岸波通信その184「ノーベル賞の謎」

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岸波通信その184
「ノーベル賞の謎」

1 22対9対0

2 ノーベル平和賞の疑問

3 平和賞の政治利用

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  Nobel Prize Mystery 【2016.12.18配信】

「キップリング、ショー、トーマス・マン、パール・バック、アルベール・カミュ、ヘミングウェイなどの偉大な人々と共に名を連ねることは、言葉では言い表せないほど光栄なことです。」
  ・・・ボブ・ディランの受賞メッセージ

 12月10日にストックホルムで開催された2016年のノーベル賞授賞式には、三年連続日本人からの受賞となった東京工業大学の大隅良典栄誉教授(医学・生理学賞)が出席しました。

 それにしても、今年のノーベル賞については文学賞でボブ・ディランが選ばれたことが各方面で話題に…いや、"物議”をかもしたと言っていいかもしれません。

ボブ・ディラン

(2016年ノーベル文学賞受賞:授賞式には欠席し、晩餐会にメッセージを送った。)

 ボブ・ディランと言えば、僕らが小学校の頃、コピーバンドなどをやっていたPPM(ピーター・ポール&マリー)の「風に吹かれて」の作詞・作曲家。

 当時、ビートルズ旋風も吹き荒れていましたが、僕らはどちらかと言えばフォークソング派。キングストン・トリオやブラザース・フォアらがもっぱらのお気に入り。そうしたモダン・フォークブームの中にあって、ボブ・ディランは『神様』の扱いだったと思います。

 そんなフォークソングの英雄が世界に綺羅星の如くの文学作家らを抑えて「文学賞」を手にしたのですから、深い感慨を覚えるとともに、世界に与えたサプライズも半端ではありませんでした。

 果たして…ゲイリー・シュタインガートやジェイソン・ピンターら何人かの作家から「誰か別の人間に授与すべき」と反対の声が上がる一方、スティーヴン・キングやジョナサン・レセムらは「素晴らしい決定」として祝福の声が。

 これでは当のボブ・ディランならずとも「沈黙」を守るしかなかったでしょう。自ら望んだわけでもなく、その複雑な心中、察するに余りあります。

 ノーベル賞の受賞者選定が物議をかもす…実は、今に始まったことではないのです。

 

1 22対9対0

 例年、ノーベル賞の授賞者発表の時期が近付くと、マスコミがお騒ぎする国があります。そう、それはお隣の韓国。国を挙げてのノーベル賞狂騒曲は『ノーベル症』と揶揄されるほどに。

 10月5日の韓国経済新聞の社説のタイトルは「日本22 中国9 韓国0…韓国では科学と政治があまりにも近い」というもの。科学分野の受賞数を比較したものです。

 自国の「国際的順位」を異常なまでに気にする韓国にとっては、アジア三国の中で圧倒的下位に甘んじていること、いや、「仮想敵国」と呼んで憚らない日本より下という事が我慢ならないのでしょう。

大隅 良典

(2016年ノーベル医学・生理学賞:東京工業大学科学技術創成研究院特任教授・栄誉教授)

 何せ、正しい報道をした産経新聞ソウル支店長を"見せしめ”のため起訴した世界に恥ずべき暴挙を例に出すまでもなく、「親日罪」(親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法)という「罪」が存在し、禁じ手の「事後適用」までして、親日者の財産を没収するということを未だにやっている国なのですから。

「韓国は研究開発投資が少ない国ではない。GDP比の研究開発費は世界最高水準だ。十分に産業化の歴史も持つ。ノーベル賞はない。」・・・韓国経済新聞社説

 そんな韓国、今度は9月28日付けの中央日報の記事。

「韓国科学者「6~10年内にノーベル科学賞受賞可能」」

 どういう根拠かと興味津々、記事の中身をのぞいてみると…韓国研究財団が実施した研究者向けのアンケートで、回答者122人の答えを集計すると「6~10年で取れる」という回答が27%で、最も多かったとのこと。

