岸波通信その183「鉄のダンディズム/錆びない鉄」

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Present by 葉羽
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岸波通信その183
「鉄のダンディズム/錆びない鉄」

1 鉄錆アート

2 錆びない鉄/デリーの鉄柱

3 ダマスカス鋼

4 千年の釘

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  Dandyism of iron 【2016.7.16配信】

「あなたが私に書いてきた良質の鉄に関してですが、良質の鉄はギズトワナの私の倉庫できらしています。私が書いたとおり、鉄を生産するには悪い時期なのです。」
  ・・・ヒッタイトのボアズキョイ文書(粘土板)

 元々、地球上に個体としての「鉄」は存在していませんでした。存在していたのは宇宙からやって来た隕石に含まれる鉄~いわゆる「隕鉄」です。

 古代人は隕石の中から発見された不思議な重い金属に驚き、それを利用することに思いが至り、やがて地上の酸化鉄(砂鉄等)から精錬する人々が現れます…そう、彼らがタタラ。

 そして、冒頭に掲げた「ボアズキョイ文書」こそ、紀元前17世紀に建国したヒッタイト帝国が鉄器を用いていたことを証拠立てる重要な発見でした。

ボアズキョイ文書

 ヒッタイトのタタラ職人による鉄精錬法の発見は、丈夫で長持ちする武器や道具を生み出し、石器時代、青銅器時代に続く鉄器時代の幕を明けて文明の礎を築きました。

 製鉄炉で酸化鉄にエネルギーを与えれば炭素によって還元され「鉄」が生み出されます。しかし、その鉄は時間の中で再び酸化を始め、安定な状態の「酸化鉄」に還ろうとします。その過程で生じるのが「錆」。

 人が年老いて皺を刻むように、鉄はその身に錆をまとって老いて行くのです。錆はいわば“滅びの象徴”。しかし…そんな「錆」に魅力を見出した人たちがいます。

 

1 鉄錆アート

「錆びるというと、一般的にはネガティブに捉えられがちですが、実はそこに自然の力を感じることができるんです。」
  ・・・アーティスト相澤安嗣志(あいざわあつし)

 鉄錆で花を咲かせるのは、アーティストの相澤安嗣志氏。2015年の『FUTURE CULTIVATORS PROGRAM』でグランプリを受賞した新進気鋭の作家です。

『Flow(ov)er』(部分)

 

(C)Atsushi Aizawa 2015年

(Photo:表恒匡)

 壁から咲き出したように見える鉄の花。美しい…ですが意表を突かれます。彼は自然環境などの社会問題をテーマに、独自の自然観に基づいた作品を数多く発表しています。

 実家は東日本大震災で被災した石巻にあり、3.11の経験を通して「最後には自然が勝つんだ」と思い知らされたと言います。

「鉄は文明の発展の象徴ですが、人は鉄は使っても錆は受けつけないような、いびつな付き合い方をしてきたと思っています。」

 鉄が自然に還って行く姿、融合して行く姿…そこに美を見出したのでしょうか。

 二つ目のご紹介は、「金属工芸家石井克巳の世界~鉄サビと象嵌の美~」から。

(展示会の様子)

 展示された石井克己氏の作品の一つが次の鉄皿。

鉄皿

(C)石井克巳

 まるで動物の革かビロードのような繊細な表面。実に美しい。言われなければ、これが鉄錆の効果だとは気づけないのではないでしょうか。

「いつかどうせ錆びてしまうのに、どうしてわざわざピカピカにするのかわからないんです。」
  ・・・アイアン工房「スタヂオサニー」羽生直記

 三人目が埼玉県の狭山湖(狭山貯水池)のほとりでアイアン工房を営む羽生直記氏。

ランプシェードとフライパン

(C)羽生直記

 氏はいろいろなテーマで鉄錆を活かしたアートを作って来ましたが、現在は身の廻りの道具を中心に制作しています。

 人間の生活に寄り添い、ずっとそこに存在していたようなものたち。良質なアンティークが与えてくれる安らぎを錆によって表現しているのかもしれません。

 これまでのアートや工芸で「鉄錆」が主要なテーマにされることは少なかったように思います。しかし、彼らが「鉄錆」によって生み出した作品は、「劣化」というマイナスのイメージではなく「重厚」や「安らぎ」そしてある種の「主張」を感じさせます。

 この力強い「鉄錆のダンディズム」が彼らを、そして我々を魅了してやまないのは何故なのか?

