岸波通信その125「祈りが勇気に変わるとき」

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「November Girl」 by Blue Piano Man
 
岸波通信その125
「祈りが勇気に変るとき」

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  The time that prayer turns into courage 【2018.2.12改稿】(当初配信:2005.11.16)

「病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。今では心から病気に感謝しています。」・・・猿渡 瞳

 人は、何かのきっかけで、今まで見えなかったものが見えてくることがあります。

 そのきっかけとなるものは、友人のアドバイスであったり、仕事で与えられた重い責任であったり、人生における大きな事件であったりと様々です。

 そして、その典型的なきっかけの一つに、“自分の死への直面”があります。 

 これは、絶望を勇気に変えて成長した一人の少女の物語です。

瞳スーパーデラックス
~13歳のがん闘病記~

猿渡 瞳

(西日本新聞社刊)

 新潟県に出向している友人、ジャイアン君からメールをもらったのは、今年10月末のことでした。

葉羽様

 ご無沙汰しております。新潟県地域政策課のジャイアンです。

 がんと闘い、昨年9月に13歳で亡くなった福岡県大牟田市の田隈中2年猿渡瞳さんが、死の約2ヵ月前につづった作文「命を見つめて」が、その死後、全国作文コンクールの優秀賞を受け、家族や友人を通して各地に伝えられ反響を呼んでいるとの記事があり、全文が掲載されました。

 私も猿渡さんの遺志に共感したので、彼女の作文をメールでお送りしたいと思います。

 以下です。平成17年1月15日の西日本新聞に掲載されたものです。

 以下に、そういう添え書きとともに送られた作文の全文を掲載させていただきます。

 

   「命を見つめて」  大牟田市立田隈中学校2年 猿渡瞳

 みなさん、みなさんは本当の幸せって何だと思いますか。

 実は、幸せが私たちの一番身近にあることを病気になったおかげで知ることができました。

 それは、地位でも、名誉でも、お金でもなく「今、生きている」ということなんです。

 私は小学年生の時に骨肉腫という骨のガンが発見され、約1年半に及ぶ闘病生活を送りました。

 この時医者に、病気に負ければ命がないと言われ、右足も太ももから切断しなければならないと厳しい宣告を受けました。

 初めは、とてもショックでしたが、必ず勝ってみせると決意し希望だけを胸に真っ向から病気と闘ってきました。

 その結果、病気に打ち勝ち右足も手術はしましたが残すことができたのです。

 しかし、この闘病生活の間に一緒に闘ってきた15人の大切な仲間が次から次に亡くなっていきました。

 小さな赤ちゃんから、おじいちゃんおばあちゃんまで年齢も病気もさまざまです。

 厳しい治療とあらゆる検査の連続で心も体もボロボロになりながら、私たちは生き続けるために必死に闘ってきました。

 しかし、あまりにも現実は厳しく、みんな一瞬にして亡くなっていかれ、生き続けることがこれほど困難で、これほど偉大なものかということを思い知らされました。

 みんないつの日か、元気になっている自分を思い描きながら、どんなに苦しくても目標に向かって明るく元気にがんばっていました。

 それなのに生き続けることができなくて、どれほど悔しかったことでしょう。

 私がはっきり感じたのは、病気と闘っている人たちが誰よりも一番輝いていたということです。

 そして、健康な体で学校に通ったり、家族や友達と当たり前のように毎日を過ごせるということが、どれほど幸せなことかということです。

 たとえ、どんな困難な壁にぶつかって悩んだり、苦しんだりしたとしても命さえあれば必ず前に進んで行けるんです。

 生きたくても生きられなかったたくさんの仲間が命かけて教えてくれた大切なメッセージを、世界中の人々に伝えていくことが私の使命だと思っています。

 今の世の中、人と人が殺し合う戦争や、平気で人の命を奪う事件、そしていじめを苦にした自殺など、悲しいニュースを見る度に怒りの気持ちでいっぱいになります。

 一体どれだけの人がそれらのニュースに対して真剣に向き合っているのでしょうか。

 私の大好きな詩人の言葉の中に「今の社会のほとんどの問題で悪に対して『自分には関係ない』と言う人が多くなっている。

 自分の身にふりかからない限り見て見ぬふりをする。

 それが実は、悪を応援することになる。

 私には関係ないというのは楽かもしれないが、一番人間をダメにさせていく。

 自分の人間らしさが削られどんどん消えていってしまう。

 それを自覚しないと悪を平気で許す無気力な人間になってしまう」と書いてありました。

 本当にその通りだと思います。

 どんなに小さな悪に対しても、決して許してはいけないのです。

 そこから悪がエスカレートしていくのです。

 今の現実がそれです。

 命を軽く考えている人たちに、病気と闘っている人たちの姿を見てもらいたいです。

 そしてどれだけ命が尊いかということを知ってもらいたいです。

 みなさん、私たち人間はいつどうなるかなんて誰にも分からないんです。

 だからこそ、一日一日がとても大切なんです。

 病気になったおかげで生きていく上で一番大切なことを知ることができました。

 今では心から病気に感謝しています。

 私は自分の使命を果たすため、亡くなったみんなの分まで精いっぱい生きていきます。

 みなさんも、今生きていることに感謝して悔いのない人生を送ってください。

瞳スーパーデラックス

猿渡 瞳さん

「青少年健全育成弁論大会」にて
(平成16年7月2日:死の二ヶ月前)

