岸波通信その138「職業への多様な道」

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岸波通信その138
「職業への多様な道」

1 もう一つの“2007年問題”

2 高度な技能者の必要性

3 職業への多様な道
  ~マイスター制度

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  Meister System 【2017.12.31改稿】(当初配信:2007.1.8)

「日本の手工業者は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず練達であって、人民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人はもっとも成功している工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう。」

・・・「ぺルリ提督 日本遠征記」

 「日本の手工業者は世界におけるいかなる手工業者にも劣らず練達であって、人民の発明力をもっと自由に発達させるならば、日本人はもっとも成功している工業国民にいつまでも劣ってはいないことだろう。」

 これは、幕末に来航したペリーが書き残した言葉です。(「ぺルリ提督 日本遠征記」)

 具体的な例として大工、石工、桶職人、飾り職人などを挙げ、染色や漆器の技術もすばらしいと述べています。

 ペリーが予言したとおり、開国後の日本は急速に工業化を進め、現在では世界に冠たるモノづくり国家へと成長を遂げました。

 だがしかし・・・

マシュー・ペリー提督

(海軍士官)

←四隻の黒船とともに浦賀に来航。

 若者のモノづくり離れが深刻化し、他方では戦後の経済成長を支えてきた団塊の世代の熟練技能者が大量にリタイアするという「2007年問題」によって、製造業の未来に暗雲が立ち込めはじめました。

 そして、もう一つ・・・

 僕は、少子化によってもたらされる「もう一つの“2007年問題”」が、モノづくり国家日本の将来に大きなダメージを与えかねないと懸念しています。

 ということで、今回の通信は前回の“シングル・ピラミッドの檻”の続編として、『教育と職業』について考えます。

 

1 もう一つの“2007年問題”

 2007年から戦後の経済成長を支えてきた団塊の世代が退職期を迎え、熟練技能を持ったモノづくりのエキスパートも大量にリタイアする。

 一方では、若者のモノづくり離れも進んでいることから、熟練技能の次世代への継承が危ぶまれる・・・これがいわゆる「2007年問題」です。

 しかし、もう一つ見逃せない「2007年問題」が存在します。

大学全入時代

大学全入時代

←2007年から均衡する。

 文部科学大臣の諮問機関である中央教育審議会では、少子化の進行によって大学・短大への進学希望者数とこれら大学の定員が2007年度から同じになるという試算を公表しています。

 つまり、数の上では、誰もが大学に進むことができるようになるのです。

 私立大学や短大では、既に大幅な定員割れに直面するケースも出ており、日本の大学は熾烈な学生の獲得競争の時代に入っているのです。

 ただし、僕が問題視しているのは大学の経営のことではありません・・・。

 この暮れの忘年会の一つに出席した時に、高校生の息子を持つある女性と話しました。

 彼女が「息子の進路は息子の自由意思を尊重する」というので、「私もかねてから同意見なんです」と話し始めると、だんだん話の辻褄が合わなくなって来たのです。

 どうやら、彼女が尊重する「息子の自由意志」というのは「どの大学に進むか」ということのようで、“大学には絶対に行かなければならない”ことが前提だったのです。

 これは多くの子を持つ親が彼女と同様に、子供をきるだけいい学校に進ませていい職業・・・医者、弁護士、会計士、研究者、経営者、専門技術者・・・そうでなくともホワイトカラーや公務員に就かせたいと考えているのではないでしょうか。

 そもそも大学と言うのは、体育系を除けばそういった職業に就くことを前提として作られているのですから。

大学全入時代

大学全入時代

←合格発表の様子。

 しかし、考えて欲しいのです。

 日本という国は十分な資源を持たない加工貿易国家、モノづくり国家です。

 製造業を中心とする第二次産業は就業者数こそ3割程度ですが、世界に誇る高い技術力を持ち、自動車・家電・精密機械などの生産によって国富を生み出しているのは、まさにこの製造業なのです。