 僕には、こうしたアートや工芸に取り込まれた「錆」が熟練した職人の手の皺のように見えます。それはすなわち生きてきた人生の年輪、積み重ねられた歴史の証のように思えるのです。

 実は、「鉄錆」をアートに活かしたのは現代のアーティストばかりではありません。何と1万5千年前の旧石器時代後期、クロマニヨン人たちも同様な手法を用いていたことが判っています。

 その作品とは、フランスのヴェーゼル渓谷にあるラスコー洞窟に描かれた洞窟壁画です。

ラスコー洞窟壁画

(出典)Wikipedia

 1940年9月、洞窟近くで遊んでいた子供たちによって発見された洞窟の内部には、数百の馬やヤギ、カモシカ、人間の線画、そして顔料を吹き付けて刻印したクロマニヨン人の手形が500点も見つかりました。

 それらは、獣脂や樹液、血液に溶かした顔料を指や動物の毛を用いて描いたもので、その顔料の一つが天然の黄土(酸化鉄)であったことが判っています。

(日本で古くから顔料として使われてきたベンガラも酸化鉄を利用したものです。)

 さて、「鉄錆の魅力」についてご紹介してまいりましたが、世の中には1600年も錆びない鉄があるといいます。それは一体…?

 

2 錆びない鉄/デリーの鉄柱

「この柱は地中深くに達し、地中を支配する蛇の王ヴァースキの首に刺さっている。」
  ・・・デリーの鉄柱にまつわる伝承

 錆びない鉄として有名なのが、インドのデリーにあるアショカ・ピラー(アショカ王の柱)という鉄柱です。

 アショカ・ピラーと呼ばれる遺構は仏陀誕生の地ルンビニー(ネパール)やヴァイシャーリー(インド、ビハール州)など各地にありますが、「デリーの鉄柱」は世界遺産、クトゥブ・ミナールがあるイスラム宗教施設群の敷地内に存在します。

(直径44cm、高さ7m、地下部分が2mで重さが10tあります。)

デリーの鉄柱

(C)Japan e-tours Co.,Ltd

 クトゥブ・ミナールは、高さが72.5mもある世界で最も高いイスラム寺院の尖塔で、1200年頃、奴隷王朝を建国したクトゥブッディーン・アイバクが現地のヒンドゥー教やジャイナ教の寺院を破壊し、その石材で建て直したものと言われます。

(ミナールの方は、地震や落雷で尖端が崩落する以前は高さが100mほどありました。)

 ところで、イスラム宗教施設群の一部にあるアショカ・ピラーと聞いて疑問がわきませんか?

 そう…「1600年も錆びない鉄柱」が何故、13世紀の施設内にあるのか?

 そもそも名前の由来となっているアショカ王は、仏教の守護者として知られる紀元前3世紀の古代マウリヤ朝の王で、インド亜大陸を初めて統一した人物なのですから。

 古代インドの英雄であったアショカ王を称えてアショカ・ピラー建造されたのは紀元415年のこと。奴隷王朝のアイバクに征服されるまでおよそ800年。

 この間、あの朽ちやすい鉄が、まるで“地中の蛇の王の首に刺さっている”が如く存在し続けたのです。アイバクは、その不可思議に畏怖を感じて手を触れなかったのでしょうか。

アショカ王のレリーフ

(出典)Wikipedia

 でも…何故錆びないのか?

 99.72%という高い鉄の純度が理由であると考えられた時期もありました。しかし、現在において99.72%の鉄は50年ほどで錆びることが検証されています。

 純度の高い鉄は錆びにくいというのは事実ですが、少なくとも“それだけではない”と言えそうです。

 もう一つ、古代の錆びない鉄として同じインドの「ダマスカス鋼」が知られています。そして…アショカ・ピラーの原料もこれではないかとの説があります。

 

3 ダマスカス鋼

「平原にのぼる太陽のごとく輝くまで熱し、次に皇帝の服の紫紅色となるまで筋骨逞しい奴隷の肉体に突き刺して冷やす…奴隷の力が剣に乗り移って金属を硬くする。」
  ・・・(小アジア)バルガル神殿の年代記

 ダマスカス鋼は、紀元前6世紀に南インドで開発された鉄鋼で、シリアのダマスカスで刀剣などに鍛造されたことからそう呼ばれるようになりました。

(古代インドでは「ウーツ鋼」と呼ばれた。)

 小アジアのバルガル神殿の年代記にも記されているように、ダマスカス鋼で造られた刀剣は広く近隣諸国に輸出されるほど有名でしたが、その造り方は一子相伝。

 「錆びない」という高品質もありましたが、何といっても特徴的なのがその美しい文様。日本における刀剣の伝承も一子相伝であったように、おそらく企業秘密とされたのでしょう。

