岸波通信その159「縄文の舞姫」

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Present by 葉羽
「KIND」 by Music Material
 

岸波通信その159
「縄文の舞姫」

1 誰もやったことがないからいいんです

2 倒れるぎりぎりまで踊りたい

3 縄文の舞姫

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  Dancing princess of Jomon period  【2017.11.5改稿】(当初配信:2009.7.7)

「現状に満足してはならない。常によりよさを求めて努力するところに進歩はある。」
  ・・・「橋本先輩の人生ノート」より

 7月5日の日曜日、福島県立博物館でコンテンポラリー・ダンサー平山素子さんのダンス公演「けんぱくで見直すカラダ」がありました。

 彼女は、まだ記憶も新しい2008年北京五輪シンクロナイズド・スイミングで銀メダルを獲得した日本代表デュエットの演技振付けを行った人物。

平山素子「春の祭典」

(C)新国立劇場

 一昨年の11月には、ダンス公演「春の祭典」の高い芸術性が評価され、芸術選奨文部科学大臣新人賞、第26回江口隆哉賞を受賞した、まさに日本のダンスシーンをリードする存在。

 そんな彼女が今回選んだ舞台は、福島県立博物館の考古展示室でした。

 その異空間でのダンス公演が、見る者にどのような驚きと感動を与えたのか。

 僕は、その奇蹟を目の当たりにする幸運にめぐり合うことができたのです。

 

1 誰もやったことがないからいいんです

 何故、博物館なのか?

 実は、このダンス公演「けんぱくで見直すカラダ」は、福島県立博物館の2009年秋の企画展「岡本太郎の博物館・はじめる視点」の一環として企画されたもの。

 現代日本を代表するアーティスト岡本太郎は、パリの博物館で人類学を学び、東京国立博物館で縄文の美を発見した人物。博物館とは深い結びつきがありました。

 平山素子さんと同年、著書『岡本太郎の見た日本』で芸術選奨文部科学大臣賞受賞した福島県立博物館の赤坂憲雄館長は言います。

「かつて日本の縄文土器はモノであり学問の対象だった。
 しかし、岡本太郎が縄文土器の“美”を見出した時から、それはまた別の意味を持つようになった。」

赤坂憲男館長

(福島県立博物館)

 博物館を創造の源泉とした岡本太郎に学び、常設展示室を現代アーティストにたちに開放して、学術と芸術の出会いによって生み出される価値を演出するのが、この企画の狙いでした。

 しかし・・・

 今回の仕掛け人、福島大学の渡邉晃一准教授と県立博物館の川延安直学芸員から企画を持ちかけられた平山さんは悩みました。

 壁に展示物があって舞踊空間が確保しやすい美術館では同様の試みがあるものの、むき出しの展示物が並ぶ博物館では前例などない。

 まして博物館の床は固いコンクリート。決して舞踊に適したフィールドではなく、むしろ危険さえ付きまとうだろう。

 ともかくも、まずは現場確認ということで、福島県立博物館を視察することに。

福島県立博物館

(会津若松市)

 正面入口を入ると驚くほど広いエントランス・ルーム・・・

 そして、常設展示室の進入通路に設けられたタイム・トンネルの異空間・・・確かにスペース自体はある。

 しかし、そこでという発想は誰でも思いつくこと。

 第一、展示と切り離された場所で公演を行って、この企画の意味はあるのか。

 平山さんは、途中の休憩スペースに座り込むと、じっと動けなくなりました。

 やはり無理なのか・・・

タイム・トンネル

(福島県立博物館)

 再び歩み出した彼女が最後の展示室に入ると、そこで思わず足が止まる。

 そこは、縄文土器を展示した考古ルーム。

 そして、その隣には、巨大なフタバスズキリュウの骨格やナウマン象の牙を展示した自然展示室が。

「これだ!」

 湧き上がるインスピレーションの奔流から即座にイメージをまとめあげた彼女は、その場から彼女のダンス・パートナーの一人中川賢氏に電話を。

「隣の部屋で一緒に踊ってくれない?」

 彼女のプランは、巨大土器を中心に据えた考古展示室で自分が、恐竜骨格がある自然展示室で男性ダンサーがそれぞれ踊り始め、通路を抜けた白水阿弥陀堂の前でコラボするというもの。