 胸を打つ文章です。

 これが、わずか13歳でこの世を去った少女の「遺言」だと思うと言葉を失います。

 そう…猿渡瞳さんは、この作文を弁論大会で発表して間もなく帰らぬ人となりました。

 彼女のエピソードは多くのブログで引用され、さらに今年8月に放映された24時間テレビ「生きる」でも再現ドキュメントとして放映されましたので、ご承知の方も多いかも知れません。

 瞳さんは一青窈の「ハナミズキ」が大好きで、入院中もその曲をピアノで引き続けていたという縁から、番組の最後で一青窈さんが自ら出演し、涙を浮かべて歌っていたのが印象的でした。

日本更正保護女性連盟会長賞伝達式

←母の直美さんが亡くなった瞳さんに代わって出席。

 少女の精神的な成長にも驚きますが、やはり僕の年齢になると、彼女を支えた母親の気持ちを慮って切なくなります。

 瞳さんに骨肉種(ガンの一種)が発見されたのは11歳の時。

 骨折と偽って入院させていた瞳さんが「右足を切断しなければ命にかかわる」という事を医師から告げられた時、母親は意を決して医師に言いました。

「嘘をついたままでは、厳しい治療となるガンと真っ向から闘えません。瞳に本当の事を告げます」と。

 母親が血を吐く思いで告げた事実に対する娘の反応は意外なものでした。

 瞳さんは、「教えてくれてありがとう。でももっと早く言ってほしかった。その分早く(病と)闘うことができたもの」と言って、大粒の涙を流したのです。

 おそらく、自分自身の病の正体について予感していたのでしょう。

 その日から、母娘二人の壮絶な闘いが始まりました。

 抗がん剤の投与と辛い検査に心と身体がボロボロになる思いをし、つい昨日まで励ましあっていた病棟の命が「一瞬にして」失われて行く・・・。

 そんな経験を重ねながら、少女は重大な決心をします。

「命さえあれば必ず前に進んで行ける」・・・そのメッセージを生きている仲間に残さなくてはならない。

 それが、亡くなっていった命たちから自分が託された使命なのだと。

 不自由な身で弁論大会への出場をこころざし、作文の手直しは、弁論大会の当日明け方まで続きました。

 母親が弱って行く身体を心配して言葉をかけますが、瞳さんは自分自身に妥協しようとはしませんでした。

 おそらく使命感のためにトランス状態になっていたのでしょう。

 彼女が熱弁を振るうその姿に、“燃え尽きようとする命”を感じた聴衆はいなかったと思います。

 けっして同情などではなく、その堂々たる発表に、そして“魂の言葉”に誰もが心を打たれたのです。

瞳スーパーデラックス

瞳さんをしのぶ会

←遺影を抱いているのが母親の直美さん。

 彼女が通っていた中学校では、彼女をしのぶ会が催されたそうです。

 その場では、闘病中の瞳さんと交流があった福岡市内のアマチュア・バンド“REAL’N TRUEZ”の二人が自作曲「祈りが勇気に変わるとき」などを彼女に捧げ、絶唱しました。

 遺影を抱きながら聞き入ったというお母様の気持ちは、いかばかりであったでしょう…。

  ハナミズキ  一青窈

 空を押し上げて
 手を伸ばす君 五月のこと
 どうか来てほしい
 水際まで来てほしい
 つぼみをあげよう
 庭のハナミズキ

 薄紅色の可愛い君のね
 果てない夢がちゃんと
 終わりますように
 君と好きな人が
 百年続きますように

 

 

 夏は暑過ぎて
 僕から気持ちは重すぎて
 一緒にわたるには
 きっと船が沈んじゃう
 どうぞゆきなさい
 お先にゆきなさい

 僕の我慢がいつか実を結び
 果てない波がちゃんと
 止まりますように
 君とすきな人が
 百年続きますように

 君と好きな人が
 百年続きますように・・・

 

/// end of the “その125 「祈りが勇気に変るとき」” ///

 

《追伸》

 ジャイアン君、素敵な情報をありがとう。

 君はいつも他人に気配りを忘れない人柄だから、きっと新潟の空の下でも奥さんと二人、仲睦まじく暮らしていることでしょう。

 本当は、秋に、君からお知らせいただいた佐渡島の地域振興社会実験を活用して会いに行きたかったけど、息子の結婚式とぶつかって何かと物入りでね・・・申し訳ない。

 KIYOさんは、行けたのかな?

 また福島に来る時にでも気軽に声をかけてください。

 その時は・・・泊まりでね!

 

 では、また次の通信で・・・See you again !

24時間テレビで瞳さんを演じた愛莉

24時間テレビで瞳さんを演じた愛莉

←大変よく似た女優さんでした。

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To be continued⇒“126”coming soon!

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【岸波通信その125「祈りが勇気に代わるとき」】2018.2.12改稿

 

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