 誰もが大学に進んでしまった場合、日本の高度なモノづくりは存続していけるでしょうか。

 モノづくりの現場は、経営者や営業マンや設計技術者だけでは成り立ちませんし、どのようなハイテク機器であっても、その先端理論を具体的なカタチに加工できる高度技能者が不可欠なのですから。

 こうした意味で、大学全入時代というもう一つの「2007年問題」は、わが国の基幹産業である製造業を危機に陥れる可能性があるのです。

 

2 高度な技能者の必要性

 2006年7月に厚生労働省が策定した「第8次職業能力開発計画」には、次のようなくだりがあります。

 『技能の重要性について国民各層の理解を深め、技能者の社会的評価・技能水準の向上を図るため、技能振興施策の積極的な推進を図ることが必要である』

 “若者のモノづくり離れ”が言われて久しいですが、この部分は至極当然のように思えます。

大学全入時代

モノづくりの現場

(精密金型加工)

 ある時、僕は高度な熟練技能を持つ「現代の名工」さん達の集まりに招かれて、その趣旨で話をしようとしました。

 しかし・・・

 彼らは、“技能者の社会的評価の向上”という部分で、思いもかけない反応を示しました。

 彼ら技能士は、自分たちの社会的地位が低いなど、考えてもいなかったのです。

 ・・僕は心から恥ずかしくなりました。

 “シングル・ピラミッドの檻”に捉われていたのは、他でもない自分自身だったからです。

大学全入時代

現代の名工

(表彰式の様子)

 歴史をさかのぼれば、もともと日本における職人の地位が低いはずもなく、正倉院や宮廷や城などの建築物を造ったり、飾り職人のように技巧を凝らした装飾品を作ったり、切れ味鋭い刀剣を鍛えたりと、誇り高い仕事でした。

 職人や技能者に対する奇妙な評価が行われるようになったのは、高学歴を至上価値とする戦後教育と人間が機械に使われる“大量生産”という名の技術革新ではありますまいか。

 しかし、大量生産の工業技術は、わが国では既に過去のものです。

 ここ三十年で、アジア諸国は確実に日本をキャッチ・アップし、モノづくりは今や熾烈な国際競争のさなかにあります。

 量産型の技術は“世界の工場”を自認する中国などアジア諸国に中心が移り、日本はより高度な加工技術に特化して行くしか道はありません。

 資源を持たないわが国が“国富”を獲得するためには、誇りを持った若い「高度技能者」を育成して行かなければならないのです。

 それにもかかわらず、どうして日本の親は子供を大学に進ませようとするのか。

 答えは簡単です。

 わが子に勉強をさせ、「いい学校」に進ませ、その結果として「いい仕事」(ホワイト・カラー等)に就き易くさせるという考え方~“シングル・ピラミッドの檻”に捉われているのです。

 職業は進学の結果ではなく、最初に目標としての職業があるべきです。

 そして、目指すべき職業の数だけ、そこに至るまでの多様な教育訓練の道筋があってもいいはずです。

 

3 職業への多様な道~マイスター制度

 日本と同様に、モノづくりが基幹産業となっている国にドイツがあります。

 しかしながら、この東西のものづくり国家の「職業と教育」に関する考え方は驚くほどに異なっています。

 ドイツには伝統的なマイスター制度があります。

 これは「職人としての開業資格制度」として捉えられることが多いですが、実は「教育制度とも密接不可分な社会制度」なのです。

 ドイツの子供たちが6歳になると、日本の小学校に相当する“基礎学校”に入学します。

大学全入時代

基礎学校の子供たち

(ベルリン)

 しかし、この基礎学校は、日本のように“社会生活に必要な基礎科目を幅広く履修する場”ではなく、“将来の職業的適性を見極める場”です。

 子供たちは本来、絵が上手な子、運動能力が高い子、手先が器用な子、数学が好きな子など他人と違う個性を持って生まれてきますが、そうした個性の中から、その子供なりの最も適した職業的能力を見つけ出してあげるのです。

(「勉強が好き」ということも、職業的能力の一つに過ぎないという考え方です。)