 …なんだ、身内のアンケートですか。これを翻訳して、日本語版のトップに持ってきた意図が図りかねます。

 そしてついには、10月12日付けの韓国経済新聞コラム。

「ノーベル賞は受けない方がよい=韓国」

 …記事の内容は詳報しませんが、もうここまで来ると"ノーベル症”も極まれりというところでしょうか。

 ところが、そんな韓国でかつて一人だけノーベル賞を取った人物がいるのです。

金大中と金正日

 その人物とは、韓国の第15代大統領金大中氏。

 弾劾を受けた現18代大統領朴槿恵の実父朴正煕大統領の最大の政敵で、1973年に韓国のKCIAによって拉致され、殺害される直前に日本の自衛隊によって命を救われたその人です。

 金大中は大統領在任中、北朝鮮に対する緊張緩和策「太陽政策」をとったことでノーベル平和賞を受賞しましたが、その実態は、歴史的な南北会談実現のために現代グループを通じて4~5億ドルを金正日に不法送金するという、まさに「金で買った首脳会談」であったことが後に明らかになります。

 また、その任期末には三人の息子による「不正蓄財」が露見するなど、「ノーベル平和賞」に泥を塗る行状が世界の知るところとなりました。

 確かに… これでは韓国民も「ノーベル平和賞」受賞者がいたぞなどと、胸を張って言う事は出来ないでありましょう。

 しかぁしっ!

 …まさにこの「ノーベル平和賞」ほど、受賞者の選定に疑問が呈されて来た賞はないのです。

 

2 ノーベル平和賞の疑問

 ノーベル賞五部門(+1分野:経済学分野)のうち平和賞は、創設者のアルフレッド・ノーベルがスウェーデンとノルウェーの和解を祈念して設けたことから、スウェーデンではなくノルウェー政府が授与主体とされています。

 選考の対象となった人物は50年間秘匿されることになっており、死後ではなく「生存者」が条件となっています。

 問題はこの「生存者」条件。つまり、ある時点での「業績」に対して授与されるために、その後、その人物が受賞者にふさわしくない行動をとるリスクは勘案されないのです。

 例えば、現アメリカ大統領のバラク・オバマ氏。彼は2009年、プラハで「核なき世界」を呼びかける演説を行ったことで平和賞を受賞しましたが、翌2010年には自ら臨界核実験を命ずるなど、在任中に受賞者としてふさわしい行動をとったかどうかは誰でも知っています。

 そもそもその年の平和賞推薦の締め切りが大統領就任後の12日目であり、こんな"言うだけ番長”なら誰にだってできる…と思いませんか?

バラク・オバマ大統領

(2016年5月27日 広島の平和記念公園で演説)

 また、我が国から1974年にノーベル平和賞を受賞した佐藤栄作首相の場合、「非核三原則」を提唱したことが理由でしたが、2010年の西山事件の際、「有事の際の核兵器持ち込み」の日米裏合意のあったことが暴露され、面目を潰しています。

 一方では、当然受賞しているはずと思われる人物が受賞していないケースも見受けられます。

 例えば「非暴力主義」によるインド独立の父マハトマ・ガンディー。1937年から1948年までの間、5度にわたって候補となりましたが、受賞には至りませんでした。

(最後の1948年はガンディーが候補となりながら亡くなった年で、業績は十分と見られましたが「生存者ではない」という理由で却下されています。)

 先の金大中も含め、「何かを提唱」するだけで簡単に受賞し、その後に全く実績を挙げられなかった、あるいは裏切っていた者が居る一方、その生涯をかけて地域紛争の平和的抑止に尽力した者が選外となるなど、本当に公正な選定なのかと疑問を感じざるを得ないのです。

 

3 平和賞の政治利用

 昨年10月9日付けのドイツ新聞「ディ・ヴェルト」は『ノーベル平和賞における巨大な誤った決定』との見出しで過去のノーベル平和賞受賞者選定に関して疑問を呈しました。

 その一つは、母国で政治犯として訴追されている人物への授与です。

 これには、1975年のソ連のサハロフ、1991年のミャンマーのアウン・サン・スーチー、2010年の中国の劉暁波などが挙げられており、それぞれの受賞決定にあたっては当該国から激しい反発を受けることになりました。

