母の訃報を聞いたのは、4月5日の夜・・いいえ、12時を回っておりましたので、4月6日の午前零時過ぎでした。
寝たきりの親父から会津のアパートにいる私に携帯の着信がありました。
万一の時の緊急連絡にと番号を登録させておきましたが、実際に親父からかかってきたのは初めてでしたので、なにかこう・・厭な予感がいたしました。
もしかして、父の身に何か・・・あるいは、福島へ返していたケイ子の身に何か・・・
しかし、電話に出た父は、出ない声を振り絞りながら・・・
「ヤス、大変だ!かあちゃんが変なんだ。タスケテクレ・・」と。
いったい何が起こっているのか、理解できませんでしたが、
「だいじょうぶだ、すぐに何とかする。少しだけ頑張ってくれ!」
~と言って、すぐに福島にいる弟やケイ子に電話を入れて向かわせました。
ケイ子と佑樹が家に入ると、父のベッドの傍らで母がうずくまったままおりました。
すぐに救急車を呼び、その指示で心臓マッサージをしたのですが、既に母は冷たくなっておりました。
検視報告によりますと突然の脳梗塞であったらしく、既に死後4時間は経過していたとのこと。
思い切り倒れたのではなく、うずくまるように床に伏したため、催眠剤を飲んでいる父には分からなかったのです。