岸波通信その134「61年目の暑い夏」

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岸波通信その134
「61年目の暑い夏」

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  The Bomb Haiku 【2018.1.22改稿】(当初配信:2006.8.15)

「まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる」

・・・松尾あつゆき

 今年もまた、広島と長崎に原爆が投下されたあの日から61年目の暑い夏が巡ってきました。

 この俳句は、松尾あつゆきという自由律の俳人が書いたもので、「なっちヤンの写真館」にもご紹介した長崎平和記念像のある平和公園の一角の碑文に刻まれています。

 彼は、1945年8月9日に長崎に投下されたプルトニウム爆弾で妻と三人の子供を失ったのですが、彼が幼い子供たちを火葬にした遺骨を重態の妻の枕元に置くと、妻が「乳がはる」と言ったのです。

「原爆句抄」句碑

(長崎平和公園)

 戦争体験の無い世代にとって、戦時下、ましてや逃げ場の無い被爆体験というものを想像する事は困難でしょう。

 そんな我々に対し、この松尾あつゆき氏の残した俳句集「原爆句抄」は、まさに現場からの生々しい体験を突きつけて来ます。

 彼は、長崎での学生時代から自由律俳句の荻原井泉水に師事し、俳句誌「層雲」の同人として活躍した人物です。

 そして、長崎商業学校の教諭から食糧営団に移り、そこでの勤務中に運命の8月9日を迎えたのです。

「原爆句抄」 松尾あつゆき

◆八月九日 長崎の原子爆弾の日。

我家に帰り着きたるは深更なり。

月の下ひっそり倒れかさなっている下か

◆十日 路傍に妻とニ児を発見す。

重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。

わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ

すべなし地に置けば子にむらがる蝿

臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい

◆長男ついに壕中に死す(中学一年)。

炎天、子のいまわの水をさがしにゆく

母のそばまではうでてわろうてこときれて

この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔

外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら

 自身も被爆しながら、家族を探そうと自宅に向かいますが、我が家のあった場所に辿り着いたのは既に深夜。

 もしや瓦礫の下にいるのではと考えますが、そこにも家族の姿は見つけることができません。

 ようやく翌日になってから、道端にうずくまる妻と、その傍らに二人の幼な子の亡骸を発見します。

 その重傷の妻から、二人の子供たちのいまわの際を聞くと、ようやく笑う事を覚えたばかりの赤子が、死に臨んで一生懸命笑おうとしたこと・・・その子に与えるものとて無く、路傍の木の枝を咥えさせて「うまかとばい、さとうきびばい」と言ったことを聞きます。

 そして、壕の中にいた瀕死の状態の中学一年の長男に末期の水を探しに行こうとすると、長男は壕から母の許まで這い出てきて、にっこりしながら力尽きました。

 母の傍で死んでいける安堵だったのでしょうか、これを自分の身に置き換えて我が子らがそうであったらと考えると、胸がはり裂けそうです。

◆十一日 みずから木を組みて子を焼く。

とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい

ほのお、兄をなかによりそうて火になる

◆十二日 早暁骨を拾う。

あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で

あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな

◆十三日 妻死す(三十六歳)。

ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる

◆十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。

なにかもかもなくした手に四枚の爆死証明

夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ

降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ

 僅か7ヶ月の命であった子供の骨を“花びらのような”と詠った表現に心を打たれます。

 その子らを瓦礫を集めて火葬にし、遺骨を枕元に置いた時の情景が冒頭の句です。

 しかし、その翌日には妻も帰らぬ人となりました。

 こうして、松尾あつゆき氏は4人の家族を失い、手元に残されたのは“四枚の爆死証明”だけでした。

 俳人であった松尾あつゆき氏は、自身の悲しみの記憶を「原爆句」に昇華させ、後世に伝えようとしましたが、その句集は米軍の報道管制に引っかかって発表することさえ果たせませんでした。

 これらの句が日の目を見たのは、それから10年後、1955年8月に刊行された「句集 長崎」によってです。

 その後、平成元年10月、彼の志を継ぐ人々によって「松尾あつゆき句碑」が長崎平和公園の一角に建立されました。

松尾あつゆき原爆句碑(長崎平和公園)

 その1メートル四方ほどの自然石には、「降伏のみことのり 妻をやく火いまぞ熾りつ」の一句が刻まれ、その右奥の幅1メートルの句碑には「原爆句抄」から7点の句が刻まれています。

すべなし地におけば子にむらがる蠅

かぜ、子らに火をつけてたばこ一本

朝霧きょうだいよりそうたなりの骨で

まくらもと子を骨にしてあわれちちがはる

炎天、妻に火をつけて水のむ

なにかもかもなくした手に四枚の爆死証明

涙かくさなくてもよい暗さにして泣く

 長崎に投下された二つ目の原子爆弾によって、一瞬のうちに73,884人の人が亡くなり、74,909人の人が傷を負い、街は壊滅的な打撃を受けました。

 松尾あつゆき氏が終戦の詔を聞き、手に四枚の爆死証明を手にした8月15日から61年目となるこの暑い夏の日に、もう一度、人類の悲しみに想いを馳せるために「原爆句抄」をご紹介しました。

 

/// end of the “その134 「61年目の暑い夏」” ///

 

《追伸》

 未だに世界には、人類を滅亡させる約3万発もの核兵器が存在していると言います。

 10年前、国際司法裁判所は、核兵器による威嚇と使用は一般的に国際法に違反するとして、国際社会に核廃絶の努力を強く促しました。

 しかし、2005年に開催された核不拡散条約の再検討会議(189ヶ国が加盟)は、何らの成果も無く閉幕し、核保有国は核軍縮に真剣に取り組む姿勢を見せないばかりか、米国に至ってはインドの核兵器開発を容認して原子力技術の協力体制を敷こうとさえしています。

 下のなっちヤンが撮影した「長崎平和記念像」の人物が掲げた右手は原爆の脅威を、左手は平和を、そして閉ざされた目は犠牲者の冥福を祈っているのだそうです。

 その像に込められた願いを、今こそ想い起こさねばならないでしょう。

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

長崎平和記念像

長崎平和記念像

(photo by なっちヤン)

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To be continued⇒“135”coming soon!

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