 当初単独オファーであったものが、急転直下の展開でコラボレーションに。

 誰も挑戦しなかった博物館でのダンス・パフォーマンスは、こうして実現の運びとなりました。

 ここへ至るまでの困難さを問われて、公演後の彼女は言いました。

「誰もやったことがないからこそいいんです。」

 

2 倒れるぎりぎりまで踊りたい

 7月5日の午後1時、考古・自然展示室には130人のゲストの熱気が待ち構えていました。

 静かに入場した平山さんは、狭い土器の展示ケースの中に横たわると、まるで眠っているように動かない。

 隣室では、中川賢氏がフタバスズキリュウの足元にうずくまる。

 スタートのアナウンスも無いまま、突然消されて行く展示室の通常照明。

 やがて静かな雨音のようなBGMがスタートし、土器ルームには赤い照明、恐竜ルームには蒼い照明が点灯。

 観客は、いっきに異空間へ引きずり込まれました。

会場の土器展示ルーム

←前日の照明リハーサルでの画像。

 それから約30分間のダンス・パフォーマンスが行われました。

 舞踊の意味についての解説は全く無いのですが、僕には、神によって命を与えられた土器が永い眠りから覚め、自分に与えられた命と初めて見る外界の風景に戸惑いながら、やがて巨大な竜と出会い、与えられた命の奇蹟の歓びを全身で表現しているように思えました。

 同じように、8500万年の時を経て骨から蘇った恐竜は、この世界に誕生した美しい女神と出会ってその奇蹟を讃え、女神を乗せて天空を飛翔する神竜となるのです。

 途中、擬人化した竜が女神と踊るシーンは、まさに圧巻。

 激しいリズム、高いジャンプ、高速で切れ目の無いダンス・・・なによりも二人が織り成すストーリーと造形美に魅せられました。

平山素子「春の祭典」

(C)新国立劇場

 今回、こういった激しいダンスを目の前で見て、感じることがたくさんありました。

 遠目では気づけない、その激しい息遣いと肉体の軋む音。

 全身からは、汗が滝のように流れ出て、ターンのたびに辺りに飛び散ります。

 しかも、観客がひしめき取り巻く中での難しい舞踊のコントロール。

 観客の間近まで迫りながら見事に身体を寸止めし、急速ターンで汗の飛沫を浴びることも。

 臨場感・・・ 一体感・・・ 高揚感・・・

 画面を通した映像では、決して理解することのできない感動がそこにはある。

 「博物館でコンテンポラリー・ダンスを」~その無謀な提案は、この天才を得て、素晴らしい成果を生み出したのです。

開演前の様子

←本番画像は掲載できません。
秋の企画展で映像資料を公開予定です。

「ずっと、ドキドキして見ていました。」

 公演後の対談で、赤坂館長は言いました。

「まるで奇蹟を目の当たりにしたように感じています。
 常人にはマネの出来ない動き、選ばれた身体能力ですね。」

 彼女は答える~この後、もう一回公演があることを考えるとしんどくないと言えば嘘になると。

 しかし、決して自分に妥協はしたくない。

 一回限りの公演ならサプライズということで思い切った表現ができるが、続けて二度踊れるチャンスはめったに無い。

 むしろ一回目を超えることができるよう挑戦したいのだと。

会場の下見に訪れた平山さん

(福島県立博物館)

 館長が「土器の精が目の前に現れた気がしました。きっと古代のシャーマンも、こういう人と神を繋ぐ役割をしていたのでしょう」と話を向けると・・・

「私もシャーマンというものに興味を持っています。
シャーマンは、神と交信できない民衆すべてに代わってその役割を果たします。
 だから私も、人々の代わりに与えられた身体能力すべてを使って表現したい。
 いつも倒れるぎりぎりまで踊りたい~それが自分の使命だと思います。」