 あまつさえ、ソ連では「レーニン平和賞」を、中国では「孔子平和賞」を創設し、ノーベル賞に対抗する事態となったのです。

アンドレイ・サハロフ

 また、2002年のアメリカのカーター元大統領に対する平和賞と2007年のアルバート・ゴア元副大統領に対する平和賞の授与は、イラク戦争に反対する立場を取っていたノルウェーなど北欧諸国がイラク進攻を推進するブッシュ政権に対して「牽制」をしたものと受け止められています。

 2000年の大統領選挙でブッシュと超僅差の戦いをしたアル・ゴアへの授与理由は「地球環境問題」に対する警鐘でしたが、ゴアの実生活はその主張と裏腹に全く省エネとは無関係なものだったことが暴露されています。

 さらに、泥沼化していたベトナム戦争について「パリ平和協定」を締結した功績で、北ベトナムレ・ドゥク・トとアメリカのキッシンジャー補佐官の双方に授与を決定した際は、世論から激しい非難を浴びることとなりました。

 結局、レ・ドゥク・トは辞退、キッシンジャーのみの平和賞授与となりましたが、その二年後、北ベトナムはパリ協定を破棄、南ベトナムへ侵攻して全土の武力統一を果たすのです。

 う~むぅ…。

ヘンリー・キッシンジャー

 このように、ノーベル平和賞は世界各国の政治的思惑と無縁ではありえず、しかも「生前授与」という条件から、受賞後にその期待を裏切るというリスクから逃れることは難しいと言えます。

 二年前には、「女性が教育を受ける権利」を主張してパキスタン・タリバン運動から銃撃を受けたマララ・ユスフザイが19歳でノーベル平和賞を受賞しましたが、さすがに若すぎないか?

 このケースもまた、生涯をかけて平和運動を全うしながら受賞者とはならなかったマハトマ・ガンディーと比べてどうなのか…?

 あれこれ考えるうち、当の創始者ノーベル自身は平和賞に関してどのように考えていたのか知りたくなって調べました。

 そこには、明快な答えがありました。最後にノーベル自身の言葉です。

「私は平和的発案の促進の為、私の死後、大きな基金を残すつもりだ。
 ただ、私はその結果については懐疑的だ。」・・・アルフレッド・ノーベル

 ノーベルは分かっていたのです…運用が難しいことを。そして意外にも…「平和賞」こそが彼の"思い”の核心でした。

 困難であるとしても「平和」に関する賞の創設を志す…それはいったい何故だったのか?

 その理由は……

 戦争利用で人類に仇為す可能もあったダイナマイトを自ら発明し、それによって巨万の財を成した、彼のせめてもの贖罪だったのかもしれません。

 

/// end of the “その184 「ノーベル賞の謎」” ///

 

《追伸》

 ノーベル医学・生理学賞を受賞した大隅良典教授は僕よりも少し上の世代ですが、それこそボブ・ディラン伝説の真っ最中を経験した人だと思います。

 12月11日未明(日本時間)にストックホルムで開催された授賞式や晩餐会で、ボブ・ディランと会えることを楽しみにしていたとのこと。

 あいにく本人の出席はかないませんでしたが、晩餐会で代読されたディランのメッセージについて「あの瞬間は彼が会場にいるような雰囲気になったからよかった」と述べたそうです。

 一方、岸波通信サイトの人気コーナー、アンブレラあつしの「風に吹かれて」というネーミングは、もちろんボブ・ディランをリスペクトしたオマージュ。

 あつしは…「個人的には『ノーベル賞、ボブ、イラン』と言って欲しかった」と言ってましたけど(笑)

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

アルフレッド・ノーベル

(ダイナマイトの発明者)

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To be continued⇒“185”coming soon!

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