 そして、日本の中学校に当たる“基幹学校”では職業的進路を決定し、その仕事と今の勉強がどのように結びつくかを教えた上で必要な教育を行います。

 この基幹学校を15歳で卒業すると、有名な「デュアル・システム」によって仮就職をし、三年の間、就職先での実地訓練と職業学校における週二日程度の座学を並行して修得します。

 これを終えて18歳になればゲゼレ(職人)として一人前の給料を得ることができますが、開業資格を持つマイスターになるためには、さらに5年間の実務経験を経てマイスター専門学校へ入学し、試験に合格する必要があります。

 このように、ドイツにおける学校教育は、目指すべき職業というものが先に存在しているのです。

(子供たちの75%がこうした進路を辿り、大学への道を歩むのは少数派です。)

大学全入時代

職業訓練

(継手実習)

 ひるがえって、わが国の教育はどうでしょう?

 主要5教科に体育、音楽、図画工作、家庭科・・・中学校では5段階評価の総合点で順番付けされます。

 社会にどのような職業があるのか教える教育システムはありませんし、そもそも学校の先生は、教師以外の職業を経験したことがほとんど無いわけですから、リアリティをもって職業教育することなど不可能でしょう。

 こういう教育の中でどのようなことが起こってくるか?

 子供たちは「職業」を目指すのではなく、「いい学校」に進学することが目的となります。

 そして、高校受験の段階で学力順に普・商・工・農に振り分けられ、決して望んだわけではない職業への道を歩む事になるのです。

 少なからぬ者たちにとって、このような形で与えられる学問に身が入らないのは当然ではないでしょうか?

 そして一方、有名大学までの競争を勝ち抜いた「勝利者たち」にとって、修めた学問のどのくらいが社会で役立っているのでしょうか?

大学全入時代

大学での講義風景

 現実社会では、それぞれに無くてはならない数多くの職業が、お互いに機能を分担し合いながら大きな社会のシステムを形成しています。

 それは一つの会社の中でさえそうです。

 意思決定をする社長も、経理や営業の事務職も、旋盤やフライス盤を扱う技能職も、それぞれの役割を持って協働する同じ重さのパーツなのです。

 職業人一人ひとりが自らの職業を誇れる社会・・・ピラミッドは一つでなく職業の数だけあるのです。

 そして職業教育の指針となるマイスター制度・・・学ぶ事は多いはずです。

 この国が“シングル・ピラミッド”という虚構の檻から解き放たれ、本当の「美しい国」になれることを願ってやみません。

 

/// end of the “その138「職業への多様な道」” ///

 

《追伸》

 日本の高度技能者の力と言うのは本当に凄いです。

 前の通信では、すばる望遠鏡の巨大な鏡面を精密に磨き上げる日本人技能者の話を紹介しましたが、僕は去年、盛岡に出張いたしまして、「セイコー」の時計工場に行って参りました。

 現在の時計作りは誤差のほとんどない水晶クオーツ時計が主流ですが、セイコーでは、1998年に同社のゼンマイ時計の名品「グランド・セイコー」を敢えて復刻したのです。

 メカ時計には、ゼンマイを巻かなくてはならない煩わしさがありますが、むしろそのアナログ性に愛着を感じる根強いファンが存在するからです。

 その心臓部である調速機はそれこそチリとしか見えない微小な部品が組み合わせられているのですが、この最終調整は機械では不可能で、超絶な技巧を持った熟練技能士が手作業で、微細ホイールの誤差をなんと1000分の1ミリメートルの精度でかき削っていくのです。

 また、ヒゲゼンマイという幅0.1ミリメートル、厚み32ミクロンの微小部品の重心・曲がり調整も顕微鏡を覗きながら微小ピンセットで手作業で行っています。

 まさにファンタスティック!!

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

グランド・セイコー

グランド・セイコー

(日本が誇る名品)

←二百数十点の微小部品を組み立てる。

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To be continued⇒“139”coming soon!

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