ダマスカス鋼のナイフ

(出典)Wikipedia

 この帯状の美しい文様は、るつぼ製鋼による内部結晶作用がもたらしたものということですが、その切れ味については、“もし絹のネッカチーフが刃の上に落ちると自分の重みで真っ二つになり、鉄の鎧を切っても刃こぼれせず、柳の枝のようにしなやかで曲げても折れず、手を放せば軽い音とともに真っ直ぐになる”という伝説が残っているほど。

(やや誇大表現のような気もしますが。)

 11世紀から繰り返しイスラムの聖地エルサレムに遠征した十字軍にもその名声は届いたようで、十字軍の騎士たちはダマスカス鋼の刀剣を所持することを誇りにしていたと言います。

 ところが現代では、ダマスカス鋼の製法は失われてしまっています。高品質のダマスカス鋼製品は18世紀まで、低品質のものも19世紀初頭には歴史から消えて行きました。

 元々「一子相伝」ということもありますが、18世紀のインドと言えばムガール帝国が綻びを見せて地方王朝が乱立。そこに進出してきたイギリス東インド会社が覇権を奪う大動乱期です。

 「錆びない」・「美しい」・「切れ味抜群」のダマスカス刀剣は、歴史の濁流に呑み込まれてしまうのです。

 この失われた技術を再現する試みも為されています。一時は完全再現に成功したという発表もありました。

 しかし、その後の学術研究で、本来のダマスカス鋼を電子顕微鏡で見るとカーボン・ナノ・チューブ構造が発見され、再現実験は不十分という指摘がなされました。現時点で誰もが認める成果は出て居ないのが現実です。

 現代で「ダマスカス鋼」を称する製品も造られていますが、これは異種の金属を積層し鍛造することでダマスカス鋼に似た文様を浮かび上がらせたもの。

 ちょっと調べてみましたが、その「品」といい「格」といい、本来の物とは別物と言わざるを得ません。

現代の模造製品

 ダマスカス鋼は何故錆びないのか?

 …「デリーの鉄柱」もそうですが、ベースとなる鉄が高純度である事に加え、逆に「何かを付加している可能性」が指摘されています。

 ダマスカス刀剣の特徴となるダマスク模様として炭素鋼の粒子が層状に配列するためには鋼材にバナジウムを付加することがが必要だというのです。

 そして、この研究では、ダマスカス鋼の精錬技術が失われたことも政治的な動乱による一子相伝の断絶より、バナジウムを含むインド産鉄鉱石の枯渇が原因ではないかと考察されています。

 いずれにしても「インドの錆びない鉄」の謎は未だ明らかにされてはいません。やはり、悠久の大地インドならではの神秘なのか。

 ところが… 「錆びない鉄」は日本にも存在していたのです。

 

4 千年の釘

 日本の伝統建築と言えば木組みによる釘を使わない建築方法が思い浮かびますが、寺社建築などでは「和釘」という大型の釘が用いられました。

 そうした中、法隆寺金堂に用いられた飛鳥時代の和釘は未だ錆びておらず、しっかりと構造を支える力のあることが話題になりました。

法隆寺金堂

(出典)panoramio.com

 現代の洋釘は錆びやすく、その鉄錆が周囲の木材部を侵食して構造を歪ませるため、耐用年数は30年程度とされます。

 これに対し、和釘の歴史は古く弥生時代からあったとされ、実際に確認できるものとしては法隆寺金堂のものが最古ですが、飛鳥・白鳳期の寺院の和釘は、改修などに際して再使用できるものが多いと言います。

 和釘が堅牢なのには歴史的な背景があります。和釘が用いられていたのは江戸時代までで、明治維新によって洋風建築様式が導入されると同時に洋釘も入って来ました。

 どんどん高まる洋釘の需要に対し、フランス、イギリス、ベルギーなどからの輸入では追い付かなくなり、国策として1908年に官営八幡製鉄所が洋釘用の線材生産を開始し、伝統の和釘は淘汰されて行くのです。

 今では寺院の改修などしか出番の無くなった和釘ですが、洋釘は大量生産に対応するため製造工程の燃焼材に石油や石炭が用いられ、そこに含まれる硫黄が混入して割れやすい性質があります。

