「“祭り”と“お祭り”はちがう。
“祭り”は根源の時代から、人間が絶対と合一し、己を超えると同時に己自信になる、人間の存在再獲得の儀式である。
極めて神聖な、厳粛な場でなければならない。」
太郎は、シンボルタワーのプロデューサーを依頼された時に、そう考えました。
この大阪万博は、はじめて西欧文化圏以外の地域で開催される歴史的な博覧会だったのです。
それまでの万国博覧会は、もっぱら科学技術や工業力のデモンストレーションの場として機能し、国威宣揚の手段として開催されて来た“お祭り”でした。
「しかしその反面、現代人は本当に自分自身で生きているという、存在の充実感を見失って、深刻な疎外感に悩まされている。」
「進歩が果たして生活を充実させ、人間的、精神的な豊かさを与えうるのかという、苦い問いがますます重く心にのしかかってくる。」
科学技術・工業技術の発展の中で、我々は見失われつつある重要なものを忘れてはいないか。
作りものや見せものの強烈な色や光や音に耳目がさらされて、存在としての人間がむなしくなってしまっては意味が無いのではないか。
当初、主催者側は、シンボルタワーの内部に併設する展示施設に、「人類の進歩と調和」というテーマに基づき、人類の発展に寄与した偉人たちの顔写真を並べようと考えていました。
しかし、これに対して太郎は「世界を支えてきたのは無名の人たち」であると、NO!を突きつけます。
未来への夢に浮き上がってゆく近代主義に対して、ここだけは我々の底にひそむ無言で絶対的充実感を突きつけるべきだと譲らず、「人間文化の切実であり誇らかな証拠」として、世界中の民族から集めた神像や仮面や生活用具を展示したのです。
「繰り返して言うが、これらは見せるために作られたのではない。
てらい気もなく、見せようという意識もなく、民衆の生活そのものの中から自然に凝縮し、あふれてきた姿。
そのデリケートで気品に満ちた凄みに圧倒される思いがする。」
それは、太郎の素直な心情の吐露ではなかったでしょうか。