岸波通信その161「岡本太郎の博物館」

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Present by 葉羽
「「Please Don't Go」 by Blue Piano Man
 

岸波通信その161
「岡本太郎の博物館」

1 はじめる視点

2 博物館から覚醒するアーティストたち

3 太陽の塔の真実

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  The Museum of Taro Okamoto 【2017.10.27改稿】(当初配信:2009.10.13)

「人間は動物を食い、動物が人間を食った時代。
 あの暗い、太古の血の交歓。食うことも食われることも、生きる祭儀だった。
 残酷で、燃えるような、宇宙的な情熱が迫ってくる。
 そういうものをふるい起こさないで、ヒューマニズムもちゃんちゃらおかしい。」
  ・・・岡本太郎「日本再発見」より

 10月初旬のある朝、博物館のエントランスで異様なモノを眼にしたのです。

異様なモノが…

(福島県立博物館)

 これはいったい何なのか?

 昨日まで、こんなものは無かったはず。

 まるでそれは、ジュラ紀の巨樹の切り株のようにゴツゴツとした物体。

 不思議なオブジェが周囲を圧する威容をもって鎮座していたのです。

 ああそうか・・・間もなく今年の秋の企画展が始まるのだ。

 今年のテーマは「岡本太郎と博物館・はじめる視点~博物館から覚醒するアーティストたち~」。

 ~ということで、今回は、福島県立博物館が挑戦する前代未聞の企画展の話です。

 

1 はじめる視点

 なぜ、“前代未聞”なのか?

 博物館の企画展といえば、普通、専用の展示室で開催するもの。

 もちろん、「企画展示室」でも岡本太郎に関する本来の企画展示を行うのです。

 でも、それだけじゃない。

 福島県立博物館の常設展示場、果てはエントランスから屋外に至るまで、新進アーティスト達に作品発表の場として開放してしまうのです。

 本来、常設展示場というのは、年代別・分野別に整理された古文書や美術品、民俗資料などを展示するスペース。

 その中に、文化的展示資料とは全く異質である現代アートを交雑して展示してしまう・・・

 観覧客にとって、もはや混乱は避けられないでしょう。

 まさにそれは、“禁じ手”とされてきたこと。

 しかし・・・

 今回の企画展に限り、“どうしてもそうしなければならない必然的な理由”があったのです。

太陽の塔

 岡本太郎といえば、1970年の大阪万博のシンボルタワー“太陽の塔”を作ったアーティスト。

 当時のテレビコマーシャルで“芸術は爆発だ!”と叫ぶ彼の姿は、どこか浮世離れした前衛的な芸術家として日本中に認識されていたはず。

 しかし、そんな彼のルーツは、博物館と切っても切れない関係がありました。

 岡本太郎は、フランス留学中の若き日にマルセル・モースに人類学を学び、ミュゼ・ド・ロンムという民族博物館に足繁く通いました。

 それは、1925年に開催されたパリ万博の跡地に造られた博物館。

 さらに、第二次世界大戦後には東京国立博物館で、その後の創作活動における重要なモチーフの一つ、“縄文の美”を発見するのです。

 彼の“太陽の塔”は、このような博物館との出会いによって培われた芸術的感性の結晶であったのです。

 ならば、現代のアーティスト達にも博物館を開放し、新たな芸術的感性を覚醒させて、より高い次元の創作に繋げてもらいたい。

 ・・・そんな意図で、あえて“禁じ手”を破り、常設展会場が創作発表の場として開放されたのでした。

 

2 博物館から覚醒するアーティストたち

 その結果、趣旨に賛同して、福島県立博物館を創作の場にしようと参加したアーティストたちは44名。

 専門分野は、陶芸家、画家、書家、切り絵師、音響芸術家、映像芸術家、空間芸術家など様々。

 実に迫力のある企画展となりました。

 むしろ、県立博物館の常連さんほど、その様変わりした展示場に驚くことでしょう。

 文化資料とアートとの、二つの異空間が重合した不思議な世界。

 しかし、それらは決して無関係でなく、互いに共鳴しあいながら何かを発信しようとしていることに気づくはずです。

 では、この展示から僕が受け取ったメッセージについて、そのいくつかをご紹介いたしましょう。

 まず最初は、江戸時代の伝馬船の帆に投射された流れる雲の映像。

Simultaneous Positioning
~彼方と此方~

(作:丸山常生)

