33名が途中棄権を余儀なくされるという大波乱のレースとなったのです。
26キロを過ぎた時点で金栗の身体にも異変が起こりました。
めまい、突然の脱力感…熱中症による症状で意識が朦朧となった金栗は、途中の農家に迷い込んだところで意識を失いました。
(力走する金栗四三)
こうした状況で「棄権」を宣言することもできなかった金栗は、大会事務局によって「行方不明」と処理され、レース終了。
やがて農家(ペトレ家)の献身的な介抱によって意識を取り戻した金栗は、とっくにレースが終了している事を知ると、ふらふらとした身体のままで宿舎へと帰還します。
(帰還は翌日との説もありますが確認できませんでした。)
待っていた日本選手団長の嘉納治五郎は金栗の無事帰還に安堵すると、叱ることもせずに「次もまた頑張ろう」と激励するのでした。(いいオトコだなぁ…)
(大学生時代(20歳頃)の嘉納治五郎)
また、監督の大森兵衛は病状悪化のため絶対安静となって帰国ができなくなり、その後に療養のため妻の実家があるボストンへ向かいますが、そこで帰らぬ人となりました。