 

3 縄文の舞姫

「縄文土器の底には小さな穴が開けられているんです。」

 公演後の対談で、赤坂館長がそんなことを。

 かつて土器を造るのは女性の仕事でした。

 そして、土器に開けた穴に合わせるように小石が嵌め込まれ、そこに幼くして死んだ自分の子供を入れて埋葬したのだと。

 それは“子供を子宮にかえす象徴”でもあり、いつの日にか魂の復活を祈る儀式・・・

「つまり、土器は生と死がせめぎあう象徴的な入れ物なのです。
 平山さん、ご存知でした?」

 館長の言葉に、素直に驚きを表す平山素子さん。

「それを聞いてしまうと、後半はどう踊っていいのか悩みます・・。」

 でも、「どうせ同じ踊りは二度と出来ないんですから」とも。

 そのやり取りを聞いた僕は、むしろ平山さんがその意味を知らないまま“生命を与えられた土器が女神として目覚め、自らに起きた奇蹟とこの世の生きとし生けるものを祝福する”というストーリーを創ったことに感動しました。

照明の打ち合わせをするスタッフ

(福島県立博物館)

「平山さんの踊りは情緒的ではないですね。」

 情緒が足りないということですかと、少しうろたえる平山さん。

「いえ、私小説のように自我をそのまま表現して、相手におもねる事をしないということです。」

 ・・・確かに、僕も同じことを感じていました。

 十二分に魅力的なダンスであるのに、それはエロチックではないし“官能をくすぐる”というものでもない。

 むしろ魂に訴えかけてくるような強さや気高さを感じさせる。

 ほとばしる汗、肉体が軋むほどの激しい着地がそう感じさせたのか・・・

 いや、あの表情だ。

 ダンスのラストシーン、天空を駆ける竜の背に立ち上がってこの世の生きとし生けるものを温かい眼差しで包む、慈愛に満ちたあの表情だ。

 気高く、そして温かく慈しみに満ちた表情・・・そうか、あれは大地の慈母神だ。

平山素子「春の祭典」

(C)新国立劇場/撮影:南部辰雄

 赤坂館長も言います。

「縄文のヴィーナスを見たような気がしました。」

 まさにその姿は、天空からこの世に舞い降りた美神そのものでありました。

 常に訓練を怠らず、より高いものを目指して努力を続ける現代のトップダンサー平山素子氏。

 確かに貴女は、また一つ、今回の博物館公演で大きな可能性の扉を開き、私たちに素晴らしい感動をプレゼントしてくれました。

 いいえ、ダンスの高い芸術性だけではありません。

 貴女がコンテンポラリーダンスに注ぐ情熱、その生き方そのものが私たちに勇気を与えてくれたのです。

 ありがとう、現代に蘇った縄文の舞姫。

 

/// end of the “その159 「縄文の舞姫」” ///

 

《追伸》

 “けんぱくで見直すカラダ”と名づけられた今回のダンス公演。

「あれって、ダンスのテーマのことじゃないですよね?」と平山さん。

「ひらがなの“カラダ”というのは、どうも別なニュアンスを感じるね」と赤坂館長。

 どうもこのタイトルは、二人には評判が悪かったよう・・・。

「渡邉さん、アナタですか、このタイトルを考えたのは?」

 と、ついには犯人探しが。

 仕掛け人の渡邉さんは、「いや、そのぅ・・・」とうろたえる場面も。(あはははは!)

 でも、インパクトの強いネーミングで、社会的な注目を集めることには成功したと思います。

 残念だったのは、今回公演の写真が掲載できないこと。

 でも、しっかりとプロが映像資料に収めていますので、秋の企画展「岡本太郎の博物館・はじめる視点」では、ご紹介できると思います。

 2009年10月10日から始まる今年の企画展、是非とも福島県立博物館に足をお運び下さいませ。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

平山素子ダンス公演
「Life Casting-型取られる生命-

(C)新国立劇場

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