 この雲は、ただのコンピュータ・グラフィックスではありません。

 実際に静止衛星から撮影された二カ年間の地球の雲の動きを映写しています。

 その上空には、天秤の柄に吊るされた天駆ける舟が周回して・・・。

 伝馬船は、この世と彼岸を往来する“魂の箱舟”でしょうか。

星を受け止める為の器2007
-円のためのオマージュ-
※製作風景

(作:伊藤将和)

 古来、星は信仰の対象とされてきました。

 エジプト文明に代表される太陽信仰に対し、メソポタミア文明などの星信仰が有名です。

 常設展の中央通路に、木組みで夜空に向けて開く大輪の花が製作されようとしています。

 星の声を受け止めようとする花びらは、どんな祈りを捧げたのでしょう。

聖老人

(作:島剛)

 冒頭に掲げたシルエットの正体が上。

 樹齢7200年のものもある屋久島の縄文杉は、人類の歴史と共にその命を紡いできました。

 倒木から新たな命が芽生え、さらにその倒木から次の世代が生まれる三代株もあります。

 その三代株をモチーフにした、巨大な焼き物の“聖老人”。

 聖老人は、ヒトの営みをどのように見て来たのでしょうか。

聖(虹の天蓋)

(作:吉田重信)

 博物館にある「白水阿弥陀堂」のレプリカの上空に、七色の虹がかかりました。

 いわき市のアーティストによるテーマ連作「聖」のひとつ“虹の天蓋”です。

 この虹の色は、茜色、鶸色(ひわいろ)、深縹(こきはなだ)、赤朽葉色(あかくちばいろ)など、日本の伝統色を用いているように見えます。

 “和”の美しい調和・・・それはまさに浄土の風景でしょうか。

星の舟

(作:安斉重夫)

 博物館に展示されている丸木舟。

 既に朽ち果て、二度と大海に漕ぎ出すことは叶いません。

 この丸木舟が生きていた頃、人々はどのような夢や希望を抱いて未知なる海へと漕ぎ出したのでしょう。

 この作品は、永い眠りについた丸木舟の、そんな記憶を呼び起こしているように思えます。

マイスイートハニー

(作:サガキケイタ)

 “群集する古墳”のコーナーに展示された巨大な埴輪のオマージュ。

 作者は、子どもの頃に教育チャンネル「おーい!はに丸」で最初に見た“はに丸くん”の恐ろしい姿に怯え、強いトラウマが残ったと言います。

 埴輪が決して恐ろしいものでなく、むしろ鎮魂のために存在するとわかった今、幼き日に傷ついた心を成仏させるために、この作品を創ったのです。

 この作品の表面に描かれた微細な文様を細かく見ると、それ自体が“群集する埴輪”であることに驚かされます。

 

3 太陽の塔の真実

 今回の企画展では、博物館から多くの感化を受けた岡本太郎にちなむ「常設展アート展示」のほか、二つの視点が用意されています。

 その一つが、岡本太郎自身が撮影した凄みのある写真たち。

 そして、「けんぱく版東北の太陽の塔」です。

 「太陽の塔」とは、いったい何だったのか?

 太郎が大阪万博のシンボルタワー「太陽の塔」を完成させた時、人々はその異様な外観に“まるで変な顔が付いた牛乳瓶のお化けのよう”と驚き、「日本の恥辱」とまで酷評を浴びせる知識人もいました…。

