たまたま旧知の文学者に発見されて、そのまま病院へ担ぎ込まれましたが、4日間の危篤状態が続いた後、10月7日早朝に息を引き取りました。
奇妙なことに、ポーは発見された時に他人の服を着せられており、発見されるまでどこで何をしていたのか分かっていないのです。
映画『推理作家ポー最後の5日間』では、死の直前の5日間に小説の模倣犯の事件に関わり、結果的に命を落とすのですが、現実の「5日間」は“危篤状態でベッドの上”であった訳です。
それにしても、結婚式を間近に控え、自分の選集も発行されるという幸福な時期に突然訪れた死…全てが不可解です。
映画の中での最後の言葉は、模倣犯の正体を告げるための『フィールズ(刑事)に彼の名はレイノルズだと伝えてくれ』であったのですが、実際の彼の最後の言葉は『主よ、私の哀れな魂を救いたまえ』でした。
今わの際に求めたものが、“肉体的な延命”ではなく“魂の救い”であったことが、一つのヒントかもしれません。
ならば、彼の救われない魂は、どのように育まれたのでしょうか?
2 誕生と別離
ポーは1809年にマサチューセッツ州のボストンで生まれました。
両親は共にスコットランド系のアイルランド人。劇団の俳優同士で結婚し、兄のウィリアムとポーの兄弟、後に知恵遅れの妹ロザリーをもうけています。
しかし、巡業で忙しい両親は幼い兄弟を育てることができず、彼らはボルティモアにあった父の実家に預けられていました。
ところがポー一歳の時、父のデイヴィッドは巡業先で失踪し、二度と家族のもとへ戻ることはありませんでした。
途方にくれた母エリザベスは、ポーだけを自分のもとへ引き取りますが、当時、お腹には妹のロザリーが宿っており、その出産準備のためには仕事を休まざるを得ません。
極貧の生活の中、なんとかロザリーを出産しますが、エリザベスは結核を患い、ポー二歳の時に帰らぬ人となったのです。
両親を失った幼い兄弟たちは、兄ウィリアムが父の実家に、ポーとロザリーは両親と親交のあった別々の家族に引き取られ、それぞれ別の人生を歩むことになりました。