 割れにくくするためにマンガンが添加されるのですが、今度はそのマンガンが硫黄と反応して硫化マンガン化合物となり、これが錆を誘発するのです。

 これに対し伝統の和釘は、釘鍛冶と呼ばれる職人が一本一本を手作りで鍛造し、燃焼材は木炭のみ。硫黄やマンガンなどの不純物が混入することは無く、極めて純度の高い鉄が原料となります。

 しかも、大きな屋根を支える垂木(たるき)という構造に用いるため、長さが30センチ、重さが300グラムで角状の断面を持ち、形状も含めて洋釘とは全くの別物なのです。

和釘

(C)堂宮大工 内田工務店

 1976年から世界遺産である薬師寺の大改修がなされましたが、この改修を行うに当たって、大論争が起きました。

 鉄筋コンクリート造りを主張する大学教授の竹島卓一氏に対し、宮大工の西岡常一氏は頑として木造を主張して一歩も引かなかったのです。

 「鉄筋コンクリートは持って数百年。ヒノキなら1千年は持つ。」というのが主張でした。

 結果、金堂の内陣のみ鉄筋コンクリートとし、木造とすることが決まったのですが、ここで大きな問題が露呈します。それは、木材を固定する釘の問題。

 釘が一度打ち込まれれば、次の1000年後の改修まで抜くことはできません。それに耐える「千年の釘」を再現しなくてはならなかったのです。

 この「千年の釘」再現を託されたのが、四国松山の鍛冶職人白鷹幸伯(しらたかゆきのり)氏でした。

 折しも国内の鉄鋼業界で量産鉄の高純度化の検討が進められており、白鷹氏は、古代鉄よりさらに純度の高い釘材料の入手に成功するのです。

鍛冶職人白鷹幸伯氏

(C)堂宮大工 内田工務店

 しかし材料の入手で事が完結する訳ではありません。そこからが本当の苦難の始まりです。

 鉄の純度が高いだけでは錆びない釘はできないのです。いにしえの釘鍛冶の鍛造技術、それを取り戻さなくてはなりません。

 鍛造は叩く過程で金属の結晶を整え、気泡などの内部空隙を圧着させることで堅牢な構造を実現します。これは日本刀の鍛造とも通じますし、あのダマスカス鋼も鍛造されていたことが思い浮かびます。

 また内部の空隙を無くすことで、表面に生じた錆が内部まで侵食することが抑止できるのです。

 白鷹氏は試行錯誤を重ね、遂に「千年の釘」の制作に成功します。彼が打ち上げた和釘は何と3万本。打ち上げるまでには実に4半世紀の年月が流れていました。

 “錆びない鉄”を目指して誠心誠意、不可能を可能に変えた和釘職人としての意地と矜持。その生き様こそ、まさにダンディズムではないでしょうか。

 

/// end of the “その183 「鉄のダンディズム/錆びない鉄」” ///

 

《追伸》

 この話を書こうと思ったのは、職場の同僚であるY課長(ヨッシーとも言う:笑)からサジェスチョンを受けたためです。

「地球上に、もともと鉄は存在しなかったんです。」

「インドには1600年以上も錆びない鉄柱があるんです。」

「法隆寺に使われている釘は錆びてダメになったりしていないんですよ。」etc…

 彼がこんなに熱いのは、彼自身、誰も成功していない古代製鉄法の再現にチャレンジし続けているから。

 福島市在住の刀剣作家藤橋氏とともに製鉄炉の操業実験を行い、生成した古代鉄(ハガネではない)で古代刀を再現することを目標に、毎年、私財を投入して頑張っています。

 で、錆びない鉄と言われる「デリーの鉄柱」の写真を検索してみますと…なんだ、錆びてるじゃん!

「いえいえ、表面は錆びてますけど、中は大丈夫ってことです。」…なんだ、そう言う事か。

 でも、Wikiでもどこでも「錆びない鉄」って事で紹介されています。これって誤解する人多いんじゃないかな。

(※~と言いながら、この記事でも「錆びない鉄」ってタイトルにしてしまいましたが:笑)

 東北大学が99.9999%の超・高純度の鉄(いわゆる“フォーナイン”)の製造に成功しました。ここまで純度が高くなると、加工しやすく錆びにくく、その上、酸や極低温にも強いのだとか。

 これまで我々が「鉄」と呼んでいたイメージは、すべからく「鉄化合物」の性質だったという事ですね。

 この先、「完全な純鉄」というものは実現するのでしょうか。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

超・高純度鉄

(出典)NHK放送

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To be continued⇒“184”coming soon!

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【岸波通信その183「鉄のダンディズム/錆びない鉄」】2016.7.16UP

 

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