太陽の塔

「“祭り”と“お祭り”はちがう。

 “祭り”は根源の時代から、人間が絶対と合一し、己を超えると同時に己自信になる、人間の存在再獲得の儀式である。

 極めて神聖な、厳粛な場でなければならない。」

 太郎は、シンボルタワーのプロデューサーを依頼された時に、そう考えました。

 この大阪万博は、はじめて西欧文化圏以外の地域で開催される歴史的な博覧会だったのです。

 それまでの万国博覧会は、もっぱら科学技術や工業力のデモンストレーションの場として機能し、国威宣揚の手段として開催されて来た“お祭り”でした。

「しかしその反面、現代人は本当に自分自身で生きているという、存在の充実感を見失って、深刻な疎外感に悩まされている。」

「進歩が果たして生活を充実させ、人間的、精神的な豊かさを与えうるのかという、苦い問いがますます重く心にのしかかってくる。」

 科学技術・工業技術の発展の中で、我々は見失われつつある重要なものを忘れてはいないか。

 作りものや見せものの強烈な色や光や音に耳目がさらされて、存在としての人間がむなしくなってしまっては意味が無いのではないか。

 当初、主催者側は、シンボルタワーの内部に併設する展示施設に、「人類の進歩と調和」というテーマに基づき、人類の発展に寄与した偉人たちの顔写真を並べようと考えていました。

 しかし、これに対して太郎は「世界を支えてきたのは無名の人たち」であると、NO!を突きつけます。

 未来への夢に浮き上がってゆく近代主義に対して、ここだけは我々の底にひそむ無言で絶対的充実感を突きつけるべきだと譲らず、「人間文化の切実であり誇らかな証拠」として、世界中の民族から集めた神像や仮面や生活用具を展示したのです。

「繰り返して言うが、これらは見せるために作られたのではない。

 てらい気もなく、見せようという意識もなく、民衆の生活そのものの中から自然に凝縮し、あふれてきた姿。

 そのデリケートで気品に満ちた凄みに圧倒される思いがする。」

 それは、太郎の素直な心情の吐露ではなかったでしょうか。

太陽の塔

 かくして、この太陽の塔の地下展示室には、これまで万博参加など思いも寄らなかったアフリカやオセアニアを初めとする世界中の発展途上国から、かつてない規模の民族史料が集められました。

 「人間文化の切実であり誇らかな証拠」として…。

 太郎は、この太陽の塔によって、西欧文化圏以外で始めての万国博覧会を、華やかな虚飾に満ちた“お祭り”から、人類の根源の重みを見直す“祭り”へと変貌させたのです。

 “祭り”であるために、そこには神聖な中核が必要でした。

 それこそが、太陽の塔の本質だったのです。

 神聖感をあらゆる意味で失ってしまった現代において、おおらかな凄みで全ての人の存在感をうちひらき、人間の誇りを爆発させる司祭として…。

大阪万博テーマ館広場

 太陽の塔に集められた神像や仮面などのコレクションは、その後、国立民族学博物館が整備されて、そこに引き継がれました。

 太郎の展示は、国内の民族学研究者たちが長年切望してきた民族史料の常設展示施設を実現させる大きな契機ともなったのです。

 福島県立博物館の企画展示室には、太郎の撮影した力強い写真のほか、福島県内・東北地方の考古・民俗資料によって再構成された「けんぱく版東北太陽の塔」が展示されています。

 日本文化の深淵に眼を向けた岡本太郎と、郷土の歴史を紐解く次世代のアーティストたちの視点が交差する秋の企画展「岡本太郎の博物館~博物館から覚醒するアーティストたち」。

 その豊かな感動を貴方と共有することができたなら・・・

 

/// end of the “その161 「岡本太郎の博物館」” ///

 

《追伸》

 下の写真は、県立博物館の内装の壁面ですが、キレイに右上から左下へ縞々が掘られています。

 ところが実は、博物館の内部でたった二箇所だけ、この縞模様が逆になっている場所があるのです。

 「100パーセントにしないで、あえて不完全な部分を残しておく」という建築家のこだわりによって、そうなっているらしいのですが、さてどこの部分でしょう?

 展示解説員は一箇所だけは知っていると思いますが、もう一箇所は僕が発見したので、彼女達も知らないとおもいます。

 どうですか、探してみては。ふっふっふ…。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

福島県立博物館の壁模様

←二箇所だけ逆になっている?!

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To be continued⇒“162”coming soon!

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【岸波通信その161「岡本太郎の博物館」】2017.10.27改稿

 

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